10話 金蒔絵の簪
「遅くなっちゃったけど、誕生日おめでとう」
真向かいに座る琵和に告げられて、巴は目を丸くする。
初めてのお給料をもらった翌日、琵和を誘って市内のカフェに来ていた。
今日は、巴がご馳走すると決めていたのだ。
「ありがとうございます! わあ、プレゼントまで……、あっ、これ!」
差し出された箱の包装を解いていくと、中から出てきたのはいつかお店で眺めた簪だった。
金蒔絵が美しく、とんでもない金額の。
「この前見ていたから、どうかなって。あの後なんだか慌ただしくて渡すのが今になってしまった」
「う、嬉しいです! 絶対大切にします……」
手に取って胸の辺りで抱きしめる。
今すぐにでもつけてしまいたいが、あいにく巴の髪は肩のあたりでふわふわしているばかり。
「今度しっかり和装した時につけます! ……着物デート、素敵かも。どこかお祭りか温泉とか……。先輩、次予定が空いている日っていつでしょう?」
想像しただけで口元が緩んだ。
いつもみたいに断られるだろうが、粘ればたいてい勝てる。
押し切るつもりで身を乗り出すと、琵和は少し考えるような素振りを見せた。
「あっ、琵和先輩揺らいでますかっ? もうそろそろ付き合ってもいいかなって思っていらっしゃいます!?」
声が分かりやすく弾み、目はきらきらと輝く。そんな巴に、琵和は柔らかく苦笑した。
「うーん、巴ちゃんは大学の男の子に目を向けてもいいんじゃないかなとは思ってるけどね。ただ、簪をつけているところは見たいかな。きっと似合うだろうから」
「和装がお好みということはしっかり覚えておきますねっ」
前半のつれない言葉は聞き流そうとしたが、やはり気になる。
「……ちなみに先輩って、何歳なら恋愛対象にできるんです? わたしのことはまだまだお子様に見えますか?」
「巴ちゃんは可愛いんだけど……。こう、例えばだけど、100歳の老人がひ孫くらいの子供に慕ってもらえたら、きっとただ微笑ましい気持ちになるだけでしょ? そんな感じというか……」
(実年齢でいえばわたしが100歳の老人枠になっちゃうけど! 全然琵和先輩にときめいちゃってますけど……!)
何気なく口にされた言葉が自分に重なり、ぐさりと言葉が突き刺さる。
(じゃあ、実はわたしこそおばあちゃんなんですよと言えばいいわけ? そうすれば快諾してくれるの!?)
あり得ない妄想にべしょりと俯くと、優しい手が頭を撫でる。
「今日もこの後バイトなんだっけ? あまり無理しすぎないでね」
「むしろとっても楽しいです。今月琵和先輩がお忙しくてお会いできない日は全部シフト入れちゃいました!」
「僕の予定はなんで……、琵里亜か」
今度は琵和の方が小さく肩を落としたので、巴は笑ってその肩をさすった。
わずかに俯いた彼が、気だるく視線を持ち上げる。その瞳には呆れと受容が滲み、巴の胸を疼かせた。
——なぜだか好きな人のお姉さまは、巴の味方でいてくれる。
バイト仲間になった央や朗の力も借りられたらいいと、巴は笑みを綻ばせた。
* * * * *
「とは言っても、こちらの皆さんはガードが固いんだけどねぇ……」
「何か?」
「あっ、いえ、何でもないです!」
100歳近く年下の人間相手にまごつく鳩。
今はアルバイト中、雑貨屋の店内では、央と巴の二人きりだった。
ぽつぽつと来ていた客も、閉店間際の時間帯はほとんど見られない。
こういう機会を逃さず世間話などを振ってみるのだが、央は端的に受け答えをするのみ。
(うぅ、第一印象そのままの生真面目さんめ……! こんな調子じゃあ琵和先輩のことなんて聞き出せないよぉ)
くすんと鼻をすすり、巴は眉を下げた。
手持ち無沙汰に掃除でもしようと、はたきを持って店内をうろつく。
ふと、正面のガラスケースに目が行った。
少し前まで、あそこには琵和から贈られた簪が飾ってあった。今は小ぶりな梅が繊細に描かれた、やはり金蒔絵の簪が飾られている。
「……えへへ。先日までここに置かれていた蛇と流水の簪分かりますか? あれ、実は琵和先輩に誕生日の贈り物としていただきまして!」
昼の喜びがこみあげて、つい口にしてしまった。
自慢のように聞こえてしまうかな、と咄嗟に口を手で覆って振り返る。
「琵和さまから伺いました。包装をしたのは私なんですよ」
すると、そこには今まででいちばん表情の柔らかい央がいた。
勇気づけられ、もう少しお喋りを続けてみる。
「綺麗な包装をありがとうございました! ……値段知ってます? とんでもなく高くて。社割とかあればまだ少しは心も軽くなるのですが」
(……あ、笑った)
冗談めかして話すと、央の目元がさらに和らいだ。
普段がかちこちの硬派なだけにギャップが大きい。同じ女性だが、胸がとくんと跳ねた。
「社割はございませんが、琵和さまがお金に困ることもございませんので大丈夫ですよ」
「なんと……! ふふ、あんなに素敵なものをいただけて、もしかして琵和先輩ってわたしに好意がおありなんじゃないかって、ちょっとうぬぼれちゃいます」
「琵和さまは気に入った者へお与えになることを好む方ですので、巴さんは十分に好かれていらっしゃると思います」
「なんと……!!」
巴はぴょんと跳ねた。身内側からの思わぬ証言に心が躍る。
それからあることに気づき、口元に手を添えて恐る恐る尋ねた。
「気に入った者って……、これまでもわたしみたいに贈り物を受け取った女性っているんですか……?」
そう、他の女性の影について。
今までそんな話は誰からも聞いたことがない。しかし、その口ぶりだともしかして——。
「装飾品は、巴さんだけかと」
(特別扱いしてもらってる! これはやはり、脈あり……!)
「——ほかは必要に応じたものや施しを、老若男女問わず。私もその恩恵に浴した者の一人です」
心の中で喝采をあげたのも束の間。
意味ありげな言葉選びは、巴にとあることを想起させる。忠誠を捧げる者、施しを与える者。そんな関係性の。
ふるりと頭を振り、気を取り直して質問を続ける。
「ちなみに、央さんが琵和先輩にもらったものって何なんですか……?」
央は答えた。
これまで見た中でいちばん朗らかで、慕わしげで、けれど力強い光の灯った眼差しで。
「……名と、生き甲斐を」
その言葉はなぜか重く響き、巴は言葉を返せなかった。




