第3話:睡眠魔法は効きません
街道に出た長夢の目に飛び込んできたのは、三人の若い冒険者パーティが馬車を背に立ち回る姿だった。
彼らを包囲しているのは、額に奇妙な紋様を持つ、十数頭の灰色の狼たち。
「くそっ、数が多すぎる! ルミア、魔法の詠唱はまだか!?」
「だ、ダメ、こいつら普通のウルフじゃない! 『催眠狼』よ! 早く耳を塞いで――!」
杖を構えた魔法使いの少女――ルミアが叫んだ直後だった。
ヒュプノウルフの群れが一斉に天を仰ぎ、奇妙な遠吠えを上げた。
ワォォォォォン……。
それは耳から入る音というより、脳に直接響くような不快な共鳴だった。空間が歪むような感覚とともに、紫色の靄が広がる。強力な範囲睡眠魔法だ。
「あっ……ヤバ、い……」
「剣が、重……」
前衛で剣を振るっていた剣士と、盾を持っていた戦士が、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
ルミアも杖を杖代わりにして必死に立とうとするが、抗いがたい強烈な睡魔に膝を折る。
「ウゥ〜〜……」
冒険者たちが無力化されたのを見て、ヒュプノウルフたちはゆっくりと包囲の輪を縮め、鋭い牙を剥き出しにした。ルミアは絶望に目を閉じる。
「おっと、そこまでだ」
狼たちの背後から、軽い声が響いた。
間一髪で駆けつけたオサムだ。
突然の乱入者に警戒した狼たちは、オサムに向かって一斉にあの紫色の靄を吹き付けた。ルミアたちを一瞬で眠らせた、強力な睡眠魔法だ。
(ん……?)
まともに靄を浴びたオサムは、ふわりとした心地よさを感じた。
春の陽だまりにいるような、ちょっと油断したらうとうとしてしまいそうな、軽い眠気。ステータスの【状態異常耐性(睡魔)】が働いているとはいえ、本来なら人間を昏睡させるほどの強力な魔法なのだろう。オサムの脳に「休め」と微かなシグナルが送られてくる。
「なるほど、これが睡眠魔法か。なかなかいい技を持ってるじゃないか」
オサムは余裕の笑みを浮かべた。
「だが、甘いな。ショートスリーパーを舐めるなよ」
オサムは武器を構えることなく、すっと両足を肩幅に開いた。
そして、背筋を伸ばし、両腕を胸の前でクロスさせる。
「いち、に、さん、しっ!」
オサムは、その場で小気味よくスクワットを始めた。
「……え?」
薄れゆく意識の中で必死に目を開けていたルミアは、自分の目を疑った。
助けに来てくれた謎の青年が、なぜか魔物の群れのど真ん中で屈伸運動をしているのだ。狼たちも「こいつ何してんの?」とばかりに呆気にとられ、動きを止めている。
「ごく、ろく、しち、はち! ふぅ、よし!」
十数回のスクワットを終えたオサムの瞳から、先ほどの微かな眠気は完全に消え去っていた。
前世で学んだメソッドの基本だ。
眠気というのは、血流が滞ったり、体温が下がったりしたときに感じやすい。つまり、下半身の大きな筋肉を動かして血流を全身に送り込み、心拍数を上げてやれば、大抵の眠気は吹き飛ぶのである。
異世界の魔法だろうがなんだろうが、肉体のメカニズムに従っている限り、物理的なアプローチで対抗できる。
「血行が良くなって、完全に目が覚めた。さあ、第二ラウンドといこうか」
バッチリ覚醒したオサムは、一晩の狩りで手に入れた新しい力――レベル12の圧倒的な身体能力を解放した。
地面を蹴り、狼の群れに飛び込む。
狼たちが反応するより早く、その拳が狼の顎を撃ち抜く。レベル1の冒険者なら苦戦する相手でも、一晩中魔物を狩り続けてレベルを上げたオサムにとっては、もはやスローモーションにしか見えなかった。
「はあぁっ!」
打撃と、初歩的な風の魔法を組み合わせた連続攻撃。
ほんの数十秒の間に、十数頭いたヒュプノウルフはすべて光の粒子となって消え去った。
「ふう。いい運動になった」
オサムが額の汗を拭っていると、地面に倒れていたルミアが、信じられないものを見るような目で彼を見上げていた。
「あ、あなたは……いったい……?」
「俺? 俺はミネ・オサム。ただの通りすがりの……」
オサムは言いかけて、ふと思いついたようにニヤリと笑った。
「睡眠を極めし者、かな。まあ、起きたばっかりで寝起きが悪かったらごめんよ」
ルミアはポカンと口を開けたまま、彼を見つめる。
こうしてオサムは、異世界で初めての「まともな(?)」人間関係を築く第一歩を踏み出したのだった。




