第15話:魔王軍の不穏な動き
陽の光が届かない、魔王領の奥深く。
荒涼とした大地にそびえ立つ漆黒の城の一室で、魔王軍幹部の一人である『夢魔の王』ザンデは、苛立ちとともに玉座の肘掛けを叩き割った。
「どういうことだ……! ファルガス領から供給される『陰の魔力』が、ここ数ヶ月で激減しているではないか!」
ザンデをはじめとする夢魔の眷属たちは、人間が深い眠りについている間に発する無防備な魔力や、悪夢による負の感情を食い物にして力を蓄える魔族である。人間が長く眠れば眠るほど、そしてその眠りが質の悪いものであるほど、彼らの軍勢は強大になるのだ。
しかし最近、ファルガス領からの魔力供給が完全にストップしていた。
「も、申し訳ございません、ザンデ様……。ファルガスの街の人間どもが、夜になっても全く寝ないのです」
配下の夢魔が、震えながら報告する。
「寝ないだと? 脆弱な人間が、睡眠を我慢できるはずがなかろう」
「それが、我慢している様子もなく、夜通しニコニコと働いたり、活発に剣の稽古などをしたりしておりまして……。我らが強力な睡眠魔法を遠隔から仕掛けても、『おっ、ちょっと眠いな。スクワットするか』などと謎の屈伸運動で弾き返される始末でして……」
「なんだそのふざけた対抗策は! 魔法を物理的な筋肉の動きで相殺するだと!?」
ザンデの怒号が部屋を揺らす。
配下の報告によれば、一人の特異な人間が街に現れ「ショートスリーパー」なる狂ったメソッドを布教しているという。「睡眠は趣味」「光を浴びろ」「血糖値をコントロールしろ」などという、魔族からすれば冒涜としか思えない教えだ。
「人間が起きている時間を謳歌し、命を輝かせるなど、我ら魔王軍に対する重大な脅威だ。あのような活力を放置すれば、やがて他の街にも伝染し、我らの存立基盤が崩れ去る」
ザンデは立ち上がり、禍々しい紫色の魔力を全身から立ち昇らせた。
「私自ら軍を率いてファルガスを強襲する。我が奥義『永眠の霧』で、あの忌まわしい不眠の街ごと、永遠の深い眠りに沈めてやろう」
***
一方、その頃。
ファルガスの街、『異世界ショートスリーパー育成ギルド』の講堂では、オサムがいつも通り生徒たちに講義を行っていた。
「いいですか、活動時間が増えたからといって、キャパシティ以上の仕事を引き受けてはいけません。『余白の時間』を作ること。それがメンタルを安定させ、結果的に睡眠の質を高く保つ秘訣です」
生徒たちが熱心に羊皮紙にメモを取る中、バンッ!と勢いよく扉が開かれ、血相を変えたカインが飛び込んできた。
「オサム、大変だ! 領主様からの緊急召集だ!」
「どうした、カイン。そんなに慌てて。まずは深呼吸をして、副交感神経を優位にしてから話せ」
「悠長なこと言ってる場合じゃない! 街の東から、見たこともない規模の魔物の大群が押し寄せてきてるんだ! しかも、部隊を覆う不気味な霧を吸った冒険者の斥候部隊が、次々と昏睡状態に陥って帰ってこないらしい!」
講堂がざわめいた。
オサムは手に持っていたチョークを置き、静かに目を伏せた。
「……地下迷宮の呪印石。やっぱり、本隊が動き出したか」
「領主様は城門を固めて籠城戦を指示している。でも、あの『眠りの霧』が街の防壁を越えて入り込んだら、一般市民は一溜まりもないぞ……!」
カインの言葉に、講堂の生徒たち――元はただの職人や商人である彼らも、顔を青ざめさせた。
だが、オサムはふっと笑みをこぼし、教壇から生徒たちを見渡した。
「安心しろ、カイン。相手の武器は『眠りの霧』なんだろ?」
オサムの余裕のある声が、ざわめきをスッと鎮める。
「皆さんは、誰よりも睡眠を最適化し、睡魔をコントロールする術を学んできた。いわば『起き続けることのプロフェッショナル』だ。眠りの霧なんて、寝起きの悪い朝のモヤモヤみたいなもんですよ」
オサムの言葉に、生徒たちの顔から恐怖が引き、確かな自信の光が戻り始めた。そうだ、自分たちはもう、不意の睡魔に怯えるような弱い人間ではないのだ。
「俺たちの『楽しい時間』を奪いに来る無粋な客には、最高のおもてなしをしてやろうじゃないか」
オサムが宣言すると、ギルド生たちは力強く立ち上がり、それぞれの武器や商売道具を握りしめた。
魔王軍幹部・夢魔の王と、眠らない街の住人たち。
異世界史上かつてない「究極の徹夜防衛戦」の火蓋が、今、切られようとしていた。




