第37話 アンサルシア公爵家
目が覚めると、そこは見慣れた天蓋が広がっていた。
何だか体全体がだるい。生気が吸われているみたいだ。
肌に触る布が何だかこそばゆい。……ああ、僕は今裸だったのか。
そっと胸に手を当てる。昨日ユリエールに刺されたはずの傷は痕すら残っていないようだ。
はぁ……それにしても疲れた。いましばらく休養を取っても怒られないだろう。
というか僕はまた数日寝てしまったのか?今日はいつなんだ?
僕はふとベッド脇の手帳に手を伸ばす。すると、隣から呻き声のような声が聞こえてきた。
「ん……ううん……」
僕は動きを止める。
どう聞いても女性の声だ。
ま、まさか僕は傷心の余り女性と過ちを犯してしまったのか……?
ま、待て、この声に聞き覚えがある。もし天才的な僕の勘が当たっていたらこの声は……。
「あらおはようリングレット。よく眠れたかしら」
僕の背中で低く艶やかな声が響く。
恐る恐る後ろを振り向くと、そこには薄い夜着を着たあられもない寝姿のご主人様が上体を半分起こしていた。
「ご……ご主人様……これは、一体……」
「あら、見たままよ。私とあなた、寝屋を共にしたの」
閨……!?
ああ、血の気が引いていく……。
例え傷心していたとはいえ、まさかご主人様に手を出してしまうだなんて……。
僕は何という野獣なんだ……いくら天才で王子と魔女の子供とは言え男は男……年頃には勝てないということなのか。
「何を昇天しそうな顔をしているの。ただあなたを寝かしつけただけですわよ」
あっけらかんと話すご主人様に、僕は呆けた顔を見せる。
「へ?」
「自分の体をご確認なさい。上半身は傷の手当てのために脱がせましたけれど、下半身は無事でしょうに」
僕は慌てて布団の中を確認する。
は、は、履いている……無事だ、僕の体は……無事だ!!!!!
「本当におかしな子ね、私との一夜を心配するなんて」
ご主人様は艶めかしい姿で僕のベッドに横たわる。
「ご主人様こそ、婚約者のいる年頃のご令嬢なのですから、もう少し慎みを持ってはいかがですか」
「あら、ペットと一緒に寝るのはいけないこと?」
「……傍から見て、年頃の男と女がベッドにこんな姿で一緒に寝ているのは醜聞ですよ」
ああ何故この僕が常識を教えなければならないんだ……!
ふつう逆だろう、僕はただの犬だぞ!
躾けるべきはご主人様だろうに!
「……まぁ、それもそうね。こんな姿、クラディウス様に見られたら大変だわ。あの方、冗談が通じないから、あなたのことを犬だと紹介しても信じてくれなさそうですもの。あらやだ、嫉妬させてしまうわね」
何故そんなに嬉しそうなんだ。僕はげっそりしているぞ。
ご主人様は嬉々としてベッドを飛び降りると、長い髪の毛を後ろに流し、肩越しに僕を見た。
「魔力を使いすぎましたわね。今しばらく反王政派は攻めてこないでしょうから、今しばらくおやすみなさい。……心の方も、少しは元気になったようですし」
鏡台の椅子に掛けてあるガウンを羽織ると、ご主人様は颯爽と出て行った。
そんなにクラディウスに嫉妬されるのが嬉しいか。
部屋に一人取り残されると、急に虚しさが襲ってくる。
姿見に映る自分の顔を見た。やっぱり僕は美しい。
……父親譲りらしいけど。
にしても胸の傷が残らなかったのは幸いだな。あんなの残ってしまったら玉に瑕過ぎる。
……母親の魔力で回復したわけだけど。
「ああもう!僕の優れた箇所は全部両親譲りじゃないか!僕だけのものってないのか!」
布団を全力で叩くと、埃と共に羽が舞い散る。
ああ、僕もこんな天使のように散ってしまえば良かったか……。
「……僕だけのもの、か……」
今思えば、がむしゃらに努力していたユリアンは、自分の為に頑張っていたんだな。
あいつの力は全部あいつのものだ。だってユリアンは僕より劣っていたから、力を得ようと頑張った。
そういえば、ご主人様も言っていたな……。
『あなたが選ぶことに意味があるの。あなたはこれから、自分の人生を、自分の意志で決めて行かねばならないわ。選択するということは、自分の考えに責任を持つということ。いつまでたっても他人に責任を押し付けて生きていては、あなた自身の人生を生きられないわ』
もしかして、ご主人様は僕の出生を知っていたのだろうか。だから、自分で選択をするという選択肢を与えた。
「僕が、僕の意思で選択して、行動する……」
そうしなければ自分は生まれない。
作っていかなければならないんだ。
「でも、そのためにまずは寝よう」
僕はベッドに潜ると穏やかな安らぎの中静かに眠りにつく。
寝れる。いくらでも寝れる。これは僕の美点だな。
ああそうだ、僕はこの美貌を守る為に良質な睡眠を取るよう心がけていたな。つまり美貌は僕に守られていたわけだ。
なんだ、僕、やれるじゃないか。
再び目を覚ますと、そこは暗闇だった。
カーテンが閉まっているとはいえ、恐らく今は夜だ。物音がしない。
「……お腹が空いたな」
美しいとはいえ、僕だって人間だ。腹は減る。
僕が人間であるということは生理現象も起こるわけで……はぁ、この身が口惜しい。
「食べ物は……用意されてないのか」
部屋の丸テーブルを見るがいつものように食事が用意されていない。
当たり前か、そう思い、僕は外へ出る。
部屋の外の廊下は転々とランプが置かれており、薄暗い。
まるで悪魔の住む城のようだと思いながら一人歩く。
そういえば屋敷の中を一人で出歩くのは初めてだな、と悠々自適に歩いていると、明かりが灯る一つの部屋を見つけた。
ご主人様の部屋かもしれない。そう思いそっと近づく。
「それで、ユリエールの討伐には成功したのか」
「いえ、逃げられました。アルザンドと共に」
ご主人様だ!そう思って扉に手をかけた瞬間、ご主人様の体は扉の内側に叩きつけられた。
な、な、何をしてくれるんだ……!
そう思うものの、体がすくんで動けない。
ご主人様を吹き飛ばしたのは中年の、体格の良いひげを生やした男だった。父親だろうか。
ご主人様の父親にしては似ていないな。筋肉馬鹿に近いものを感じるぞ。
「お前は何をしているんだ!あれほど力を貸してやったというのに」
「……申し訳ございません……」
あのご主人様が珍しくしおらしく怒られている。
……珍しい、珍しすぎる。逆に怖い……。
ご主人様はその体を扉に預け、動かない。……まさか。
「いいか、お前の使命はあの百合の魔女の子供を確保し、国に捧げるために捕えておくことだ。万が一情に絆されたりするな、反国政にもだ!」
「かしこまりました……」
「何のためにお前を養子にしたと思っているんだ!」
養子……?まさか、ご主人様の養子なのか?
さっき、アンサルシア家の一族は皆薔薇の魔女の末裔だと言っていなかったか……?
あれは嘘だったのか。
「もういい、下がれ。あの百合の魔女の息子を見張ってこい」
「……はい、かしこまりました、お父様」
ご主人様が立ち上がり、頭を下げると僕は慌てて廊下の端へ逃げた。
暗闇の助けもあり、ここまでくれば万が一見つかっても、あら偶然と装えるだろう。
「あらリングレット、どうなさったの?」
「ひえっ!ご主人様」
突然僕の横に現れたご主人様に驚き、僕は飛び跳ねる。
そうだ、ご主人様は転移魔法が使えるんだった。
「……立ち聞きなんて、趣味が悪くてよ」
僕の手を引きながら、父親の部屋を足早に立ち去るように暗い廊下を進む。
どことなく悲し気に見えるご主人様に、僕は困惑しながら引きずられていった。
「ご主人様も、養子、だったのですか」
「ええ、その通りです」
「でも、屋敷の人間は皆薔薇の末裔、と」
「ですから、私もまた薔薇の魔女の血を引く人間なのです」
どういうことだ?つまりは親戚ってことか。
それならば何もおかしくはない。この家には確か跡取りがいないはずだからな。
……ん、跡取りがいないのならば何故養女のご主人様を王子なんかに嫁がせるんだ?
「何が言いたげね、リングレット」
「うっ……」
階段を登り、僕の部屋の前まで来るとご主人様は立ち止って僕の顔を見た。
ぐううううう……
「あっ……」
タイミングよくお腹の音が鳴る。
なんて気の利いたお腹なのだろうか。いや、逆に気が利いていないか?
ご主人様は僕のお腹を見て思わず吹き出す。いい仕事をしたぞ、腹の虫。
「ふふっ、まずは食事にしましょう。私も先ほど起きたばかりなの。七日も寝ていたみたいよ。一緒に食事を取りましょう」
「ええ、ご主人様」
僕は柔らかく微笑むと、ご主人様の手を握り直す。
何故か、ご主人様に母親のような温かさを感じた。




