2話 恋する鳩の努力
——公開告白で玉砕するまで、巴の人間生活は、わりとうまくいっていた。
恋する鳩は、助けられた翌日から動き出した。
神社からそう離れられない巴に代わり、鳩たちが青年を探して飛び回る。
宮司が神社にいてくれる日は巴もあちこち空を巡り、とうとう彼がよく訪れる場所を突き止めた。
『ホッホー!』
恋しさを抑えきれず、巴はうきうきと飛んで行った。しかし、見かけることすらできず、消沈して帰る日が大半だった。
『……ホッホー』
今日もいない。
道端で項垂れ、雑草をつついていたとある夕方のこと。
「あれ、あの時の鳩ぽっぽだ」
『ポッ!』
待ち焦がれた声に、巴は勢いよく顔を上げた。
足元までぽてぽてと走ると、彼はにっと笑ってその場にしゃがんだ。差し出された指に、巴は頬をこすりつける。
——気づいてくれて、嬉しい!
「お腹空いているの? 何かあったかな……、これ食べる?」
巴が翼を震わせて喜んでいると、琵和は鞄からパンを取り出した。
小さくちぎられたそれを食むと、触れた嘴から、胸の奥まで心地よい温もりが広がっていくようだった。
『ホッホー……』
住処に戻った巴は、いっそう思いが募るのを感じた。
もっと一緒にいたい。番いたい。
巴が人間だったら、そばにいて連れ添うこともできるのに。
毎日そっと願っていると、ある日、神さまが巴の姿を人に変えてくれた。
百年に一度くらい、同じ願いを抱く鳩が現れるらしい。
よく見知った宮司の娘として戸籍を与えられ、当時105歳だった神使の鳩は、五歳の人間の女の子になった。
(あの男の子は若く見えたから、これくらいがちょうどいいはず……!)
小学校への入学まで半年もない。そんな状況で、巴の人間生活は始まった。
「うぅ、あ……? こん、に……、ち、は。……なに、これぇっ!」
初めて人の声帯を震わせて喋った時、巴はその不思議な感覚に笑った。
手で物を握るのは難しかった。飛べない生活は、今でも少し不便だ。
箸を持つ。
座って、転がって、立つ。
服を着て、お喋りをする。
(あの人の隣にいてもおかしくないように。再会したらすぐに仲良くなれるように……)
宮司さん一家と暮らして、十数年。ゆっくり懸命に、巴は人間らしい振る舞いを覚えていった。
いまだに完璧とは言えないし、苦労も多い。
特に英語なんて、神使には音も文字も不可解すぎる。おかげで巴は一年浪人させられた。
それでも巴は諦めなかった。
周囲に助けられ、神さまにも見守ってもらいながら、目の前にあることを一つ一つこなしていく。
人間の生活は制約が多く、すぐに会いに行くなんてできなかった。だから、仲間たちから得るささやかな彼の情報を心待ちにした。
——今日も黒い服を着ていた。車で移動することが多い。木の上で眺めていたら彼と目が合った気がする。
そんな小さな知らせを何度も聞いて、時に浮かれ、時に仲間たちを羨みながら、巴は彼の隣に立つ想像を膨らませて過ごした。
そうして巴は、期待を胸に、入学式の日を迎えた。
* * * * *
「なのに肝心の告白がうまくいかないなんて……」
昼休みの食堂で、巴はがっくりと肩を落とした。
それを慰めるのは、巴が入学式で出会った若い子どもたちだ。
「巴ちゃん、勇気あるよね。先輩に会いたくてこの大学選んだって言うし」
「小学生の頃からずっと好きなんだっけ? 情熱的ぃ」
「そう、勇気も情熱も十分にある! 何がいけないんだと思う?」
頼んだ蕎麦を啜りながら、かっと目を見開いて尋ねる。面倒見のいい彼女たちは、親身になって考えてくれた。
「うーん、助けられたっていうその日を先輩が覚えていないなら、初対面ってことだし……。そんな子にみんなの前で告白されたらちょっと怯む、かもね?」
「先輩、恥ずかしがり屋さん!?」
だったらどう攻めていこうかな。
懲りずたくらみ顔をする巴を見て、少女たちは思わず笑った。
「琵和先輩っ、一緒に食事をしませんか!」
午前の講義が終わり、研究棟の出入口へ急ぐ。ちょうど出てきた琵和に、巴は駆け寄った。
(ちゃんと周りに人はいないことを確認したし、これで先輩も安心して絆されてくれるかな?)
前日に貰った助言をさっそく活かす巴である。
琵和は驚いた様子もなく、巴に視線を向けた。陽の光を浴びて、黄味がかった緑褐色の髪がつやつやと光る。
「食堂の色々なメニューを試してみたくて。もちろん、どこか別のお店でも大歓迎です!」
「食事はもう済ませたよ。そういうのは入学したての時期ならではの楽しみなんだから、他のお友達と行ってきな」
「別の日に行くことになってます! ……でも、もう先輩はお食事済ませてしまいましたかぁ。うーん、どこで食べようかなぁ、何を食べようかなぁ……」
お腹に手を当てて肩を落とすと、琵和は微かに笑った。そして、後ろに控えていた青年から鞄を受け取る。
かさりと音を立てて取り出されたのは、綺麗に包装されたパンだ。
「こんなのでよければどうぞ。午後からの講義がもうすぐ始まるし、早めに何か食べておいたほうがいい」
鳩の巴を助けてくれたあの時と同じ優しさを感じ、胸がじんわり熱くなる。
巴は喜びのあまり、その場で跳ねた。
「た、大切に食べます! ……よろしければ、その間一緒にいてくれませんか? 一人だと寂しくて……」
近くにある木陰のベンチを指さし、哀れっぽく目を潤ませる。
後ろの青年が一歩前に出ようとするのを琵和は一瞥して抑え、小さく嘆息した。
「いいよ、ほら座って」
「わあ! ありがとうございますっ、これで午後からも頑張れます! えへへ、先輩って普段は——」
それからも、巴は折を見て琵和の元へ駆け付けた。少し話をして、ごくまれにランチを共にして、やれやれと笑う琵和に見惚れる。
そんな日々を繰り返すうちに、蝉が鳴き始める季節になった。
友人たちは生温かな目で応援してくれるようになり、琵和とも少し親しくなった気がする。
最近気づいたが、彼が取り巻き以外の人と話しているのを一度も目にしたことがない。
神秘的な雰囲気のせいか、彼に近づこうとするのは巴ばかり。
(取り巻きの中に女の子も混ざっているけど、上司と部下みたいな固い雰囲気だし……。あの人たちって何者なんだろう?)
彼を囲む人々は何人かいて、普段は二、三人ずつ交代しているようだ。
ああやって人を従えるのは、ドラマか神界でしか見た試しがない。
「各班、次回までに発表資料を仕上げておいてくださいね!」
鉛筆を揺らし、唇を尖らせながら考えていると、壇上の教授が声を張り上げた。
同時に鐘が鳴り、講義が終わる。
「——ふう。一応まとまってよかったね、羽田さん」
筆記具を片付けていると、隣に座っていた学生に声を掛けられた。
「そうだね。発表者はくじ引きで決めておく?」
「いいよ。……って、わたしかぁ。でも資料が完璧だからまだ安心。頑張りまーす」
「よろしく!」
学生らしい会話を交わしてから彼らと別れ、友人の元へ歩いていく。
何気なく外に目を遣ると、危うげにふらつく人影が見えた。
「……あっ、先輩!?」




