7話 琵和先輩のお家へ!
いつも通り、黒い車が巴たちを乗せて走り出す。
琵里亜の素晴らしい思いつきで、いつもとは違う方向——琵和の家へ。
車窓から見える夜景まで輝いて見えて、巴の胸は期待で高鳴った。
それから、助手席に座って運転手と言葉を交わす琵和を見る。
静かな音楽が流れる中、琵和本人を差し置いて決まったこの訪問に、仄かな罪悪感も湧いてきた。
「そのぉ……、とっても光栄なことですが、手土産もなく押しかけることになってしまってすみません……」
「そういう時は、次回の手土産を期待してくださいって言えばいいのよ」
「なるほど!」
「琵里亜、余計な事教えないで」
隣の琵里亜が片目をつぶって軽妙な助言をくれるので、胸の前で拳を握り、力強く頷いた。
琵和が呆れたように振り返る。
(お姉さまがいてくださって本当に助かる~!)
聞き流しちゃっていいからね、と言われるが、巴としては存分に学んでいきたいところだ。
「巴チャンみたいな頑張り屋さんを見てると応援したくなっちゃうの。この子、あんまり家に上げてくれないでしょ?」
「はい、これが初めてです! お姉さまの温かなお心に、感謝の気持ちでいっぱいです……」
琵和によく似た顔立ちで笑い掛けられ、はにかんで答える。
琵里亜はよしよしと巴の頭を撫でると、助手席に不満げな声を上げた。
「今日はこっちの家なの? 普通こういう時は高いところから夜景を見下ろしてムードを作ってあげるものでしょうに」
「この前置いていったお酒がまだ残っているからね。琵里亜、その辺で買ったのは飲まないでしょ?」
「確かにそうね。……あ、巴チャンのジュース!」
琵里亜が軽く手を打ち鳴らすと、琵和がまた真後ろの巴を振り返った。
「近くのコンビニに寄るよ。巴ちゃん、それでもいい?」
「あっ、はい! もちろんです!」
(20歳、せめて20歳ってことにすればよかった……!)
思わず頭を抱えてしまいたくなるのをどうにか堪え、琵和に笑顔で礼を言う。
やがて車は広々とした低層マンションの前へ、静かに停まった。
「巴チャンっておもしろーい! ねえ、お酒を飲めるようになるのはいつなの?」
「えへ……、ええっと、来月末です! 早くお姉さまたちと一緒に飲みたいですぅ!」
119歳の鳩が渾身のぶりっ子をすると、琵里亜がわしわしとグレージュの髪をかき乱す。
そんな彼女はもう片方の手に綺麗なグラスを持ち、琵和にお酒を注がせていた。
先ほども飲んできたらしいのに、もう瓶が一本空いた。それでも顔色を全く変えず、ただ楽しそうに飲み続ける。
「よしよし、また誘ってあげるからね。早くお姉さんと一緒に飲みましょ! 琵和の家で」
「飲みたい! 飲みたいです、琵和先輩! また来てもいいですかっ?」
「はあ、琵里亜より巴ちゃんの方が酔っ払ったみたいになっちゃって……」
言われて気づいたが、身体がほかほかと熱い気がする。
お茶や果物のジュースしか飲んでいないのに、雰囲気で酔ってしまったみたいだ。
気分は妙に浮き立ち、瞼はずっしり重い。
「巴チャン、もうおねむ? 着替え貸すからここで寝なさい」
「ええ? それはさすがにぃ、申し訳ないですぅ」
呂律も怪しくなってきた巴は、一応遠慮をした。
しかし、時計を見ると午前0時を回っている。このまま帰れと言われたらどうしようか。
「もうこんな時間か」
琵和も時計を見て、それから巴に視線を向けた。
小さく首を傾け、巴に問う。
「……いつも琵里亜が使っている部屋でよければ、今日はここで泊まる?」
「わ、わぁ……! 嬉しいです、ぜひ泊まらせてくださいぃ!」
感激で小さく跳ねた身体がよろめいた。
巴は元々早寝の鳩だ。
今日は初のアルバイト——すぐに解雇されたが——に初めてのお家訪問、さらには夜更かしまで重なり、もう限界かもしれない。
へろへろとお礼を言い、ほとんど夢の世界に入りながら着替えなどを済ませる。大きなベッドに横たわると、すぐに眠りに落ちた。
* * *
澄んだ温かみのある香りが鼻腔を擽る。
カーテンの隙間から漏れた朝の日差しに、巴の意識は覚醒した。
「はっ、ここは……」
慌てて上体を起こし、遅れて昨日のことを思い出す。
あのまま琵里亜が普段使う部屋で眠りこけてしまったようだ。
「わあ、お姉さまをどこで寝かしてしまったんだろう! 今何時? ……5時か」
まだ誰も起きていないかもしれない。
恐る恐る扉を開けると、広々とした居間がある。
そこにあるカウチソファーに、琵和が寝ていた。
「~~!!」
大声を上げてしまいそうになるのを、必死に止める。
口元を手で塞ぎながら、巴はその場に立ち尽くした。
(あれだ、きっと琵和先輩のお部屋をお姉さまが使っちゃったんだ! それで追いやられた先輩がこんなところで……っ!)
L字のソファーは彼が横たわってもなお人が転がれるくらいには大きいが、そういう問題ではない。
押しかけた巴は琵里亜を追いやり、結果として家主にまで不便な思いをさせてしまった。
(う、うわあ、なんてことを! どうしよう、先輩ちゃんと眠れてるかな……)
そろそろと近づき、顔を覗き込む。
無防備に目を瞑り、髪と同色の長い睫毛が白皙の美貌を彩る。
耳を澄ませると、静かな空調音以上にささやかな寝息が聞こえた。
いつも緩く縛っている髪の毛は解かれ、今は少し寝乱れている。
顔に掛かったひと房を払ってあげようと手を翳したところで、その手を掴まれた。
「わっ、おはようございます! これはちょっと誤解です、その、なんというか襲っているわけじゃなくて——」
言い訳がましく慌てる巴に対して、薄く目を開けた琵和はどこかぼんやりしている。
「こんな早朝から元気だね、——」
「……え?」
最後に続いた言葉は、誰かに呼びかけるようでありながら、巴の名前ではなかった。
かといって誰かの名前でもなく、妙に聞き覚えのあるような。
(ぽ、で終わる単語だった気がする……)
目を瞬いていると、しなやかな腕が巴の身体に巻き付いた。
「……えっ、え!? 琵和先輩? なにこれっ、ご褒美ですか!?」
身を乗り出していた巴は、そのまま琵和の隣に転がる。
——巴はソファーに横たわり、琵和に抱きしめられていた。
口から心臓が出そうなほど、鼓動がうるさく鳴り響く。
「はわ、寝てる……。そんな、先輩、わたしどうしたらいいですかぁ……」
巴を期待させた張本人は、目の前であどけない寝顔を晒していた。
二度寝である。
気持ちよさそうだが、巴はあいにく彼のように穏やかに眠ることなどできそうにない。
琵里亜が起きてくるまで身を固くし、ついでにぴったり寄り添いながら、巴は悶々と幸せな時間を過ごした。




