第6話 サクサクの渦巻きパン
日曜日はからりと晴れて気持ちの良い天気だった。朝日が眩しい。
「おはようございます!市場日和ですね!」
リリアがくまのパン屋の扉を開けると、そこは至福の香りで満たされていた。
「なんて幸せな日曜日……」
うっとりと息を吸い込むリリアに、バナードが笑いを堪える様子で話しかけた。
「おはよう、リリアさん。今日はよろしく」
「お、おはようございます」
バナードは新しい服を着ていた。エプロンの中は白いシャツに、黒いパンツ。全体的に、いつもよりスラリとして見える。
「バナードさん、今日は雰囲気が少し違いますね」
「そうかな?店に来てくれたキーファーさんに市場に出る話をしたら、わざわざ持ってきてくれて。せっかくだからお借りしたんだ」
バナードが顔をほんのり赤らめながら言った。
「キーファーさん、背が高いですもんね。お洒落で似合ってると思います」
にこにこと言うリリアに、バナードはくるりと背を向けて工房へ向かう。
「えっと、ありがとう。じゃあ、運び出そうかな。今日は様子見で、これくらいかなと思って」
そう言って運んできたのは、リリアには到底持てないような大きなカゴだ。
「市場まで遠くて申し訳ないんだけど、リリアさんはその小さいカゴを運んでもらえるかな」
「それくらいならお安い御用です!」
「頼もしいね。じゃあ、行こうか」
市場が開かれる広場に着くと、既に出店する店の人たちが準備に追われていた。活気のあふれるその中を、緊張と期待感でドキドキしながら歩く。
「ええと、私たちは……」
「こっちみたいだ」
当てがわれたのは、市場の端の方の台だった。いそいそとカゴを並べ始める。パンを見ると否応なしに胸が高鳴るリリアには、作業が楽しくて仕方なかった。
「これは何ですか?美味しそう!」
「それはナッツのペーストを巻き込んであるんだ。甘くてサクサクして美味しいよ」
「美味しそう!たくさん売れるといいですね」
そうこうしている間にお客さんが来始め、市場がさらに賑やかになった。
「いらっしゃいませ!くまのパン屋です。おひとついかがですか?」
リリアの元気な声が響く。一方のバナードは緊張の面持ちだ。こちらをちらりと見る人はいるが、大柄なバナードを見て顔をこわばらせ、遠ざかって行く。
「バナードさん、顔、怖くなってますよ!」
小声で指摘するも、バナードは表情を変えるのが難しいようだ。
「あ!」
後ろの方で声がして振り向くと、小さな女の子が倒れている。慌ててリリアがかけつけようとする前に、目の前の大きな影が動いた。少女を軽々と抱き上げて立たせてやる。彼女はバナードを見てびくりとしたが、落としたらしいくまのぬいぐるみを優しくはたいて差し出すと、ほっと表情を和らげた。
「ありがと」
少し離れたところにいた母親らしき女性が、慌てた様子で走ってきた。
「どうしたの!?」
女の子はぎゅっと母親に抱きついた。
「ころんだの。このおにいちゃんがたすけてくれたよ」
バナードを指さす少女に戸惑った様子をみせた女性だったが、すぐに頭を下げた。
「すみません、ありがとうございました。ほら、行くわよ」
「おかあさん、あのパンたべたい」
「え?」
リリアはこれはチャンスだと、カゴを持って近づいた。
「こんにちは!今日、初めて市場に来たんです。くまのパン屋です。おひとついかがですか?すっごく美味しいですよ!」
母親は女の子のキラキラした目に負け、結び目の形のパンを一つ買ってくれた。
バイバイと手を振る女の子に、穏やかに振り返すバナード。リリアはその表情を見て微笑んだ。
「バナードさん、今日はその顔でお願いしますね!」
「え」
次の瞬間強ばった顔に戻ってしまったバナードに、リリアはおかしくなって吹き出した。
「一個売れましたね。うれしいです!」
「うん」
昼前には完売になり、パン屋に戻って来た。あの後、リリアの下宿先のシューマン夫妻や仕立て屋のシュナイダー夫妻など、郵便配達で知り合ったリリアの知り合いがたくさん来てくれ、パンは次々と売れていったのだ。
片付け終えると、バナードはコーヒーを淹れてくれた。
「リリアさんのおかげだよ。朝から本当にありがとう。町中にあんなに知り合いがいるんだね、びっくりしたよ」
「郵便配達の仕事をしていてよかったですよ。でも、一番はバナードさんのパンが美味しそうだから売れたんですけどね!」
「ああ……そうかな?」
リリアは充実感たっぷりの笑顔で言うが、対してバナードは歯切れが悪い。
「あの……全種類一つずつ買っていってくれた男の人は、どういう知り合いなの?」
思いがけない質問に、リリアはきょとんとする。上を見上げて考えると、思い当たる人がいた。
「ああ!ヨハンさんですか?下宿先の靴屋さんのお弟子さんですよ」
「そうなんだ」
「はい。最近ご結婚されて、今は通いで修行しに来ているみたいですよ」
「結婚……」
バナードは全身の力が一気に抜けたかのように、テーブルに肘をつき、息を吐いた。
「そっか、うん、なんかごめん。変なこと聞いて。あ、そうだ」
そう言ってキッチンからバナードが持ってきたのは、小さな紙包み。促されて開けてみると、今朝美味しそうだと言っていた渦巻きのパンだった。
「取り分けておいたんだ。よかったら、どうぞ」
「わあ、ありがとうございます!いただきます!」
今朝の少女のように目をキラキラさせるリリアに、バナードは笑った。
サクッと一口齧ると、ふわっとバターとシナモンが香った。ナッツのペーストは甘すぎず、大人の味だ。リリアはミルク入りのコーヒーを一口飲む。
「おいしいです!この組み合わせ、よく合いますね」
「それはよかった。リリアさんは本当にパンが好きだよね」
優しい声で言ったバナードに、パンに夢中になっていたリリアはハッとして彼の顔を見た。
「それで、今日の御礼なんだけど……」
「もう頂いてます。このパンとコーヒーで十分です。今までの分もありますし、今日は私もとても楽しかったですし」
「……」
いつもと立場が逆転し、仕返しとばかりに少し悪戯っぽい笑みを浮かべるリリアに、バナードはあっさり降参した。
「わかったよ」
「来週も、市場行きますか?」
「うーん……リリアさん、大変じゃない?」
「いえ。むしろやりたいです 」
「そっか。じゃあ、よろしくお願いします」
「はい!」
こうして、二人は来週の日曜日も朝市に行くことになったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
7話で完結としていましたが、長くなってしまったので8話で本編完結としたいと思います。
明日中に7話を更新します。




