第34話 お迎えに上がりました、リングレット様
「私の……血」
ついに僕はこの美しい体に流れる血すらも狙われるようになったのか。
この僕の価値がわかるのか、偽聖女ユリエール……見る目がありすぎる……。
……でも、僕じゃなくて僕の血とは?
「あ、あの……私の血、が、何か重要な意味を成しているのでしょうか……?」
「ありますわよ。だって、あなたのような綺麗な男の血なら啜りたいと思う女性がいてもおかしくはないと思わない?」
そうか……僕は血を啜りたくなるほど美しかったか……。
なんて罪な男なんだ!ただの一般庶民さえも惑わす……!
「なので、あなたには傷一つつけるつもりはないわ。あなたの血をあの女に啜らせる気はさらさらありませんからね」
ご主人様は僕の唇を親指でなぞると、端に付いた唾液を拭い取る。
口の端に軽く口づけると、僕の首に腕を回す。
「私の可愛いリングレット。絶対にあの女に渡す気はありませんからね。あなたもあの女に誑かされないように」
「……大丈夫です、私は見る目がありますので」
「あら、そうなの?」
「はい、私のご主人様はあなた様だけです。マリーノワーズ様」
僕はご主人様の腕をこの身から離すと、その手を取って跪き、手の甲に口づける。
ユリエールとかいう得体のしれない自称聖女が僕を求めようとも、僕のご主人様はあなただけだ。
例え、この体が奪われても。
*****
夜、窓の外が暗くなっても、僕はカーテンを閉めなかった。
敵襲がすぐわかるように、というのもあるが、ただ単純に、窓から見える街並みが美しいからだ。
店先に並べられた花の横には灯りをともしたランタンが置かれており、街全体が橙色の花のように闇夜へ浮かんでいるようだった。
出来れば敵襲は最終日にお願いしたい。
僕は美しいものが好きだし、何より情緒を重んじる空想家だ。
せっかく特訓もなく、汗一つかくことのない優雅なひと時を感じられる、僕に相応しい夜なのだ。
……たまにはこんな夜にうっとりしていてもいいだろう!?
「……なんだ綿毛、うるさいぞ」
うっとりと窓の外を眺めていると、どこから入ってきたのか、綿毛が僕の足元を走り回る。
そんなに媚びを売っても散歩はしないぞ。花祭りの時期だけはお前のご主人様はマリーノワーズ様だからな。
まぁあの女が怖くて、この美しい僕の元へ逃げ込んでくるきもちはわからないでもない。
仕方ない、この哀れな僕の取り巻きにも僕の瞳に映っている美しい景色をおすそ分けしてやろう。
僕は綿毛を抱き上げる。すると、窓に美しい僕とよだれを垂らしながらアホ面をかます綿毛の姿が映った。
「ん?何だあれは」
突然、街の灯りから火の玉のようなものがいくつか飛び出してくる。
じっと窓を覗き込むと、段々とその火の玉は大きくなり、僕の瞳を覆いつくした。
「え?」
気付いた時には遅かった。
「火、火矢だあああ!!!!」
僕は綿毛を抱いたまま窓から慌てて逃げだす。
火矢は真っすぐ僕の部屋の窓に向かって飛んできた。
「ままま、魔法……魔法……?何の魔法を使えばいいんだ!」
綿毛を抱きしめたまま、僕は混乱し、属性魔法を使うことなく手のひらを差し出す。
すると突然火矢は消滅し、跡形もなく消えた。
「え、僕……何かした……?」
驚きのあまり、綿毛と顔を見合わせる。
綿毛も何が起こったのかわからないのか、アホ面のままこちらを見上げ、頬を舐めた。
「あらもういらしたのですか?気忙しい女は嫌われるというのに、ねぇリングレット」
ご主人様は突然僕の横に現れた。
また転移魔法で来たのか。それにしても随分とタイミングのいい。
「ご主人様、火矢が飛んでまいりましたが、私が見えない魔力で消滅させました」
「それはご苦労。でもあれは幻想魔法よ。ただの冷やかし。でなければ私ももう少し早くあなたの部屋にたどり着いていたわ。まぁ、その幻想魔法にすら気付いて真っ先に駆け付けた可愛い子もいたようですが」
そう言ってご主人様は綿毛を撫でる。
なんだお前、奇襲に気付いていたのか。
気付いていたならきちんと僕に報告しろ。全く、驚いて腰を抜かしてしまったではないか。
「今のはただの挨拶。本番はこれから」
ご主人様は窓を開け、手のひらを翳す。
すると屋敷の周りに張り巡らされていた結界の網が具現化され、火矢が飛んできた方角に一部欠損が見えた。
「今のは結界の強度を図る魔法ね。本当小賢しい。あの女が考えるようなことよ」
「……た、たかが幻想魔法程度で破れるような結界を張られたのですか……?」
恐る恐る聞くと、ご主人様は僕の口を縫うような鋭い視線を向けた。
まずい、ご主人様にあのユリエールとかいう女の話は厳禁だ。くわばらくわばら。
「とりあえず結界をもう二段階強度を強めておいたわ」
「二段階?」
「ええ、今日は敢えて相手の出方を見るために、弱いものを張っていたの。おそらくあちらも出方を伺うと見てね」
優雅に不気味な笑みを浮かべ、窓を閉めると、ご主人様は僕のベッドに腰を掛ける。
指を鼻先に近づけると、途端に顔を歪め、つけていた網の手袋を外し、燃やしてしまった。
「ご、ご主人様、どうかなさいましたか」
「結界を張り直したら、破られた個所についたあの女の魔力の臭いがしたのよ」
灰すら残らず燃え切った手袋に同情すると、ベッドを叩き、僕を呼ぶご主人様の言うことに従う。
ご主人様の横に座ると、傷一つない指先で僕の顎下を上げる。
「あなたは本当に色んな方に情を向けられるわね。あの女も、どうでもいいクラディウス様を誑かしたりなんかせず、本命のあなたに色仕掛けでも仕掛ければよかったのに」
息を止め、じっとご主人様の出方を伺う。
本当に魔物のような表情をする女だ。
まぁ魔女の末裔なのだから仕方がないのだけれど。
そんなことを考えていると、ご主人様は興が削がれたようにつまらなさそうに指を下した。
「……あなたって本当によくわからない子。年上なのにとっても幼稚で、幼稚かと思えば常人を凌駕する能力で私を驚かせる」
「こ、光栄です……」
「あら、褒めてないわよ。褒めてない。あなたは少しばかり自分に都合のいい解釈をする癖があるようね」
自分に都合のいい解釈……?
なんだ?僕はただ素直なだけで、言われたそのままを受け取っているだけなのだが。
それを幼稚というのならば、僕はその評価を甘んじて受けよう。
「……そんな純白の魂だから、あの女が欲しがるのよ」
ご主人様は皮肉を笑うように口角を片方だけ上げる。
僕が美しい純白の魂の持主なのがそんなに憎いのか……!?
まずい、逆に僕は魔女に囚われていて、反王政派は僕を助けるために来たのではないか。
僕が唸り始めると、綿毛が膝に飛び乗り、僕の上半身に襲い掛かる。
お前はいつも温かいな綿毛……何だかお前を抱いていると僕はいつも眠く……。
「はっ!」
ついうっかり寝るところだった。
まずいまずい、と起き上がると、僕の胸の上でしっかりと綿毛が寝ている。
もしかして結構寝てしまったのか?何だか体も軽いし、お肌も輝いている感じがする。
隣にご主人様もいないし、何だか最高の目覚めだ!
窓から見える、街の風景が全身鏡に映ると僕はうっとりした。
街に飾られていたランタンが、庶民の簡素な魔力で天に浮かび上がっていく。
僕は窓を眺め、ふわふわと空を舞うランタンに目を奪われる。
花祭りというものはこんなに幻想的な祭りだったのか、すまない、庶民の祭りなどとあざけ笑って……
しかしランタンを初日に打ち上げてしまっていいのか?あと四日もあるというのに。
「あら、目が覚めたの、リングレット」
「ご主人様……すみません、寝てしまって」
「いいのよ。むしろ本番に目が覚めるなんて、流石ね」
本番?何のことだ。
先ほど火矢が飛んできたばかりだというのに、まさかこれから追い打ちで火矢が飛んでくるのか!?
「あら、もしかしてあなた、気づいていないの」
「な、何のことですか」
そう尋ねた瞬間、激しい爆発音とともに、僕の部屋の窓が大方大破した。
な、なんてことをしてくれるんだ……!僕がご主人様に起こられたらどう責任を取ってくれるんだ!
僕は恐る恐る埃煙を長い睫毛で守りながら薄目を上げると、中から妖精の囁きのような笑い声が聞こえてくる。
「やっと会えましたわね、リングレット様。私の名前はユリエール。あなたをお迎えに上がりましたわ」
またこの僕に執着する異常な女か!?
いや、僕の価値を正確に把握しているんだ。もしかしたら味方かもしれない……。
僕は身構え、そっとその女の姿を見る。
女は煙の中から姿を現し、気味悪く笑った。
「ああ、やはり想像以上にお美しい方。本当に食べてしまいたいわ」
その女は、僕を見ると舌なめずりをする。
銀色の美しい髪、赤い目、病的に白い肌……。
それに……。
「うわああああなんだその生霊はああああああ!?」
女は背中に大量の禍々しい魂を背負っていた。
僕は誓った。この女を絶対に滅ぼすと……!




