8話 思わぬご縁がありまして
「あっははは、巴チャン、抱き枕にされちゃったのぉ?」
琵里亜の高笑いで、琵和は目覚めた。
深い緑褐色の睫毛がふるりと揺れ、暗緑色の瞳が姿を現す。一瞬虚ろに彷徨ったその瞳が間近で巴を映し、ゆるりと細まった。
「巴ちゃん、おはよう……」
「びっ、琵和先輩っ、おはようございます……! って、あれ? また寝ちゃいました?」
挨拶を返している間に、瞼はまた瞳を隠していく。すぐに、微かな寝息が聞こえ始めた。
「ああ、ここは疲れるからか、今のこの子はけっこう寝るのよね」
「ここ……?」
言葉に含みを感じて、巴はきょとんと聞き返す。琵里亜はにっこりと微笑んで、なんでもないと言った。
「さあ、家主がこんな調子だからわたしたちは帰りましょうか!」
近くのカフェで琵里亜と軽食を済ませ、そのまま別れた。車を出すと言ってくれたが、遠慮してバスで帰る。
学生マンションのエレベーターに乗り込みながら、巴はふと思った。
(琵和先輩のマンション、大きかったなあ。あれ絶対家賃高いよね……)
あれだけ広い敷地なのに、住戸は十戸にも満たない。受付だってホテルみたいだった。
そういえば車内では、家が複数あるなんて耳にした気がする。
「琵和先輩って何者……?」
部屋に戻って一休みすると、興奮もやがて落ち着いた。
よく絞った雑巾で床を拭きながら、ぶつぶつと呟く。
「実家がとんでもないお金持ちとか、投資がうまくいっているとか? ……そういえば研究棟では何をやってるんだろう。他の家はどこに?」
『ホホー』
「そうだよね、今まであなたたちに調べてもらっても、限られた情報しか手に入らないんだもの。本当に謎めいた人だよねぇ」
『ホーホー』
「ん、何? 親身になってくれると思ったら、おやつ目当てだったの? ……はあ、仕方ないなあ。持ってくるからそこにいてー」
よくベランダに来る仲間の鳩に話を聞いてもらっていたら、おやつの催促をされた。
——せっかく相棒だと思っていたのに。
軽く落ち込みながら、しまってある棚へと向かう。
こっそりついてきた鳩がおやつの棚に突っ込んでてんやわんやになり、琵和の謎について考えるのは中断された。
* * * * *
お泊まり会から半月ほど経ち、夏季休暇も終盤に差し掛かってきた。
巴は細々とアルバイトを探し続けたが、しっくりくるものは見つかっていない。
宮司さんへ相談しても、気を遣わず夢に向かって頑張ってと励まされるばかり。
生活のお金を負担してもらい続けるのも申し訳ないのだが。
(神さまのご加護か、宮司さん宅のハンドメイド雑貨ってやつが今大人気らしくて、本当にお金に困ってないみたいなんだけど……)
「こういう交際費も今後増えてくるだろうから、自分で気軽に使えるお金もあったほうがいいよねぇ」
「巴ちゃん、まだアルバイト探してるんだっけ?」
そう、と答えながら、巴はりんご飴にかじりついた。——固い。
今日は少し遠出をして、友人たちと一泊する予定だ。
神社のお祭りでにぎわう街中で、揃いの浴衣を着て、提灯に照らされた参道を練り歩く。
「一年生のうちはカリキュラムもきつめに組むだろうから、来年以降でもいいんじゃない?」
「そうしようかな。相談乗ってくれてありがとう」
拝殿に辿り着くと、二礼二拍手一礼を。
巴の主を祀る神社なので、心安らかに挨拶をする。
——ビュウッ
「あっ、今気持ちいい風が吹いたね! ご利益を感じる……」
「あはは、分かる! 神社にいるからかなんとなくありがたい風だよね」
友人たちから上がった明るい声に、つい鼻高々になる。
巴の訪れを神さまが歓迎してくれたのだ。ついでに、この後はいいことがあると囁いて。
巴は高揚感でいっぱいになりながら、屋台や祭りの様子を見て回った。
(いいことって何だろう。わたあめ食べたことかな? それとも綺麗なお神輿が通るのを見られたこと? 全部楽しかったから分からない!)
すっかり祭りを堪能してからホテルまで戻る。
その入り口で、低く鳴く鳩の声がした。
『ホー……、ホー』
「えっ、嘘!」
知らされた内容に、巴は思わず声を上げる。
「巴ちゃん、どうしたの?」
「あっ、えっとぉ……。ちょっと、寄るところがあって! また後でっ!」
不思議そうな友人たちに笑顔で押し切ると、そのままホテルを走り去った。
「はあっ、はあ……。琵和先輩、お姉さまっ!」
「あ、琵和、やっぱり巴チャン」
ホテルから坂を上った先に、美しい旅館がある。巴はその建物の入り口で、ちょうど出てきた二人組に声を掛けた。
スーツを着た美しい男女二人組——琵和たち姉弟。
先ほど鳩が教えてくれたのは、彼らの目撃情報だった。
(神さま、いいことってこれのことでしょうか! スーツ姿初めてです、ありがとうございます……!)
胸を押さえて息を整えながら近づく。先に振り返った琵里亜が、にんまりと笑って琵和を小突いた。
遅れてこちらを見た琵和も、柔和に微笑む。
「ふう、ふう……。やっぱりって、わたしのことどこかでご覧になっていましたか?」
「いいえ。ただここ数日あそこの神社でお祭りだし、今夜は特に盛り上がるだろうから、巴チャン来てるだろうなあって思ってたの」
「なんと予想的中というやつでしたか! そうなんです、ちょっと友人たちと足を運んでおりまして。お二人は——」
そう言って改めて二人の格好を眺める。
泊まりに来たにしては固すぎる。働くにしても旅館なら和装だろうし、お姉さまの爪は真っ赤なのでやはり違う気がする。
「家業を手伝っている、みたいな感じかな」
考え込む巴に、琵和が助け船を出した。——家業。
「わあ! 琵和先輩のご実家は旅館を経営されているんですか?」
「実家というか……、そうね。旅館だけじゃなくて色々と幅広く。そういえば大学から遠くないところに雑貨屋もあったかしら」
「か、格好いい! 若いうちから経営に携わり、今も会合に参加して、とかそういう……」
思わぬ情報に目をぱちくりした巴だが、喋りながら琵里亜の言葉を頭の中で反芻する。
大学から遠くないところの、雑貨屋。
思いついた妙案に目を輝かせ、びしっと挙手をする。
巴は勢い込んで言った。
「そっ……、その雑貨屋さん、アルバイトを募集中だったりしませんか……!」




