第13話:二度寝の誘惑という魔物
ファルガスが「眠らない街」として活気づく一方で、異世界ショートスリーパー育成ギルドには、ある深刻な相談が相次いでいた。
「オサム先生……申し訳ありません。今朝、起きたあとに布団の中で『あと5分だけ』と目を閉じたら、昼まで寝過ごしてしまいました……」
「私もです……。せっかく4時間睡眠が定着していたのに、ここ数日、ものすごい多幸感に包まれた謎の睡魔が朝方に襲ってきて……」
ギルドの講堂で、一期生の生徒たちが次々と項垂れている。
オサムは腕を組み、深刻な顔で唸った。
「二度寝、か……」
二度寝。それはショートスリーパーにとって最大の敵である。
目覚めた後に再び眠りにつくと、脳は中途半端な睡眠サイクル(ノンレム睡眠)に逆戻りしてしまい、次に起きた時に強烈な「睡眠慣性(頭のダルさ)」を引き起こす。1日中パフォーマンスが落ちる、百害あって一利なしの悪習だ。
しかし、生徒たちはすでに厳しいルーティンを身につけている。一斉に二度寝の誘惑に負けるなど、どう考えても不自然だった。
「オサム、ギルドマスターから緊急の知らせよ!」
講堂にルミアが飛び込んできた。
「街の地下下水道の奥で、未知の迷宮が発見されたの。そこから、街中に向かって奇妙な魔力が漏れ出してるって!」
「……なるほど。二度寝パンデミックの原因はそれか」
オサムはカインたちを連れ、すぐさま地下迷宮へと向かった。
***
地下迷宮の最奥。
そこには、巨大な綿毛のようなフワフワとした姿を持つ、半透明の魔物が浮遊していた。周囲には甘い香りのするピンク色の霧が立ち込めている。
「あれは……『微睡みのバク』の変異種だわ!」
ルミアが叫ぶ。通常のバクは悪夢を食べるだけの無害な魔物だが、目の前の個体は明らかに異質なオーラを放っていた。
『……ガンバッタネ……ツカレタヨネ……』
バクが鳴き声を上げると、ピンク色の霧がドーム状に広がり、オサムたちを包み込んだ。
以前戦ったヒュプノウルフの「強制的な睡眠魔法」とは違う。それは、冬の朝に暖かな羽毛布団に包まれた時のような、極上の安心感と甘い誘惑だった。
『……モウ、アサダケド……アト5フン……ネンネシテ、イイヨ……』
「あっ……」
先頭に立っていたカインの膝が、カクンと折れた。
剣を杖にして必死に堪えようとするが、その顔はすっかり緩みきっている。
「そうだ……俺、最近すっげえ頑張ってるし……。5分くらいなら、目を閉じても……」
「わたしも……ちょっとだけなら……毛布、あったかい……」
カインとルミアが、次々と石畳の床にゴロンと横たわり、幸せそうな顔で丸くなってしまった。屈強なドンでさえ、壁によりかかってうっとりと目を閉じかけている。
これこそが、この魔物の恐るべき能力【二度寝の誘惑】だった。強制ではない。「自らの意思で眠りたくなる」のだ。
「カイン! ルミア! 目を覚ませ!」
オサムは舌打ちをして、二人の肩を揺すった。しかし、二度寝の快楽に沈みかけた彼らは「んふふ……オサムも一緒に寝ようぜぇ……」と寝言を言うばかりだ。
『……キミモ……ガンバリスギ……オヤスミ……』
バクがオサムに向かって、ひときわ濃い霧を吹き付けた。
極上の布団の感触、母の胸の中のような安心感。脳が「休め」と甘く囁く。
だが。
「――舐めるなよ」
オサムの瞳には、微塵の濁りもなかった。
「5分だけ? 冗談じゃない! 二度寝で得られる快楽なんて一瞬だ。その代償として、分泌されかけた覚醒ホルモン(コルチゾール)が乱れ、起きた後に何時間も頭のモヤモヤを引きずるハメになる!」
オサムは自らの太ももをバチン!と強く叩き、痛覚で脳を完全に覚醒させた。
「俺は、起きている時間のパフォーマンスを1%でも下げるような妥協は絶対にしない! 二度寝の誘惑など、俺の『今日も世界を遊び尽くしてやる』という意志の前では無力だ!」
オサムはルミアの落とした杖を拾い上げると、魔力を行使した。
「ルミア、借りるぞ! 《極光》!!」
杖の先端から、太陽を凝縮したような強烈な閃光が放たれた。それはオサムが毎朝のルーティンで使っている「覚醒のための光魔法」の最大出力版だった。
「うおおっ!? ま、眩しっ!?」
「ひゃあっ! 朝!? もう朝なの!?」
至近距離で目覚まし代わりの閃光を浴びたカインとルミアが、悲鳴を上げて飛び起きた。
その隙を見逃さず、オサムは地面を蹴って跳躍した。
「朝は一発勝負だ! スヌーズ機能はいらねえんだよ!!」
オサムの渾身の回し蹴りが、微睡みのバクの顔面にクリーンヒットした。
甘い誘惑を放っていた魔物は『……オキマース』という情けない断末魔を残し、光の粒子となって霧散した。
「……はっ! 俺、なんて恐ろしい誘惑に負けそうになっていたんだ……」
完全に目が覚めたカインが、青ざめた顔で自分の頬を叩いた。
「よかった。これで街の二度寝パンデミックも収まるはずだ」
オサムが安堵の息を吐いた、その時だった。
バクが消滅した跡地に、黒いドクロの紋章が刻まれた小さなクリスタルが落ちているのに気づいた。
「なんだ、これ……魔石じゃないな」
オサムが拾い上げると、ドンが顔色を変えた。
「オサム、それに触るな! それは魔王軍の幹部が、配下の魔物を操る時に使う『呪印石』だ!」
「魔王軍……?」
オサムはクリスタルを見つめ、目を細めた。
平和な街の地下に突如現れた変異種の魔物。それは偶然の産物などではなく、眠らない街・ファルガスに目をつけた魔王軍の、悪意ある先制攻撃だったのだ。




