第6話 花のようなお方
階段を数階登り、長い廊下を抜けると、立派な扉が並ぶ一帯にたどり着く。
僕は知っている。ここは王族が使う居室だ。あまり入ったことはないけれど。だって第二王女に会いに行ったことがほとんどない。
「あら、懐かしい?」
「懐かしむほど来たことがありません。どれが誰の居室ですか」
観察するような客観的な視線が僕を視界に入れる。
しばらくすると飽きたように視線を外し、前に進む。
「おや、マリーノワーズ様ではございませんか」
「あらシグルド、お久しぶりですわね」
ご主人様が声をかけると、老紳士は丁寧に礼をする。
身なり的に執事だろうか、流石に僕の家の執事より上等だな。
「シグルド、こちらは私の……犬、ですわ」
何故そこで恥ずかしがる。ってか愛妾じゃなかったのか!?
まぁ……ご主人様は別にまだ婚姻していないから、愛妾ではないな。ただの遊び相手か。
ってそこじゃない。犬って紹介していいのかお前!
「リングレット、こちらはシグルド。王族付きの執事ですわ」
「初め、まして……?」
どこかで見覚えがある。穏やかな物腰に綺麗に整えられた白髪。
「以前、ガルシアン侯爵家主催のティーパーティーでお話ししたことがありますね」
「あっ、いやっ、そうでしたかっ」
「一度しかお会いしたことがないので、忘れてしまっても仕方ありません。リングレット様もお小さかったですし」
僕が小さい頃に開かれたティーパーティー?
我が家は代々ティーパーティーが好きな家系だ。毎日のようにティーパーティーが開かれている。いちいちそんなもの覚えてられん。
「シグルドは執事でもありますが、そもそもは子爵なのです。シグルド・リンドレーン子爵。私が王宮で唯一信頼している方です」
なるほど、納得した。
先程からこの男に見せるご主人様の穏やかな表情は信頼しているからか。
何だか妙に腹が立つな。この僕がただの犬。ご主人様は僕と価値観が合わないんじゃないか。
「……では、シグルド、手筈通りに」
「かしこまりました」
シグルドは頭を下げると綺麗な姿勢で向こう側へ歩いて行った。
「マリーノワーズ様、あの方は」
「私が王宮で一番信頼している方よ。身分は子爵ですが、失礼のないようにしなさい」
ご主人様は、もしかして緊張していたのだろうか。王子と対峙していた時よりも声色が柔い。
「かしこまりました」
僕は頭を下げ、丁寧に礼をした。
廊下を少し進むと、赤い装飾がされた扉の前で立ち止まり、ご主人様は僕の方を振り返る。
「あなた、演技は得意?」
「どんな演技、ですか」
「私の言うことを聞く従順な情夫のフリよ。あなたは感情をなるべく出さず、私の言うことだけに反応する可愛い男になるの」
うえっ、可愛い男ってなんだよ。 この女、一体何をするつもりだ。
「いい?何があっても、感情を表には出さないように。……まぁ、もしかしたらあなたには不要な助言かもしれないけれども」
どういう意味だ?と首を傾げる間もなく、ご主人様は扉を開けた。
するとすぐにその意味は晴れた。
「ごきげんよう、アリエスタ王女」
「あなたは……マリーノワーズ……様」
扉を開くと飛び込んできたのは、桃色の絨毯に、居室には合わない華美なシャンデリア。扉を開けただけで香ってくるほど様々な花が飾られている。
そこで紅茶を飲むアリエスタの姿に、僕はうっかり顔を濁らせた。
よくこんな臭い部屋で紅茶を楽しもうと思うなお前。
「……!リングレット様……!」
アリエスタは僕の姿を捕らえると、紅茶を置き、すぐさまこちらへ駆け寄ってくる。
金の巻き髪がふわふわと揺れる様子が煩わしく、つい後退りする。
するとご主人様は僕の前に腕を伸ばし、アリエスタを制止する。
「私の男に何か用かしら?」
「……私の、男……?」
「ええ。リングレットは私の男ですわ。ねぇリングレット」
「はい、ご……マリーノワーズ様」
少しぎこちなかったか。
しかしアリエスタは僕の様子には全く気付いていないようだ。大きな瞳を見開き、僕だけを視界に入れる。
ご主人様はそんなアリエスタを見て、不気味な笑みを浮かべた。
「今日はご挨拶に参りましたの。婚約破棄されたとはいえ、元婚約者ですから。リングレットは私が拾いました。これからはアンサルシア公爵家で私の側仕えをさせるつもりですわ」
「側仕え!?あなたリングレット様を何だと思っているの」
「あら、王女自ら婚約破棄をされたというのに、どうなさいました?」
「……!あの時は、リングレット様の気を引きたくて……」
「何だって幼稚なのですね、十七にもなって」
小馬鹿にするような笑みを浮かべると、ご主人様は僕の顎を指先でなぞる。
僕はその指先に誘われて、美貌を思う存分アリエスタに見せつけた。
「……っ、あなた、何がしたいの」
「別に、ただご挨拶をしたかっただけですわ。私の犬を」
「リングレット様は犬なんかじゃないわ!」
「あら、随分と荒い気性をされていたのですね。あなたも驚いたでしょう?リングレット」
ご主人さまが僕の後頭部から首筋を撫でると、僕はじっと怒りを表すアリエスタを見つめる。
確かに今まで興味がなかったから知らなくて当然なのだが、こんなに怒る女だったか?もっと花のように笑う女ではなかったか?
「そう、ですね……もっと、花のような方だと思っておりました」
「リングレット様……!」
そう、頭がお花畑のような女だと思っていた。
「リングレット、挨拶も終わったことですし、帰りますわよ」
「はい、マリーノワーズ様」
「ちょっと!まだ話が済んでいないわよ」
「こちらの用は済みましたので。それとも、私の犬にまだ御用が?」
「……っ!」
「リングレット、王女に何か言ってあげなさい。あなたとお話ししたいようですから」
アリエスタに何か言うことなんかあるか?
弟とお幸せに?それ以外が浮かばない……アリエスタのことをそもそも知らないんだぞ僕は。
「ええっと……ユリアンとお幸せに……?」
本当だ。本当に思っている。しかし真剣さを伝えるのは難しいな。
弟は僕がアリエスタと婚約中もずっとアリエスタを一途に想い、実ることがないとわかりつつもその想いを自己研鑽で発散していた。僕はその姿を見ている。
するとアリエスタは顔色を青くして、唇を少し開いたまま言葉を失っていた。
「アリエスタ王女は体調がお悪いようですわ。帰りますわよリングレット」
「はい、マリーノワーズ様」
顔色の悪いアリエスタを半ば放置するようにして居室を出た。
しばらく廊下をまっすぐ歩くと、家臣が誰もいない場所で、マリーノワーズは足を止めた。
「ふふ……ふふふ、あはははははは!」
下品な笑い声を上げると、震える腹を押さえたまま、ご主人様は「あら失礼」と声をかける。
「あ、あの……私が何かいたしましたでしょうか」
「あなたじゃないわ、あの女よ。あなた、なかなかいいセンスをしているわ」
ご主人様は僕の顎を手に取ると、顔を近づけ、蛇のような目をして僕の目を飲み込む。
「あの女、予想以上に随分とあなたにご執心だったみたいね。よかったわ。色々と小細工する手間がはぶけました」
僕は息を止め、毛穴を全て閉じた。
「一度帰りますわよ、リングレット。昼の王城はつまりません。本当の姿はやっぱり夜じゃないと見えませんから」
ご主人様の低い声が人気のない廊下を抉る。
その怪しげな美しさに、僕は、アリエスタが少し恋しくなった。




