第8話 夜の花
ご主人様が扉を静かに開けると、先は暗闇に閉ざされていた。
こんなに暗いと何も見えないじゃないか。僕は暗い所が苦手だ!可憐な僕が襲われたらどうしてくれるんだ。
「リングレット、耳を澄ませてみなさい」
静かに憤慨していると、ご主人様は僕の耳元で囁く。
夜目は効かないが耳は良い。僕は耳を立てると微かに聞こえる衣擦れの音に首を傾げる。
「あっ……あん……リングレット様ぁ……」
気色が悪い嬌声に、僕は顔を青くした。
入る部屋を間違えたんじゃないか、今すぐ気味の悪い地下道を走って帰りたい。
「見なさい、あれが社交界の華と呼ばれている王女様の夜の姿よ」
社交界の華……?それは僕の異名ではなくて?
ではなく、僕は嫌な予感を感じつつ、ご主人様の肩越しに、部屋の角にある、月に照らされている天蓋ベッドを見る。
「……!」
そこには、男の上に跨り、あられもない姿で激しく腰を振るアリエスタの姿があった。
「見なさい、相手の男。顔以外はあなたに似ておりますわよ」
僕は血の気が引くのを感じながら薄目で相手の男を見る。
綺麗に切りそろえられた黒髪に、濁った碧色の瞳、短いまつげ、そばかすの目立つ肌……
「あんなの僕じゃない!!!!!」
思わず大声で叫んでしまった。
しかし我慢ならない。あんな汚らわしい生き物が僕に似てたまるものか。僕の代用品として存在してたまるものか!
僕は発狂し、綺麗な髪をかき乱し、悲痛な金切り声を上げる。
するとベッド上の二人も叫び声をあげ、王女はタオルを体にかけ、振り返り、男は裸のまま側にあった剣を握る。
「誰だ!」
「お前こそ誰だよ汚い姿をこの僕の前に表すな!」
ああ目が汚れる。僕の美しい目に小汚い男を映したくない。
するとご主人様は僕の目を手のひらで隠し、視界を塞いだ。
「ごきげんよう、アリエスタ王女。あらまぁ、お楽しみのところ、お邪魔だったかしら」
「……!リングレット様」
挨拶をするご主人様に対し、失礼にもこの僕に声をかけてくる。
昼も思ったが、どれだけ僕に執着するんだ。まぁ、こんな小汚い男を相手にしていては僕に執心するのもわからないでもないが。
「あら、本物にはそんな少女のような顔を見せるのね。偽物には野獣のような姿を見せていたというのに」
「うるさいわね!なんでリングレット様がこんなところに?ああ嫌だわ……」
アリエスタは無礼にも剣を構える男を追い払うかのようににらみつけると、裸体にタオルをまとった姿で僕に駆け寄ってくる。
ご主人様はわずかに開けていた指をしっかり閉じ、完全に僕の視界を塞ぐと、その手のひらを僕の目に当て、そのまま僕の体を抱き寄せた。
「私の犬は汚らわしいものがお嫌いだそうよ、夜の花」
「……私のリングレット様を離しなさい。あなたのことですから、リングレット様の弱みを握って脅しているんでしょう!ねぇ、そうですわよね、リングレット様……」
弱み?なんのことだ。完璧な僕に弱みなんてない。
「弱み?この男に弱みがあるとでも?」
ご主人様はアリエスタを小馬鹿にするように身を震わせ、笑う。
するとご主人様は指を一本一本僕の目から外し、ゆっくりと僕に汚い世界を見せる。
やめろ、僕はこんな汚いものを見たくない。というか花と情交の臭いが混ざって臭い。鼻が曲がりそうだ。うえっ。
「ねぇリングレット、何か言っておやりなさい」
本当無理難題を押し付ける。ご主人様にとっては最高に楽しい盤面なのかもしれないが、僕にとっては何も楽しくない。
「はぁ……醜いですね……」
それ以外何も言うことがない。
アリエスタの裸体にも興味がないし、部屋中に飾られた花にすら同情を覚えるし、何よりこの僕の代用品のような醜い男を早く僕の世界から消してしまいたい……!
僕はげんなりしながらため息をつく。するとアリエスタは膝を崩し、タオルが肩からずり落ちた。
「醜い……そんな、幻滅しないでくださいリングレット様……私はあなたをずっと思って、あなたに似た男をあなただと思い、こうして思いを果たしていたのです……」
何を言っているんだこの女は。
最初から興味がないから幻滅などしていない。僕が醜いと言っているのは、僕に似ていない小汚い男をこの美しい僕の代わりにしているというその事実が醜いと言っているのだ!
「私が複数の男性と噂になっていること、リングレット様もご存じでしょう?社交界で噂になるようにしておりましてよ」
「リングレット、あなた知っていたの?」
「いえ、初めて知りました。興味がなかったので」
素直にぼやくと、ご主人様は予想以上だと言わんばかりに笑みを我慢できずに口が裂けそうなほど口角を引き上げる。
「そんなはずはありません……!リングレット様に届くようにユリアンの耳に届くようにしておいたというのに!」
もしそれが本当なら、ユリアンは僕の耳に届かないように胸にしまっておいたのだろう。
あいつは僕より出来が悪いし要領も悪い愚弟だが、悪い奴ではない。
おそらく婚約者の不貞をこの僕に聞かせまいとしてくれたのだろう。
まぁ、僕はそんなもの興味がないから例え聞いたとしてもすぐ忘れるだろうけれども。
「あなた、ユリアンとはもう関係を持っているの?」
「……いいえ、あの男は、リングレット様との婚約が正式に破棄した後でなければと……」
そうだろうな。あいつは愚かなほど真面目な男だ。
小さい頃から僕に剣術も魔術も勉学も全てにおいて劣っていたが、僕より努力家で、真っすぐだ。
……そこだけは、僕に勝っているな。




