第19話:おやすみなさい、そしておはよう
石畳の地面に倒れ伏した魔王軍幹部・夢魔の王ザンデは、目の前に立つ峰長夢を見上げて、歯痒そうに唇を噛み締めた。
三日三晩に及ぶ激戦の末、圧倒的な魔力誇る魔族の軍勢は、今や見る影もなく瓦解していた。
「な、なぜだ……」
ザンデの声はかすれ、その巨体から漏れ出る魔力は消えかけのロウソクのように揺らいでいる。
「なぜ、そこまでして起きている……? 人間など、ただ生きているだけで苦しく、哀しい生き物ではないか。長い眠りにつくことこそが、その苦しみから逃れる唯一の救いのはずだ。なぜ、自ら進んで時間を欲しがり、戦い、動き続ける……?」
その問いに、オサムは剣を軽く地面に突くと、少しだけ呆れたように、しかし温かい笑みを浮かべた。
「救い、ねえ」
オサムは空を見上げた。夜が明けかけ、東の空が淡い群青色から優しい茜色へと変わり始めている。
「確かに人生は大変だし、思い通りにならないことだらけだ。でもな、だからこそ面白いんじゃないか」
オサムはザンデに真っ直ぐ視線を戻した。
「新しい物語のプロットを考えること。夜中の静けさの中で誰にも邪魔されず最高の本を読むこと。仲間たちと美味い飯を囲んで笑い合うこと。この世界の美しい景色を、隅々までこの目で味わい尽くすこと」
オサムは両手を広げ、自分の胸を叩いた。
「やりたいこと、知りたいこと、楽しみたいことが、この世界には山ほどあるんだ。睡眠を単なる『現実逃避の隠れ家』にするには、人生はあまりにももったいない。俺はね、起きている時間のすべてを愛しているからこそ、睡眠すらも効率よく楽しむのさ」
「起きている時間のすべてを……愛している……?」
ザンデは目を見開いた。
眠りによって苦しみから目を背けさせることが「救い」だと信じていた魔族にとって、オサムの「起きることを愛する」という生き様は、眩しすぎて直視できないほど圧倒的な生命力に満ち溢れていた。
「……負けたよ。私の負けだ」
ザンデはふっと力を抜き、石畳の上に大の字に寝転がった。その表情には、不思議とどこか晴れやかな諦めが浮かんでいた。
「お前の言う通りかもしれんね。……たまには、私も長く眠るのをやめて、世界を見てみるか……」
呟いた直後、ザンデの体は光の粒子となり、朝の風に溶けるようにサラサラと消えていった。
後に残されたのは、彼が持っていた黒い結晶ではなく、朝露を浴びてキラキラと輝く一輪の花だった。
――静寂が、戻ってきた。
空を覆っていた禍々しい暗雲は完全に晴れ渡り、ファルガスの街の向こうから、眩しい朝日が一筋の光となって差し込んでくる。
城壁の上や街の通りから、次々とギルドのメンバーや兵士たちが顔を出した。誰もがすっきりと目を覚まし、清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。
「オサム! 勝ったぞおぉーーっ!!」
カインが剣を高く掲げて叫ぶと、街中から割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
ルミアやドン、そして育成ギルドの生徒たちも駆け寄り、オサムを中心に大きな輪を作って飛び跳ねる。
「お疲れ様、みんな。最高のチームだったよ」
オサムは仲間たちの笑顔を見渡し、胸の熱い高鳴りを感じながらぐっと伸びをした。
体内時計が正確に「45分間の完了」を告げる。
――スゥッと満ち足りた意識の波が引き、完璧な覚醒が訪れる。
オサムは朝日を背負い、かつてなく晴れやかな笑顔で、集まった人々に声を張り上げた。
「おやすみなさい、そして――おはよう、異世界!」




