第5話 アンサルシア公爵家の犬
馬車を降り、目の前に白金の建物が現れると、僕は無表情でその建物を見上げた。
まだ第二王女の婚約者だった頃、何度か義務登城をしたことがあった。幸いにも王配教育などは強いられる前に婚約破棄できたのは良かった。あんなもの僕に耐えられるわけがない。
「城が物珍しい?あなただって何度か登城したことあるでしょうに」
「いえ、王女と婚約破棄できてよかったと幸せを嚙み締めているだけです」
「ふふ、面白い子。さぁ、私の手をお取りなさい、あなたは私の愛妾として振舞うのです。いいわね、犬」
僕はご主人様の手を取り、先陣を切って城へ向かう。
すると門番はマリーノワーズ様に礼をしたのち、僕の顔を二度見直すと指差した。
「貴様は……!ガルシアン侯爵の馬鹿息子!」
「無礼だぞ!婚約破棄しても僕が貴族なことには変わりない。礼を尽くしたまえ」
「何を言う。先日の無礼で貴様はガルシアン侯爵から勘当されたと聞く。つまり貴様は私より身分が下だ。礼など尽くす義理はない」
「あら、礼は尽くしていただかなければ」
空気が急に重くなる。門番は表情を凍らせ、垂直に立ち直る。
ご主人様は僕の肩にゆるりと腕をしならせながら体を預ける。
「この男、私がもらい受けましたの。これからはガルシアン侯爵子息としてではなく、アンサルシア公爵家の者として扱っていただけますか」
「……は?」
なんていうことをいうんだこの女は。演技とはいえ悪女が過ぎるだろう。
門番も困惑している。言葉が出なくなっているではないか。
「ご……マリーノワーズ様、門番が困惑しております」
そう耳打ちすると、ご主人様は、今すぐにでも僕を噛み殺そうと言わんばかりの顔で僕を睨む。
お黙りなさい、と紫色の瞳が僕に命令していた。
「何の騒ぎだ」
門がゆっくりと開くと、中から馬に乗った騎士たちの集団が現れる。
その先陣を切る人物が姿を現すと、ご主人様は僕の肩から離れ、軽く礼をした。
「マリーノワーズ、久しいな。して何の騒ぎ……ん」
金髪で大柄の男の視線が僕を向くと、男の表情が急に険しく光る。
そして男は馬を降り、こちらへすごい剣幕で向かってきた。
「クラディウス殿下。お久しゅうございます。マリーノワーズでございます」
ご主人様は僕をかばうように前に出ると、丁寧に礼をする。
本当にこの人はさっきまでこの男をけちょんけちょんに言っていた女なのだろうか。信じられないぞ。
「マリーノワーズ……そこをどけ、この男には少し用がある」
「あら、何の用ですの?」
「わが妹、アリエスタにした非道の数々……!許されるものではなかろう」
「非道……?あらまぁ、それは存じ上げませんでしたわ。リングレット、あなた、何をしたのか殿下にお話ししてごらんなさい」
「ア、アリエスタに……?」
王女を呼び捨てにすると、この男は今すぐにこの僕を叩きつぶすような覇気を出す。
こ、この筋肉馬鹿が……!僕はか弱いんだからお前の覇気だけで息絶えてしまうかもしれないだろう!
「そ、そうですね、他のご令嬢とお茶会をして楽しくお話をしたり……我が家でファッションショーを催したり」
「はぁ!?」
クラディウスは大きな声を出して僕を威嚇する。
何が不満なんだこの男……筋肉から出しているような声を出して……
「お前は夜な夜な令嬢たちを屋敷へ誘い、次々と関係を持っていたと話に聞くぞ」
「何でそのあたりのご令嬢にこの僕の体を許さなければならないのですか……そんなお安くありませんよ」
「お前……!」
遥か上から繰り出される張り手に、僕は身をすくめた。
するとご主人様は扇子でその手を受け止め、手を下げさせると、にっこり微笑んだ。
「この者の裏はしっかりとって我が家に引き入れております。一言一句間違いはございませんよ」
「いや、私は確かに……アリエスタに……」
「アリエスタ様がおっしゃったことをまだ、鵜呑みにされているのですか?」
『まだ』とは何だろう。何か昔あったのか?
まぁとりあえずこの男はご主人様に弱いようだ。明らかに覇気が弱くなっている。
「この男を責める前に、まずは足元を洗い直さなければ、あなたの理想には程遠い国になりましてよ」
そう告げると、ご主人様は金髪筋肉王子に背を向け、僕についてくるよう視線を向けた。
馬の足音が聞こえない所をみるに、あの男は僕らが王城へ入る姿を見つめているのだろう。どんな顔をしているのだろうか、僕はそっと首を回す。
「おやめなさい。あの男はあなたとは違ってプライドの高い男。あなたに顔を見られたら、一生憎まれるかもしれませんよ」
悪女のように笑うと、ご主人様は堂々と門を潜る。
馬に乗った騎士団は綺麗に左右へ分かれ、ご主人様と僕を出迎える。
「……意外と、誰も陰口を叩いてきませんねぇ」
「そんなもの、私が一緒にいるからに決まっているでしょう」
「なるほど、決まっているのですね」
なるほど、よくわからん。
けど下手に突っかかってくる奴がいないのはいいな。手間が省ける。
長い石畳の道をまっすぐ歩いて行くと、扉が門番により開けられる。
この女はすごいな、王より権力を持っているんじゃないのか?そう思ってご主人様を横目に見ると、珍しく穏やかな笑みを向けられた。
なんだこの女、僕に気があるのか?
僕はちょっとだけ気をよくした。




