第10話:睡眠至上主義の司祭との対立
夜間クエストを総なめにし、ファルガスの街で「眠らない英雄」として名を馳せ始めたオサムたち。
しかし、出る杭は打たれるのが世の常である。
「そこな異端者よ、止まりなさい」
ある日の昼下がり。オサムたちが街の中央広場を歩いていると、豪奢な白いローブを身に纏った初老の男が立ち塞がった。その後ろには、武装した神殿騎士が数人控えている。
「あなたは……大教会の、レム司祭様?」
ルミアが驚いて声を上げた。レム司祭は、この街の人々の精神的支柱とも言える高位の聖職者だった。
「ルミアよ。君たちのような有望な若者が、悪魔の教えに唆されていると聞いて駆けつけたのです」
レム司祭は、鋭い眼光でオサムを睨みつけた。
「悪魔の教え、とは物騒ですね」
オサムが肩をすくめると、レム司祭は手に持っていた杖を石畳に強く打ち付けた。
「とぼけるな! お前は若者たちから『睡眠』を奪い、夜通し働かせているそうだな! 我が教会では『睡眠こそ神への祈り』『眠りの中で魂は神の御許へ帰り、浄化される』と教えている。睡眠を削るなど、神への冒涜であり、命を削る自殺行為に他ならない!」
広場に集まっていた群衆が、ざわめき始めた。
異世界における宗教の力は強い。司祭の言う「睡眠=神聖な儀式」という常識は、人々の根底に深く根付いているものだった。
「オサム……」
カインたちが不安そうに背中を見るが、オサムの表情は少しも揺るがなかった。彼は一歩前に出ると、司祭に向かって堂々と告げた。
「司祭様。あなたの教えを否定するつもりはありませんが、一つだけ決定的な間違いがあります。俺は彼らから睡眠を『奪って』などいません。彼らが自らの意思で『起きることを選んだ』のです」
「詭弁だ! 人間が1日に必要な睡眠時間は、神が定めた絶対の理である!」
「では、お聞きします」
オサムの目が、真っ直ぐに司祭を射抜いた。
「神様は、そんなに意地悪な方なのですか?」
「なっ……!?」
「人生という素晴らしい時間を与えておきながら、その3分の1をも強制的に奪い、暗闇の中で意識を手放すことを強要する。それが神の定めた理だというのなら、あまりに窮屈ではありませんか?」
オサムの声が、広場に朗々と響き渡る。
「俺はそうは思いません。命とは、世界を味わい尽くすためにある。美しい景色を見る、美味しいものを食べる、仲間と笑い合う。起きている時間を全力で充実させることこそが、命を与えてくれた存在への最大の『祈り』であり、生命の謳歌なのではないでしょうか!」
その言葉に、群衆はハッと息を呑んだ。
睡眠を「休むための義務」ではなく、起きている時間を「命の謳歌」と捉えるポジティブな哲学。
「だ、黙れ! ならば問う! 睡眠をないがしろにした代償は、必ず肉体の破滅となって表れるはず! お前の後ろにいる若者たちの顔を見てみろ、さぞかし疲弊して……」
レム司祭はカインたちを指差して、言葉を失った。
そこにいたのは、疲弊とは無縁の、生命力に満ち溢れた三人の若者だったからだ。肌のツヤは良く、目は希望に満ちてキラキラと輝き、姿勢はピンと伸びている。毎日10時間寝ていた頃よりも、今の彼らの方がずっと健康で、何より「幸せそう」だった。
「……司祭様。俺たちは無理をして起きているわけじゃありません」
カインが、一歩前に出て静かに言った。
「オサムに教わって、食事を変え、体を動かし、睡眠の質を高めました。その結果、起きていられる時間が増えたんです。俺は今、増えた時間で剣の稽古をしています。毎日が、楽しくて仕方ないんです」
「わたしもです! 魔法の勉強ができる時間が増えて、生きているのが本当に楽しいんです!」
ルミアも力強く頷いた。
目の前にいる「結果」を突きつけられ、レム司祭はぐうの音も出なかった。
彼らが神に背く罪人には、どうしても見えなかったのだ。むしろ、限られた人生を誰よりも輝かせている、模範的な若者にすら見えた。
「……っ」
司祭は杖を震わせた後、深くため息をついた。
「……負けだ。彼らのその輝くような瞳を見れば、お前の教えが邪悪なものでないことくらい、私にもわかる。どうやら、私の頭も古くなっていたらしい」
「わかっていただけて光栄です」
オサムは優しく微笑んだ。
「もちろん、疲れた時はゆっくり眠ればいいんです。睡眠は義務じゃなく、極上の『趣味』ですから。もし司祭様も、もう少し起きている時間を増やして世界を楽しみたいと思ったら、いつでも相談に乗りますよ」
「ふん……。覚えておこう、若き哲学者よ」
レム司祭が背を向けて去っていくと、広場を包んでいた静寂は、やがて割れんばかりの拍手と歓声に変わった。
この日、ファルガスの街において「睡眠は削れるものであり、活動を楽しむための技術である」というオサムの理論が、完全に市民権を得た瞬間だった。




