4話 夜のお食事デート
「琵和先輩っ、こんばんは! デートしませんか!」
研究棟のドアに張り付いた甲斐あって、巴は帰路につく琵和を捕まえた。
五分丈の黒いオープンカラーと、黒いスラックス。いつも通りの黒づくめで、とても可愛い。
後ろには今夜も二人、生真面目そうな取り巻きがいた。
鈴虫が鳴き始める時間帯。
巴は意気揚々とお誘いをかけた。
夏季休暇前の試験を乗り切り、今の巴はなんの躊躇いもなく出かけられる。
「巴ちゃん、こんばんは。デートはしないよ」
「なんでですか! わたし、おめかしして来たんですけど可愛くないですか? 一緒に歩きたくない……?」
項垂れる巴の頭を、琵和がそっと撫でた。
巴の顔に、つい満面の笑みが浮かぶ。
「そんなことないよ、いつもおしゃれだし。なんというか……、ブラウスもスカートもお嬢さんっぽくてよく似合ってるね」
「えへへ、本当ですか!? これからはこういうフェミニン系で攻めますね!」
「押し付けるつもりはないから好きなものを着な」
琵和は巴の頭から手を離して歩き出した。
それをすぐに追いかけながら、巴はぶつくさ文句を言う。
「先輩がいちばんぐっとくる服装でいたいんですぅ! もっと興味を持ってください!」
思わず膨れると、振り返った琵和が柔らかく目を細めた。
「女性の服装には詳しくないんだよ。君はきっと何でも似合うさ」
「じゃあ今後は色々な服装をお見せするので、何がいちばんよかったか教えてくださいね! さっそく服買ってこようかな。先輩のも見繕います。明日はどこで待ち合わせますか?」
「一緒にお出かけはしないよー」
どさくさに紛れて追撃するが、あえなく躱される。
気づけば隣で歩いていた。琵和が歩調を合わせてくれている。
胸の辺りがむずむずとこそばゆくなった。
「また年齢のせいにするおつもりです? わたしはじゅっ……、19歳、ですけどっ。……こほんっ、先輩は一体おいくつなんですか? ちなみに好みのタイプは?」
「君よりだいぶ年上。あえて言うならお酒をたくさん飲む子が好きだけど、君はまだ飲める年齢でもないし?」
——年齢をサバ読んだことを、これほど後悔したことはない。
まさかの酒豪好みとは、調査不足だ。
(くう……、せめて20歳とか言っておけばよかった! 119歳だからちゃんとお酒飲めるのに……、強くないけど……)
暗闇から気の抜ける鳩の声が聞こえた。
知り合いの鳩が側にいたらしい。揶揄われている。
「無理に合わせようとしないで、同級生なんかと仲良くしたらいい」
「いやですぅ、わたしは先輩と添い遂げるためにここまで来たので! ……ってあれ?」
歩きながら喋っていたら、いつの間にか門の外まで来ていた。
黒塗りの車が停まっていて、後部座席に乗り込んだ彼が手招きする。
「夜遅いし、送るよ。乗らない?」
「乗ります乗りますっ!」
元気よく宣言して駆け込み、寄り添って座る。取り巻きの二人は静かに三列目に滑り込んだ。
行先を聞かれて答えると、車は音もなく走り出す。
(……あっ、しまった!)
学生マンションは近いので、車だとすぐに着いてしまう。
はしゃぐのも後回し。慌ててお腹がすいたと言い募ると、琵和はふうとため息を吐いた。
「どこかお店に寄ろうか?」
「先輩の家! 先輩の家がいいです!」
「却下。うーん、どこかいい場所ないかな……」
急いで希望を伝えるも、あっさり跳ね除けられる。
それでもご飯は一緒に食べてくれるらしい。巴の心は浮き立った。
「琵和さま、こちらはいかがでしょうか」
後部座席の青年がスマートフォンの画面を琵和に見せると、琵和は満足げに頷いた。
「美味しそうだね。巴ちゃん、お肉いける?」
「何でもいけます!」
「よし、じゃあ行こう」
「やったあ!」
歓声を上げて、隣の肩に頭を乗せる。琵和はされるがままだ。
——車に乗せてもらって、夕食まで一緒。今夜はずいぶん距離が近づいた気がする。
(甘やかしてもらえると、ますます大好きになっちゃう。責任取って伴侶にしてくれないかな……)
寄りかかったまま横顔を見つめていると、視線に気づいた琵和が淡く笑う。
巴の鼓動がとくんと跳ねた。
* * * * *
「——今日のお食事、とっても美味しかったです! ごちそうさまでした!」
学生マンションのエントランスで、巴は琵和に頭を下げた。
行ったのは、閑静な街並みに佇む、旅館のような外観のお店。
目の前で焼かれた肉は、舌の上で脂の旨味がじゅわりと広がり、とびきり美味しかった。
隣でご機嫌に日本酒を飲む琵和の姿と合わせて、歴代最高の夕食だったと断言できる。
「この前面倒見てもらったし、そのお礼だと思って。喜んでもらえてよかった」
「えっ、そんな、好きでやったことですよぉ。でも、わざわざありがとうございます」
月明かりに照らされ、琵和がふんわり笑った。
夜なのにまだ熱気の残る空気が漂い、巴の気分をいっそう高揚させる。
——今日の月は、ひときわ綺麗。
巴は琵和の袖をきゅっと摘まんで引っ張った。
「先輩、よければ家に寄っていきませんか? 先輩をお迎えできるように、いつも美味しいコーヒーとお菓子を用意してるんです」
「うーん……。僕にだけと言うのかもしれないけど、それでもこんな夜に異性を家に入れちゃだめだよ」
「もちろん琵和先輩にだけですよ! こう見えて危機管理能力はしっかりしているので、ご心配なくっ」
胸を張ってそう言うと、琵和はどこか含みのある表情を浮かべる。
「そう? 巴ちゃんはちょっとうっかりというか……、守ってあげたくなる子だと思うけど」
「守ってあげたくなる……!? それは具体的に……きゃっ!」
調子に乗って迫ろうとしたところで、植栽から猫が飛び出してきた。
以前痛い思いをさせられたので、巴は猫が苦手だ。慌てて後ずさると、砂利で足元が滑った。
——ふわっ
その不安定な体勢を、いつかのように大きな手が支える。
見上げると、琵和がふっと笑った。少し呆れたように。もしくは、面白がっているのかもしれない。
「ほら、言った通り。……そろそろ家に帰りな。おやすみ」
「あっ、ありがとうございます。……おやすみなさい!」
見惚れていると、軽く背中を押される。
促されるまま頭を下げ、エントランスを抜け、エレベーターに乗って部屋まで戻った。
「……あっ、家に連れ込むの失敗した!」
お風呂まで済ませてから、巴ははっと声を上げた。
「うーん……。でも、今夜はいいや! 色々していただいたんだから、今日はこれで十分!」
背中に触れた力強い手と頭を撫でる柔らかな感触を思い出し、熱い頬を手で包む。
布団の上に転がると、その日はすぐに眠りに落ちた。




