第14話:睡眠薬より効く自己暗示
地下迷宮の最奥。
オサムが拾い上げた『呪印石』――魔王軍の幹部が残したであろう黒いクリスタルが、突如として禍々しい脈動を始めた。
「なっ……!?」
オサムがクリスタルを手放そうとした瞬間、それよりも早く石から漆黒の霧が噴き出し、オサムの全身を包み込んだ。
「オサム!!」
カインたちが慌てて駆け寄ろうとするが、目に見えない障壁に阻まれて弾き飛ばされてしまう。
「くそっ、結界か!? オサム、無事か!?」
「……あ、あぁ。なんとも……ない……」
オサムは立っていた。しかし、その声はひどく掠れており、視界は急激に暗く狭まっていた。
先ほどのバクが放った「心地よい微睡み」とは次元が違う。まるで脳髄に直接、大量の麻酔薬か睡眠薬を注射されたような、暴力的で強制的なシャットダウンの感覚。
オサムの脳裏に、警告のウィンドウが赤く点滅して浮かび上がった。
【状態異常:強制昏睡(呪)レベル99】
※【状態異常耐性(睡魔)】の許容量を超過。意識の切断まで、残り10秒。
(なるほど……魔王軍とやらの幹部の呪いか。耐性スキルを上回るほどの、強烈な強制力……)
オサムの膝がガクンと折れ、地面に手をついた。
物理的な眠気ではない。魂そのものを眠りに引きずり込もうとする、圧倒的な呪縛だった。スクワットで血流を上げようにも、指一本まともに動かせない。
「オサム! 今すぐ解呪の魔法を……!」
結界の外でルミアが必死に杖を振るが、高位の呪いには通用しない。
意識の切断まで、残り5秒。
(……だが、甘いな)
薄れゆく意識の中で、オサムは口角をわずかに吊り上げた。
前世の記憶。現代日本において、強力な睡眠薬を飲んだにもかかわらず「どうしても起きていなければならない」という強烈な意志を持った人間が、薬の効力をねじ伏せて一晩中起き続けてしまった、という事例がある。
人間の脳には、化学物質や外部からの強制的なシグナル(呪い)すら凌駕する、「究極の自己暗示」の力が備わっているのだ。
目覚まし時計を使わずに、設定した時間に1分1秒の狂いもなく起きる技術。それもまた、ショートスリーパーが身につけるべき強力なメンタルコントロールの一環である。
(俺の活動時間は1日23時間15分。今はまだ、その途中だ)
オサムは目を閉じ、自身の脳の奥底に直接語りかけるように、強烈なイメージを刻み込んだ。
――俺の交感神経は優位に働いている。
――脳波は完全に覚醒を示すβ波。
――俺は今、極めて快適で、活動的だ。
呪いが「眠れ」と強要するシグナルを、オサムの凄まじい自己暗示が上書きしていく。
意識の切断まで、残り1秒。
「……起床設定」
オサムは、静かに呟いた。
「現在時刻。――おはよう、俺」
パチンッ!
オサムが自らの指を鳴らした瞬間――彼を縛り付けていた強制昏睡の呪縛が、文字通りガラスのように粉々に砕け散った。
同時に、周囲を覆っていた漆黒の霧と結界も、跡形もなく消え去る。
「ふう……。やっぱり、起き抜けのストレッチは欠かせないな」
オサムは何事もなかったかのように立ち上がり、首をポキポキと鳴らしながら背伸びをした。先ほどまでの絶望的な睡魔は、嘘のように消え去っていた。
「お、オサム……!? お前、今の高位の呪いを、どうやって……!?」
ドンが目玉が飛び出んばかりに驚愕する。
「『自分は今から起きる』って、脳に強く言い聞かせただけさ。どれだけ強力な呪いだろうが、自分の意識をコントロールする主導権だけは、絶対に他人に渡しちゃいけない。それが、ショートスリーパーの鉄則だからね」
オサムは足元に転がった、力を失いヒビの入った呪印石を、ブーツの底で踏み砕いた。
「どうやら、魔王軍の幹部とやらは、俺たち『眠らない街』の住人がよっぽどお気に召さないらしい」
オサムの言葉に、カインたちも武器を握り直し、引き締まった表情になった。
「上等だ。俺たちの『充実した時間』を邪魔する奴は、誰であろうと容赦しない」
オサムの瞳には、かつてないほどの鋭い闘志が宿っていた。
睡眠を愛し、活動を愛する男と、人々を深い眠りに落とそうとする魔王軍。
両者の本格的な衝突は、もはや避けられないものとなっていた。




