第3話 空っぽの器の方が都合がよろしくてよ
しばらくして男の使用人が持ってきた服に袖を通すと、全身鏡で姿を確認する。
「何だ、普通の服じゃないか」
普段来ている服より流石に装飾は少ないが、普通の使用人よりも上等な仕立ての服だ。金持ちの庶民がこういうビロードの服を着ていたな、と思う。
袖口を覆うレースが手首に当たり、少し心地悪い。
それにしても、何をやらされるんだろう。使用人というくらいだから、帳簿関係か、調理か……
嫌だ、僕は数字を見ると寒気がするし包丁など持っただけで気絶してしまう……僕はか弱いんだ!
「あら、よく似合うじゃない」
マリーノワーズ……いや、ご主人様はドアをノックもせずに部屋へ入ると、涼やかに微笑む。
完全に楽しんでいやがるなこの女……と思うが、この女に逆らったら僕の幸せな生活が脅かされてしまう。
僕は結構世渡り上手なんだ。愛想笑いの一つくらいくれてやる。
「や、やぁご主人様。どうだい、この僕の姿は……」
服を見せるように両腕を広げる。
それと同時に、マリーノワーズが扇子を叩く音が部屋中を震わせた。
「ご主人様、になんて口の利き方かしら。敬語も使えないの?駄犬」
そう凄まれると、僕は石像のように体を固まらせ、息を止めた。
ご主人様は僕の周りをゆっくりと回りながら見ると、不遜な笑みを浮かべる。
「流石社交界の黒真珠などという趣味の悪い字名をつけられるだけあって見栄えだけはするわね。私の犬として合格よ」
「は、はいっ!ありがとうございます!ご主人様」
「見た目だけは、ね」
ご主人様は僕の下唇に扇を当てると突き上げた。
な、何をさせるつもりなんだこの女。ぼ、僕は観賞用なんだ。何も出来ないんだぞ!
「この見栄えなら、あの男も騙せるでしょう。あなた、明日私と共に登城なさい」
「と、とじょう……?ですか」
とじょうってなんだ。登城?なわけないか。僕は第二王女に婚約破棄された男だぞ。城から出禁を食らってもおかしくない。一体何のために。
「少し、お話しいたしましょうか。私、あなたのこと、何も知らないもの」
「は、はい……」
「名前と爵位は知っているわ。社交界の黒真珠なんて呼ばれていることや、第二王女の元婚約者であることも」
「それ以外、ですか……」
僕のことを知りたいなんて、この女も結局は俗な女だな。
この美貌を側に置いて弄びたいだけじゃないか。趣味悪。でも気持ちはわからなくもないぞ。
「そうですね……まず朝はゆっくりと日が完全に登ってから紅茶を」
「あなた、第一王子に面会したことはあって?」
は?第一王子?この女、僕のことを知りたいんじゃないのか?
「だ、第一王子……?クラディウス様……ですか?」
「ええ。他に第一王子がいて?」
第一王子クラディウス……確か僕より一つ上の、なんか稀代屈指の優秀な王子だとか遊んだご令嬢たちが言っていたな。
まぁ優秀だろうが何だろうが、なんか国の面倒なことをやってくれているのはありがたい。じゃないと僕にお鉢が回ってくるところだったからな。
「面会……はしたことがあります。しかし……大した印象はなく」
確かアリエスタと同じく金髪で、碧い瞳をしていたか?
男には全く興味がないので見た目すら朧気だ!
「では、あの男のいい所を3つ挙げてごらんなさい?」
ご主人様は僕を試すように舐めた目つきで弄ぶ。
第一王子のいい所を3つ……?そんなの無理だ!僕はあいつの顔すら覚えていないんだぞ!
「そそそ……そうですねぇ……」
視線を泳がせながら、ご令嬢たちが第一王子に使っていた誉め言葉を必死に思い出す。
「な、なんか~……優秀でぇ……この国を任せるに足りるお人と言いますかぁ……剣技もお得意で、しかもなんか?学生時代は身分を隠して騎士団に入隊していたとかなんとか」
「本っ当にあなた、自分以外に興味がないのね!」
ご主人様は見たこともないような素の表情をして驚いた。
しかし別に叱られるわけでもなく、ご主人様は奇妙な生き物を見るように僕を観察する。
「いいわね、第一王子も知らない元侯爵子息。下手に信仰していたり、良いイメージを持っていなくてよかったわ」
少女のように微笑むと、ご主人様は僕に顔を近づける。
な、何なんだ。気に入られたのか。今更僕の魅力に気付いたのかこの女。
「空っぽの器の方が、洗脳しやすいもの」
「……え?」
空っぽ……?この僕が?
いやまぁ、第一王子のことはよく知らないから、第一王子に関しては空っぽだな、うん、空っぽだ。
「あなた、明日私のエスコートをしなさい。ご令嬢たちと浮名を流していたのですから、エスコートはお手の物でしょう?」
「え、ええ……まぁ」
「あなたの身元は割れているでしょう。きっと登城すればあなたは場内の臣下や王族の方々に嫌悪の目を向けられるか、憎しみの目を向けられるか……それには耐えられそう?」
……何でこの僕が嫌悪や憎しみの目を向けられるんだ?僕はただ愛し合う二人を祝福しただけだろう?
「別に、睨まれる理由がないと思うのですが……」
「ふっ、流石だわ。それくらいでなければ私の犬は務まりませんからね」
何だか馬鹿にされた気がする。まぁ仕方ない、僕はご主人様の犬なのだ。
犬だから侯爵子息でなくなったのにこんないいベッドに寝て、綺麗な服を着せてもらえるのだ。多少は大目に見てやる。
「第一王子にはあなたの身分は敢えて明かしません。ただ、拾った、とだけ申し上げます。あなたも、リングレットという名は名乗ってもよろしいけれど、ガルシアン侯爵子息であることはもう忘れなさい」
「まぁ、別に、いいですけど……僕は何のために?」
「あなたはただ、私に従順な従者として振舞うのです。私が鳴けと申せばわんと鳴き、座れと言えば地べたに座る。ただそれだけでよろしいわ」
「……第一王子に僕を犬として紹介するおつもりですか」
「まぁそんなところですけれども、あの男はあなたのように空っぽで単純な男ではなくってよ」
別に矜持なんてものはないが、何度も空っぽと言われると何だかちょっともやもやする。
なるほど、これが矜持ってやつか……?厄介だな、捨てとこう。




