3話 少し近づいた、気がします
「あっ、先輩!?」
思わず声を上げてしまったのも無理はない。
照りつける日差しの中、平坦な道でよろめいたのは、とても見慣れた人影だったから。
「巴、どうしたの?」
「ごめん、先輩のところ行ってくるっ!」
巴は友人たちに詫びると、慌てて外へ向かった。
* * * * *
「琵和先輩!」
「……巴ちゃん?」
先ほどいた場所にほど近い木陰のベンチで、彼を見つけた。
膝に肘を置き、気だるげに俯いている。声を掛けると、ちらりと巴を見上げた。
——顔色が悪い。
「暑さのせいでしょうか……。体調はどうですか? もっと涼しいところに行った方がよさそうです」
「少し落ち着いたら移動するよ」
(いつもの人たちは——って、みんな具合悪そう……!)
後ろに控えていた取り巻きですら、二人ともぐったりと木に凭れている。
取り急ぎ琵和の隣に座り、鞄から水筒を取り出した。蓋にお茶を注ぎ、琵和の口元に持っていく。
「汗はかいてないみたいですが、一応水分を取ってください。……動けますか?」
「ありがとう……。うん、研究棟にでも戻ろうかな」
琵和は小さく首を反らしてお茶を飲み、儚げな微笑みを浮かべた。
巴は気合を入れて立ち上がると、琵和に手を差し伸べた。
「先輩、ちょっとだけ頑張れますか? まずは保健室へお連れします」
「平気だよ、少し休めば……うわっ!」
これでも神の使い。普通の人間よりずっと力持ちである。
中腰になった琵和の腕を肩に担ぎ、ぐっと引き上げた。
彼の手首を胸の前でぎゅっと掴む。もう片方の手は、しっかりと彼の腰に。
「琵和さま!」
「——大丈夫」
支えて立ち上がると、彼の背後から驚いたような声があがった。
琵和がそれを短く制する。
「巴ちゃん、重くない?」
「全然っ! わたしこう見えても力持ちなんですよ! もっと寄りかかってくださって構いません」
ほとんど自力で歩く琵和を軽く支えながら、共に歩く。
肩越しに伝わってくる体温は少し暑い。
時折取り巻きたちの様子も振り返って確認しながら、巴たちは保健室についた。
「はい、じゃあ気を付けて帰ってね」
「ありがとうございました」
保健師から、暑さによる不調だと言われた琵和たち。
少し涼んで休むと、三人とも顔色が戻ってきた。
「落ち着いてよかったです! 先輩、この後は——、あれ? 彼はお部屋に残るんですか?」
保健室の扉を閉めようとしたところで、お付きの男性が部屋に残っているのに気づく。
「保健師さんとお話したいことがあるんだって」
「なるほどです……?」
取り巻きの女性だけがさっと琵和の側につく。
謎は残るが、まあいいかと巴は前に向き直った。
「色々とありがとう、助かったよ。またどこかでお礼をさせてね」
廊下を歩きながら、琵和を見上げる。
先ほどより遠ざかった距離が少し寂しい。
「全然お構いなく! これでわたしのことを頼れる伴侶候補と見なしてくだされば最高ですが。……このあとはどちらまで?」
「家に戻るよ。……はあ、外がこんなに暑いと知っていれば外出なんてしなかったのに」
うんざりしたように窓の外を睨む琵和は、むくれる少年のようでとても可愛らしい。——はぐらかされるので正しい年齢は知らないが、119歳の鳩からしたら、人間の20歳も30歳もそう変わらない。
打ち解けてくれたのかな、なんて思うと、巴の口角はにんまりと上がった。
「まだ外は明るいので、すぐに出歩くのはよくないです! もっと涼んだ方がいいはずです!」
「大丈夫、車で帰るしすぐに冷房をつける……、巴ちゃん?」
うずうずしている様子に気づいたのか、きょとんと目を瞬いて巴を見下ろす。
目が合うと、琵和はふっと笑った。
「巴ちゃんがしたいことをしようか」
「そっ、それならそこの図書館へ行きませんか? もし体調もよくなっていて、差し支えなければですが! ……お勉強を教えてほしいなぁ、なんて」
「構わないよ。役に立てればいいけど。……英語は少し苦手なんだ」
はにかむ姿の愛らしさに、強く胸を打ち抜かれた。
今日だけで何度庇護欲を刺激されたことか。巴はついブラウスの胸元を掴んだ。
(うぅ、守りたい……。このあどけなさ、絶対に守る……)
「わ、わたしも英語は苦手ですので、極力避けてます……。ふう……」
若干震える声でそう答え、ゆっくり深呼吸をした。
手の力を抜き、視線を持ち上げる。
「ぶっちゃけてしまいますと、勉強は口実で図書館デートがしてみたかっただけなんですが!」
「今回はたくさん面倒を見てもらったからね。したいことに付き合うよ」
「わーっ、図書館デートですね!」
胸の前で手を組み、ぴょんと飛び跳ねる。
そのまま胸に飛び込むと、少しして、琵和の手が巴の背中でぽんぽんと弾んだ。
抱きしめ返してくれるわけではないが、今はこれでいい。
触れたところから、痺れるような安らぐような、不思議な心地が広がった。
* * * * *
「やっぱり琵和先輩って、わたしのことけっこう好きかも!」
『ホーホー、ホッホ……』
「いや、絶対勘違いじゃないよ!」
マンションの一室、布団の上で、巴は枕を抱えて転がった。
(だって、どう考えたってわたしに甘いもん……)
取り巻き以外とはほとんど言葉を交わさないのに、巴が話しかけたら足を止めて一緒にお喋りをしてくれる。
その取り巻きにも少しそっけない態度なのに、巴には笑顔を見せてくれる。
「でも、周りの子たちに目を向けなさいとも言ってくる! はあ、つれない先輩はどうやったら揺さぶれるかなぁ?」
今日は巴のことを頼ってもらえたし、今まででいちばん心の距離が近かった気はする。
「あと一歩ってところかな? でも先輩って自分のこと全然教えてくれないから謎に包まれすぎててぇ……!」
『ホッホー』
「うっ、わたしも正体を明かしてないくせにって? だって……。あの時助けてもらった鳩です、あなたが気にしている年齢差についてもわたしの方がきっと100歳近く年上なのでなんの問題もありません!」
きりっと胸を張ってから、どんよりと肩を落とした。
「こんなのさすがに言えないよ、はぁ……」
ごろりとうつ伏せになり、ため息を吐く。
琵和攻略のためには、まだまだ課題は多そうだ。




