6話 鳩、働く
「大学も慣れてきたし、そろそろバイトでもしてみようかなー」
——アルバイト。お金を稼ぐお仕事というやつだ。
今日も市内のカフェでお喋りをしていた巴は、友人の言葉に瞬いた。
「舞衣はホテルのカフェでホールだっけ? どう?」
「週に二日だし、結構楽しいよ。あとは募集がかかれば巫女さんやってみたいかも」
わたしも、とか冬休みにしたことがある、なんて声が上がる。
巴のいる学部は、そういったことに関心を持つ子たちが集まるのだ。
「巫女さんねぇ。どこかで募集してたっけ……」
「あっ、巴ちゃんのお父さんは宮司さんなんだよね! もしいい情報が入ったら、ぜひ!」
ころころ変わる話題の中で、アルバイトという言葉は巴の頭に残り続けた。
* * * * *
夕方、友人たちと別れた巴は、ふといつも使わないバス停で降りた。
先日琵和とそのお姉さんを見掛けた、料亭が集まる区域。
どこか不思議な心地になったそこも、昼間に歩けばいたって普通の街中だった。
「学費は全額免除とはいえ、生活のお金を宮司さんに頼りきりでもよくないよね……」
ぼんやり考えながら足を進めると、一本奥まった通りにあるお店の張り紙が目に入った。
——夏季のアルバイト募集中、経験不問、アットホームな職場です!
そんな太文字の文章の下には、給与や勤務時間などが載っている。
「応募は電話か直接店舗へ……。よ、よし、やってみちゃう? アルバイト……!」
店の戸を叩き、出てきた店員にその旨を伝える。面接らしい面接もなく、さっそく来週から雇われることになった。
(勉強には慣れたけど、働くのは初めて……)
不安と期待を胸に、巴は一週間を過ごした。
* * * * *
「お嬢ちゃんはさぁ、僕と彼どっちがイケメンに見えるわけ?」
「あははー……、どうでしょう」
そして、アルバイト初日。
巴はさっそく酔っぱらいに絡まれていた。
(注文を聞くだけでいいとか、常連ばかりだから向こうも慣れているなんて言ってたくせに!)
そんな言葉に安心したのも束の間、新顔が気になるのか、やたらと話しかけられて足止めされている。
一度奥に引っ込んで助けを求めたが、ノリで相手すればいいんだよと笑われた。
「ほらほら、お嬢ちゃん。ちゃんと愛想よくお仕えしてくれないとぉ」
「へ? お仕えはしません」
——神の使いになんてことを言う。
誇り高き鳩はむっとして言い返した。
「えぇ? 若いお嬢ちゃんはこの言葉知らないかなぁ。お客さまは神さまなんだよ?」
「神さま……!?」
その言葉だけは絶対に聞き逃せない。
巴の声が、つい鋭くなる。
「そんなわけありません。神さまのことを馬鹿にしないで」
「冗談が通じないなぁ。……はあ、気分が悪くなってきた。店長ー、今日はもう帰るよ」
「おっ、丘下さん! すみません、新入りがとんだご無礼を。どうぞまたご贔屓に……」
店長が慌てふためいた様子で、ぞろぞろと席を立った彼らを追いかけていく。
少しして戻ってきた店長は、怒った顔をしていた。
(うっ、やってしまった、かな……)
巴は叱られたことがないが、怒られる子供たちを境内で見かけたことはある。
あんな風に色々言われるのだろうか。
しかし、店長は客が来たら教えてとだけ言って、店の奥へ入っていった。
「明日から来なくていいよ。……はあ、また募集しなくちゃ」
「へ?」
そうして初日の店じまい。
あの後客足が途絶え、店内でうろうろと気まずく過ごした巴は、あっさりと解雇を言い渡された。
目の前でぴしゃりとしまった戸を、巴は呆然と眺めた。
「えっ、あれ、わたしのアルバイト生活、一日で終わった……?」
しばらくそのまま立ちすくむ。
電柱の灯りがちかちかと点滅して、ようやく巴は我に返った。
ぼんやりと照らされる街角は、夜も深まると妙に心許ない。
——一応人間の女の子に扮する鳩だし、早めに帰ろう。
「はあ、これからどうしようかなぁ。……あっ!」
とぼとぼとバス停へ足を進めていると、見知った二人組を見つけた。
「あっ、琵和先輩とお姉さま!」
「あれ、巴ちゃん」
駆け寄ると、先日の店から出てきた彼らが巴の方を振り返る。
琵里亜は黒いワンピースに白いシアーシャツを、琵和はいつもの黒いオープンカラーに珍しく白のテーパードを合わせている。
胸元に光るのは、きっとお揃いのネックレス。
(すごい、ペアルックってこういうのを言うのかな。この間見かけた時よりさらに恋人みたいになってる……)
姉弟だと分かった今は、二人の仲の良さも微笑ましい。
琵和がかなり弟らしい顔つきで姉を見ているのも、なんだか安心できる。
巴の視線に気づいたのか、琵和が微かに顔をしかめた。
「僕が嫌がるのが楽しくてこういう服装にしてくるんだよ」
「でもお二人ともぴったりで素敵です! 琵和先輩は白いボトムスもよくお似合いなんですね……」
「そう? ありがとう」
胸の前で指を合わせながらもじもじと見つめると、琵和が表情を和らげた。
「巴チャンはあっちの方から歩いてきたわね。こんな時間に何をしていたの?」
「あぅ、それはですね、アルバイトで……」
次いで、琵和の肩に肘を乗せた琵里亜が不思議そうに尋ねてくる。少し苦い経験をしたばかりの巴は、視線をそわそわと彷徨わせた。
それに興味を引かれたのか、琵和も姉と同じような表情を浮かべる。
「巴ちゃん、アルバイト始めたの? この辺りだとごはん屋さんかな。今度行きたい」
「ひえっ! でも今日、初日なのに辞めさせられて……」
「えっ、なんで?」
よく似た姉弟が目を丸くした。情けなさに身を縮めながら、巴はざっくりと一部始終を語る。
一呼吸ほどの間が空いて、琵里亜の上品な笑い声が響き渡った。
「あっははは、巴チャン、やるじゃなーい! もっと詳しく話聞かせてよ」
「もうほとんどお伝えした通りなんですがぁ……」
目元にうっすら涙まで浮かべて笑う琵里亜に、なおさら気恥ずかしさが募る。
琵里亜は上機嫌で、いいのいいのと手を振った。
「巴チャンのことももっと知りたいし、せっかくだから色々お話しましょうよ! よし、琵和、飲み直すよ!」
「巴ちゃんは未成年だからまだお酒が飲めないよ」
「え……?」
琵和の言葉に、琵里亜は一瞬不思議な眼差しで巴を見た。
しかし、その色もすぐに消え、瞳は再び楽しげな光を宿す。
「まあいいわ。巴チャンは美味しいジュースでも飲みましょう! 場所は琵和のマンション。巴チャンどうする?」
「ええっ、絶対に行きます! ……お嫌でなければ、ですが。琵和せんぱい……」
勢いよく食いついてから、少しばかりしおらしい素振りで琵和を見上げる。
勝手に決められた琵和は姉を軽く睨むと、巴に苦笑した。
「いいよ。じゃあ行こうか」




