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負け犬のくせになまいきだ  作者: 石山 雄規
一章 ターン Where is my outlet ?
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3話「史上最強のダメ人間に」

 罪を犯そうと思った。それがとびきりのダメ人間になる飛躍だろうと。


 犯罪者、字面だけで頭悪々だ。言ってみたい言葉ランキング一位は異議ありである。


 けれども一応、他の誰かを不幸にする犯罪は止めておくことにした。倫理観!


 頭の優れた俺は非実在美少女のポルノあたりを個人所有しようかとも思ったが、どうも俺には絵心というものがなかった。興味もない。それでは生粋のロリペド野郎に失礼だ。


 そこで完全犯罪辞典を片手に行き詰まる。殺人、窃盗、偽証……え、不倫は犯罪じゃない?


 というか、そもそも罪とは何なのか――あぁ、クソほど下らねぇ。でも俺は考えた。


 辞書には二つの意味があった。社会的な利害調整と、宗教的な信仰の欠如――――


 よると、神様のいない世界に、罪という概念は存在しないらしい。というのも、罪の意識は究極的に神と個人とが対峙した瞬間にのみ浮き上がる。それは罰という裁きによってこそ解消されうるためであり、ニヒリズムにおいては全てが赦され、因果応報がありえない。



 …………うーん?



 つまり、罪悪感が大事らしい。世間的に許されている事柄でも、俺自身が重みを感じてさえいれば、それは立派な悪であり、罪であり、ダメダメなのである。


 そして今泉の話によれば、異世界には大体、神様がいるらしい。異世界があるのなら、行けるのならば、必然的に神様もいることになる。ということは、この世は罪で溢れている。


 するとどうだ? 俺は思う存分に罪悪感を抱けるという寸法。完璧だ!


 というわけで、騙されていることにさえ気付かないであろう、愚かな少年少女をターゲットにすることにした。近くの公園に向かい、カードゲームで暢気に遊ぶガキ共に声をかける。


「やあやあ子供達、今日も元気だねぇ。こんにちは、どうだいお兄さんと遊ばない?」


「うわ、なんだあれ。不審者か?」


「不審者があんな不気味な笑顔で堂々としてるわけないだろ。あんな気持ち悪い笑顔、夢破れた元水泳選手か新人詐欺師くらいしかいねぇや」


「どっちにしろみんな近づくなよ。大人はみんな信用ならねえんだ」


 最近のガキンチョは聡いなぁ。さとり世代と呼ばれるだけのことはある。ほぼ予知だろ。


 ともあれ、用意した反則デッキで無垢な少年らの大切なカードを騙し取るのだ。笑顔を絶やさず一歩踏み出したところで、宿題を終え遅れてやって来たであろう少年が叫びかける。


「おーい! そんな無職放っといて、さっさと海行こうぜ!」


 少年達は颯爽と駆け出し、参道の向こう側に見える堤防と海岸線へ走り去っていく。


 俺も追いかけるが、腰が痛むのであまり速くは走れない。


 結局、走るのが遅い鈍くさい感じの少年と並走しつつ、のんびりと後を追う。


「……ねぇお兄さん」


 海で追いついた後どうすべきかの算段中、隣の少年が話しかけてきた。


「見ない顔だけど、もしかしてだけど、柊吾兄ちゃん?」


「あぁ……今は話しかけないでくれ。罪悪を為せるかどうかの瀬戸際なんだ」


「やっぱり! 答志島の出世頭だってお母さん言ってたよ」


「今後はデガラシって呼ばれることになるさ」


「へー、よく分からないけどすごいね!」


 堤防から階段を降りて砂浜へ。シーズンには早いこともあってビーチにはこれといった人気もない。子供達の喧騒とその裏に流れる静かな波のさざめきだけが聞こえてくる。


 少年たちは我先にと服を脱ぎ散らかし海へダイブ。ザブザブと水飛沫を巻き上げて、沖の手前にある岩礁までバタバタと泳ぎ始める。誰が一番速く着けるかのレースらしい。だが。


「……泳がないのか?」


 隣の少年だけは、服までは脱いだものの、俺の隣でぼんやりレースの行方を見守っている。


「僕、泳げないから」


 話を聞くに少年は泳げないらしい。そのくせ水着は新品の物。形から入るタイプか。


「なら俺たち、泳げない者同士だな」


「じゃあ、仲間だね」


 ダメな奴同士な、と思いかけて気付く。これは……もしや、信頼関係が築けている?


 それも愚かそうなガキだ。騙されていることにさえ気付きそうにない。俺は重たい罪悪感を心に抱き、彼は何一つ理解しないまま幸せを目減りさせない。理想的なギルティである。


「……実はな、美味い話があるんだ。勝った方が負けた方のカードを」


「俊介ー! カードばっか弄ってないでこっち来いよ! いくらお前が全国大会準優勝の天才デュエリストでも、海に来て泳がねぇのは日焼け気にする女子大生だけでいいぞ!」


「じっくり見れるんだ! 自分が持ってないカードを生で見れるんだ、すげぇだろ!」


 ありがとう、さっきからやけに適切な説明ゼリフを挟み込んでくる少年。


「止めとけよ。あいつ、泳げないんだって」


「あ、そっか……ごめんなー俊介! そうだ、俺が泳ぎ教えてやるよ!」


 俺の一つの訓戒として「コミュニケーションは暴力である」があったが、消しておこう。


 けれども俊介君は首を横に振って、大きな声で叫び返す。


「僕はいいよ! みんなの邪魔になるし、兄ちゃんと話してるから!」


「そっか、気をつけろよー!」


 どうも、コミュニケーションを暴力と捉えているのは、俺一人ではないらしい。


「本音は?」


「……日焼けしたくないんだ」


 新品の水着は少し大きいのか、腰の部分がズレて見える。くっきりとした日焼け跡。


「……コツはな」


 ほんの少し昔のことを思い出す。彼らと同い年だった頃の思い出だ。


 泳げない俺を家から連れ出して、目の痛くなる海水をバシャバシャかけて、賭けだと潜水勝負で何度も駄菓子を奢らされ、手を引いてバタ足の練習をさせてきた幼馴染のことを。


「なんにも考えず飛び込む勇気だよ」


 少年の手を取り海岸までズンズン歩き引っ張っていき、海に突き落とす。


 ブクブク沈んで泡を吹いて、しばらくしてから水面に顔を上げる。


 ぜぇぜぇ息を吸って砂浜に戻ろうとするのを静止させて、再び泳ぐよう指をさす。今度は自分から海に向かって飛び込んでいく。


「腰が引けてる、腹筋使え! 指先は伸ばして下に向ける。足は曲げるなピンと伸ばせ! 力の入れすぎで顔が沈んでるだけだ。人間浮くようにできてる。ゆっくり潜って、曲線状に浮上して口で息を吸え。足を揃えろ!」


 少年は何度も潜ってはバシャバシャと浮かんで、そしてまた潜っていく。


 少年は海に入ってから、何も言わずひたすら泳いでいた。塩辛いだの疲れただの、もう今日は止めるとギブアップ宣言もせず、ただひたすらに大きく息を吸う。


 そして、水飛沫を上げて深く潜っていき、グングンと、水面から影が見えなくなるまで奥行きを広げていく。浮上し、ぷはぁと海面を飛び出して俺を見ると、少年は嬉しげに笑った。


 …………なにやってるんだ、俺は。


 こんな、どこまでも中途半端だ。選んだ道を振り返っても、前に進むことはない。


 一つの物事に集中しなければ、諦め尽くさないと、捨てた意味がなくなってしまう。


 それでも少年の笑顔に応えて、俺は満足を取り繕う。


「――なにやってんの」


 後ろから声がした。冷水をかけられたみたいに心臓が強張り脈打って、瞬きが止まる。


 女の声だった。ザッザと砂を踏みしめて、俺の方に近づいてくる。


 何度も水をかけられた記憶があった。そいつの顔も、声も、よく憶えている。


 もう会わないと思っていたのに。来た道を戻って、また分岐点だ。


 胸の奥底が沈殿し、ゆったりと重さを増していく不明の感覚に、俺は思わず息を止める。


 ほんの僅かな時間だけ感傷に浸った後、振り返りはせず、海と岩礁を眺めながら話す。


「見りゃ分かるだろ。ガキをイジメて鬱憤晴らしだよ」


「平日の昼間からね、感心するわ」


「お前こそなにやってんだよ」


「月曜は講義午前中だけ。で、俊介くんをしごいてる奴がいるから助けてくれって」


「腰壊してやることがなくて暇なんだよ」


「それで、ギブアップ?」


「レースの棄権理由としては充分だろ……久しぶり」


 振り返ると、幼馴染――夏目泪は愛想笑いもせず、仏頂面で腕を組んでいた。


 そして彼女が言う。


「約束は」


「……約束?」


 俺が聞き返すと、彼女は小さくため息を吐いた。


 泥の混じった海岸線の砂をヅカヅカと踏みつけて、ズイッと迫り顔を近づける。


 距離にして10センチ、にこやかに微笑む。小さな顔、黒目がちのクリっとした大きな猫目。昔と変わらない黒髪のショートカットが汗で頬に張り付く。



 あぁ、会いたくなかったな。こいつにだけは――――



 あと、顔が近すぎるぞ。ヤンキーの距離感だ。でなきゃ唇が触れそうな……


 泪は俺の目を至近距離でじっと見つめて、さらに顔を近づけようとする。



 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()



「久しぶり。会いたくなかったわ」


 俺もだよ、ちくしょう。


「ちょい待て、腰が痛むから、離せ」


「もう泳がないんだから、ちょっとくらい悪化してもいいでしょ」


「いいわけあるか!」


 泪はパッと手を離し、居心地悪そうに小さくごめんと呟き、短い髪を揺らして、俺のシャツを握った掌をズボンで拭い、パンパンと手を払う。


 唐突な喧嘩に困惑する俊介君に、泪が笑いかける。怯え友達の方へと泳いでいった。


「泳ぎ方、教えてたの?」


「感心したか」


「……棄権したつもりが諦めきれず、海にしがみついてたってところかな」


 素直に褒められねぇのかこの女は。


「俺だってこんなことするつもりじゃなかったんだよ」


「じゃあどんなつもりだったの」


「……聞いて驚くな。俺はな、史上最強のダメ人間になるんだ」


 俺の言葉を、泪は黙って聞いていた。


「お前は知らないだろうが、実は最近、異世界転生って言うのが流行ってるらしい。美少女がたくさんいるんだ。ダメ人間になるとそこに行けるらしくてな。こうして平日の昼間からガキ共をイジメて、着実にダメンズロードをひた走るって寸法だ。どうだ、参ったか!?」


 今泉から聞いた異世界についての説明をすると、泪は失望を隠そうともせず心底クズを見る目つきで俺を睨み、幻滅のため息を二度、大きく吐く。


「それで、泳ぎを教えたの?」


「笑いたきゃ笑えよ」


「ハッハッハ……中途半端な奴」


 ズキりときた。心中お察しされたようで、何か言い返してやろうと喉から出てくる言葉を待つが、俺の甘い期待は見事に外れ、閉口する。


 物覚えはよくないが、確かなこともある――俺はこの女から離れたかった。


 彼女から離れるために、二度と会わないよう、この狭い島を出て東京に行った。


「一生ここで燻ってろ、負け犬め」


 そんな捨て台詞を吐いて、泪は俺と海から顔を背け、奮然と去っていく。


 やっぱり会わなきゃよかったんだ。会うべきじゃなかった。


 嫌なことは全部忘れて、後ろ向きに駆け抜けることに嫌な気はしない。


 だから、彼女の言ったことに憶えがなくても、気にする必要なんてありはしない。


「…………約束?」

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