第7話 懐かしい匂い
アンサルシア公爵邸に戻ると、僕はお茶が用意されていることに感激した。
「ご主人様……!」
「いい仕事をした者にはそれなりの報酬を与えねば、公爵家の名が廃るというものです」
僕を庭に用意された席に座らせると、ご主人様も隣に座る。
テーブルには様々な軽食や茶菓子が並び、使用人がお茶の種類を訪ねてきた。
一口紅茶を口にすると、僕は少し顔を伏せた。
……やはり、ガルシアン侯爵家はお茶にこだわりがあったな、と。
「実家が恋しいですか、リングレット」
「え……」
「顔にそう書いてあります」
この僕の顔に落書きだと?慌てて頬や額を手のひらで押さえ、胸元から手鏡を取り出し顔を見る。大丈夫だ、今日の僕も美しい。
「ユリアン様とは仲がよろしかったのですか」
「……ユリアン?いや、まぁ……仲がいいかと聞かれると、特段仲がいいわけではないのですが、かと言って普段から言い争うほど仲が悪いわけでもなかったと記憶していますが」
「私は犬猿の仲だと聞いておりますよ」
「誰からですか」
「あなたの弟からです。周りにあなたの醜聞を言いふらしているのを知らないのですか?」
ユリアンが僕の醜聞を言いふらしている?
っていうか醜聞ってなんだ?
「あの……醜聞とは……」
「あなたが女性と浮世を流している話ですよ。まぁ実際はただお友達と遊んだりお茶を嗜んでいただけのようですが」
「はぁ……そんなこと……」
「ですが、真面目なあなたの弟としては、そんなことすら許されなかったのでしょう」
ご主人様の指先に蝶が止まると、僕は息を吹きかけ蝶を逃がした。
「あなたは噂とは少し印象が違うようです。私も評価を改めましょう」
そんなに僕の噂というのは僕の評価を下げるものだったのか?
しかし、女性と遊んでいたのは確かに婚約者のいる身としては相応しくない行為だったのかもしれないな。
まぁ、別に婚約破棄してくれたしいいんだけど。
「ところでリングレット、あなたは夜目が利くかしら」
「夜目……ですか?そうですね、僕は夕飯を食べたら割とすぐ寝ていますが」
夜更かしなどする価値がない。肌も荒れるし何なら眠い。
僕は幼少期から寝る時間が変わっていない。
「ならば、昼寝をしておきなさい」
「夜に何かするのですか」
「それは秘密です。言ったら、あなたの初見の感想が聞けなくなってしまいますもの」
一体どういうことだ。
そんなに僕の感想が聞きたいなんて、僕のセンスがそんなに気に入ったのか。
嗅ぎ慣れない見慣れぬ紅茶の香りに一つため息を吐くと、込み上げてくる欠伸に目を細める。
部屋へ戻ると、ベッドへ倒れ込む。これならすぐに寝れそうだ。
そうか、僕はユリアンに嫌われていたのか……
特に仲がいいというわけでもないし、可愛がっていたわけでもない。ただ、そんなことされる覚えはないぞ。全く失礼なやつだ。
僕は目を閉じるとすぐさま気を失った。
「……グレット、リングレット、起きなさい」
誰だうるさいな……貴重な睡眠を妨げないで欲しい。
僕は寝返りを打つと布団を肩にかけ直す。
直後、激しい衝撃音とベッドに揺れに目を見開いた。
「な……!」
「よく眠れていて良かったわ。これから十分働いてもらわなければなりませんからね」
ベッドに突き立てられたヒールを紙一重でかわした僕の髪が汗ばんでいる。
僕は飛び起き、すぐさま着替え、ご主人様と共に屋敷を出た。
「……城、ですか?」
「ええ。ですが昼のように正面からは参りませんよ。さぁ行きましょう」
ご主人様は朝とは異なり、まるで乗馬をするかのようなパンツスタイルで革のブーツで華麗に城の外堀を歩く。
僕も昼とは違い、質素な出立ちだ。こんな格好、世の女性達にはとてもじゃないが見せたくない。まるで庶民ではないか。
「リングレット、どこを見ているの。ここに入りますわよ」
ご主人様は城の横にある使用人が使う小さな小屋を指差した。
「何ですかこれは」
「かつて、王族の方と内密な関係になった使用人が相引きに使っていたと言われている小屋ですわ。地下道が作られて抜け道になっているの。今はあまり使われていないようだけれど、シグルドに頼んで調べてもらっていたわ」
「もしかして、この小汚い小屋に入り、古い地下道を歩いて王城へ侵入する、などと仰いませんよね……?」
「あら、暗い場所はお嫌いかしら」
嫌だ!僕は暗い所も汚い所も行きたくない!
移動だって歩きたくない!馬車に乗っていたい!
しかしそんなことを言ったら何をされるかわからない。
僕は賢いんだ。ご主人様のいうことくらい聞ける。
「……いえ、ご一緒させていただきます」
まるで二日煮出した紅茶を飲んだかのように苦い顔をして、僕は答えた。
土を掘り出しただけの地下道を、ご主人様が持つ灯りだけを頼りに進む。
道中、ご主人様は立ち止まり、振り返った。
簡素な鞘に入った剣を僕に放り投げると、不敵に笑う。
「うわ、これ何ですか」
「何って、見ればわかるでしょう」
「いや、何故剣などを僕に……王城内ならば危険なことなどないでしょうに」
「あら、使えないの?」
「……使えますけど」
僕はこう見えても頭も剣術も努力したことなどないほど優秀だ。ただ野蛮なものが嫌いなだけで。
「自分の身は自分で守りなさい。私も念の為、腰に下げております」
「わか、りました……」
ご主人様の腰に下がる剣を見る。どうやら僕に渡したものより上等なもののようだ。
あれくらい宝飾品がついていれば、僕だって喜んで身につけただろうに。
「あ、あの階段を登れば王宮の内部に出るのではありませんか」
「……そうね、私もこの道がどの部屋に出るのかは知らないのよ。色々と覚悟しておきなさい。出た瞬間、魔物が現れても驚かないようにね」
後ろを振り返り、灯りにともされたご主人様は怪しげに微笑む。
嘘だ。絶対どこに通じているか知っているだろう。
階段を登ると、古びた木の扉を前にして、ご主人様は小さく囁いた。
「扉を開いたら、私が声を出すまで静かにしていなさい。わかったわね、犬」
「わ……わん……」
絶対確信犯だろう、お前。




