第35話 異形の聖女
本当にこの女が聖女なのか?
美しい容姿ややせ細った体、幼い体格と顔立ちは確かに現実離れした異形さを感じさせる。
しかしどう見てもあの女はおかしい!
うまく表現できない禍々しいものを周りに纏わせている。
この僕の言語化能力をもってしてもうまく表現できないなんて……。
「あら生霊だなんて酷いことをおっしゃる」
「その通りだから仕方ないわよねぇリングレット?申し訳ございませんわね、私の犬は少しばかり正直者なの」
怯えて腰を抜かす僕の前にご主人様が立つと、ユリエールは瞼を痙攣させ、足を止めた。
「そこをお退きになって、悪女様」
「あら、いじめられたことをまだ根に持っているの?随分としつこい庶民だこと」
そりゃ虐められたら根に持つだろう。
僕だってもし虐められたらずっと……恨まないな?
何せ僕を虐めようなんて人間は可哀そうな人間なのだから、憐れみを持ったとしても恨みなど感じない。
ああ、なんて僕は慈悲深いんだ……きっとここで亡くなったとしても天使か神にでも生まれ変わる事だろう……!
「見なさい、あなたのリングレット様はあなたのことなんて眼中にないわ。犬、もしあなたが立ち上がれるならば、この女を直々に処分してあげなさい」
な、何だと……処分とはなんだ、ま、まさかこの美しい白銀の剣でこの禍々しいものを切れと……?
こんな美しい剣をあんな禍々しいものの血で汚すなんて……僕は……できないっ!
この剣は僕、僕はあんな禍々しいものに触りたくない……!
しかしご主人様の命とあらば仕方ない……。
目、目をつぶっていてもいいだろうか……。
「何をしているの、目をつぶったりして」
「い、いえ……何でもございません」
ば、バレてしまっては仕方ない。
僕は立ち上がり、震える手で白銀の剣を抜く。
切先をユリエールへ向けると、それだけで剣は空に波紋を描き、ユリエールは後ろに飛びのいた。
「あらおかしいわね、聖剣を向けられて逃げる聖女なんて聞いたこともないわ」
「聖剣……!?……百合の、刻印……何故こんなものがここに。あれはアルザンドが」
ユリエールは口を塞ぎ、歯軋りをする。
ご主人様はそれを聞くとまるで全てが嚙み合った、と言わんばかりに不気味な含み笑いをすると、その笑いは徐々に高笑いへと変わって行った。
怖い。
「やはりあなた、アルザンドと繋がっているわね」
「何を今更……!そんなことわかっていてこんな結界を張って、あの男を放流したんでしょうに」
「そうね、私は頭がいいので、こうすればあなたが単騎で突っ込んでくると思ったのよ。どうだったかしら、学園で一緒に学んでいた時に手加減されていたのを知った今の気分は」
手加減……?もしかしてご主人様は本当の魔力量を計られたくなくてわざと常人を演じていたのだろうか。
……ふっ、何だ、僕と同じじゃないか。
僕も努力してしまうと天才に拍車がかかって異形の強さとなってしまうからな。気持ちはわからないでもない。
ユリエールは黙ったまま俯く。ん?ご主人様、ちょっと言い過ぎたんじゃないか?相手はただの庶民だぞ。
仕方ないな、この僕が優しく捕縛してやろうじゃないか。
僕は剣を下ろし、鞘に仕舞った。
その瞬間だった。
「……それでもクラディウス様の御心を掴んだのは私よ。あなたは所詮負け犬。魔力なんていくらあったところでクソの役にもたたなかったわね!」
ユリエールの体から怨霊のような禍々しい魂が吹き出し、こちらに飛んでくる。
嫌だ!!!怖い!!!死んでしまう!!!!!
僕は床にしがみつき、尻をユリエールに向けたまま震えた。
「では、負け犬の遠吠えに怯えて逃げ回っているあなたは、ドブネズミかしら?」
ご主人様の赤黒い魔力が手のひらから吹き出すと、怨霊を押しのけ、ユリエールの体を押し出す。
いいぞご主人様!そこだ!いけ!
……こんな禍々しい色をしているのに、ご主人様の魔力は禍々しくないな。何故だろう。
あのユリエールとかいう女の魔力は闇魔法なのだろうか?
ユリエールは勢いに負け、尻餅をつくと自分の手のひらを見る。
「……この私の魔力が劣るなんて……何であなたなんかに負けるの」
「それは私が薔薇の魔女の末裔だからよ。あなたと違って血統書付きの。ねぇリングレット?」
魔力を仕舞うと、僕を見下ろしにっこり笑う。
「はは、そうでございますね……」
僕は掠れた声で返事をした。
するとユリエールは突然僕に向かって飛びかかり、腕を掴んで引き寄せる。
「うわぁぁあ!何をする!」
「私はリングレット様が手に入ればそれでいいのよ。あなたを連れ帰れば、私は聖女として王宮に迎え入れられる」
「誰がそんなことを言ったの」
問い詰めている場合か!いいから僕を助けろ!
僕はこの気色の悪い女に腕を掴まれているだけで死にそうだ!
ああ、気が遠くなっていく……何だろう、ああそうだ、血を見た時も大体こんな感じに気が遠くなって……
『リングレット様』
誰だ、僕を呼ぶのは。
『あなた様だけは私の命に替えても必ずお守りいたします』
何だ筋肉馬鹿のアルザンドじゃないか。
でも汗臭くないな。もしかしてこれは走馬灯ってやつか?
二つの十字架に貼り付けられた男女がぐったりとしている。
『今だ、やれ!』
謎の号令で戦士達は一斉に男女に剣を突き刺す。
嫌だやめろ。
男の方は僕にそっくりじゃないか。
まさか……
『アレクサンドル様……!』
アルザンドの悲痛な叫びが群衆の歓喜に掻き消される。
何故だ、何故人が無残に殺されているのに喜んでいるんだ。
『くたばれ!邪悪な百合の魔女と悪辣王子め!』
はっ……!僕が衝撃で意識を取り戻すと、ユリエールが不気味な笑みで迎える。
「悪い夢でも見ていらしたの?顔が真っ青でしてよ」
「その手を離しなさいユリエール。あなたのような汚れたものが触っていい方ではなくてよ」
方……?いつからご主人様は僕のことを尊重するようになったんだ。
僕はあなたの犬じゃないのか。
「ふふ、あなたが必死になるということは、やはりこのお方こそ百合の魔女リリーデル様の唯一のお子様で間違いないということね」
百合の魔女?リリーデル?お子様?
一体誰のことを言っているんだ。
まだ意識のはっきりとしない僕に鋭い視線を向けると、ご主人様は一瞬の隙を見せる。
いけない、そんな隙を見せたら……
「ご主人様……!」
「油断したわねマリーノワーズ!」
ユリエールは僕の体を雑に引き寄せると、ご主人様へ怨霊の魂のような球を何発も発射した。
もちろんご主人様はその球を全て剣で切り裂くが、その隙にユリエールは僕の唇に顔を寄せる。
「本当にお美しい。これがあの純白で潔癖なリリーデル様を陥落させた顔だというのだから驚きだわ」
どういうことだ、この僕の美しい顔に何か用か。
「おやめなさい!その魂に触れたらただじゃおかないわよ!」
「ただじゃおかない?それはこっちの台詞よマリーノワーズ!」
ユリエールが放つ球に魔力を吸われているのか、ご主人様の持つ剣が錆びついてきた。
この女の魔力は一体何なんだ。
僕ですら急激に力を吸われるような感覚がする。
「いいわ、最高よ。クラディウス様の魔力の次に美味しいわ、マリーノワーズ、あなたの魔力は」
「……今、なんとおっしゃいましたか」
あ、まずい。ご主人様にそんな口を聞いてはいけない。
意識が消えそうな僕にだってわかる。それは、ご主人様の……
「あなた、クラディウス様の魔力を何故吸ったことがあるのかしら……」
急にご主人様から強い魔力を感じる。
ユリエールは僕を抱く腕の力を緩めた。僕の体は床に転げる。
「な……だからなんなの。クラディウス様の魔力なんてそんな大した味でもなければ量も……」
「クラディウス様の魔力だからよ」
「は!?」
「例えどれだけ少なかろうが、味がまずかろうが、それがクラディウス様の魔力だとしたら、私はあなたを許さない。絶対に」
ご主人様の全身から漲る覇気が溢れ出る。
息をするのも精一杯だ。
だから言ったじゃないか!ご主人様を怒らせやがって!
このあと僕にとばっちりがきたらどうしてくれるんだ!
しかしこの女は辛そうにしているものの、口元は緩み、口角が上がっている。
化け物か?
「ふぅん、クラディウス様を愛しているのは本当なのね。ただの見栄で私を虐めていたのかと思っていたわ」
「私はクラディウス様が王子でなかろうが、魔力が一切なかろうが関係ないわ」
「今の、見栄に見栄を重ね、小さく愚かな自分を大きく見せようとして、王子でありながらも養子として迎え入れていただいた恩も忘れ反王政派に加担した愚かな者でも?」
「うるさい、だまらっしゃい!」
いけないご主人様、そんなに気を乱したら魔力が……。
「黙るのはあなたの方ねマリーノワーズ……!」
ユリエールは片足に力を入れると瞬時にご主人様の胸元へ切り込んでいく。
いけない!そこは魔力量が薄くなっている。
「くたばれ性悪の魔女……!」
ユリエールの短剣は胸元を深くえぐり、その刺し傷からは大量の血が流れ出す。
僕は血が嫌いなんだ。
母上と父上が串刺しにされて、血まみれで死んでいったのを魂が覚えているから。
「リングレット……!」
ご主人様は静かに沈んでいく僕の体を支えると、慌てて膝をつく。
だめじゃないか、僕のご主人様は気高く美しくないと。
あなたは僕のご主人様失格だな、犬である僕すらも守れないなんて。
むしろご主人様を守った僕の方が主人に相応しいのではないか?
そういえば僕は百合の魔女の息子だったな。ご主人様より格が上じゃないか。
僕はわかっていたさ、百合の魔女と隣国の王子の話を聞いたときに、僕がその子供だってことくらい。
僕が天才なことを忘れないで欲しい。
そう、僕は百合の魔女の唯一の子供……
え、僕、魔女の子供なの?
「え!?じゃあ、僕がこの程度で死ぬわけないだろう!?」
僕は涙ぐむご主人様の胸から飛び起きた。




