第28話 もう離してあげませんからね
僕が先頭に立ち、アルザンドの案内で街まで帰ると、ご主人様は警備兵の詰め所の入り口にあるベンチに座っていた。
僕が大きく手を振ると、心配そうな顔をして真っ先に駆け寄ってくる。
しかし、後ろにいるアルザンドの姿を見るなり、顔色を変えた。
「ご主人様……!」
僕が駆け寄ると、ご主人様は僕の腕を強引に引き、片手で抱き寄せる。
「お帰りなさい、リングレット」
僕の肩に顎を乗せ、ゆっくり背中を撫でる。
まるで犬の毛並みを確かめるみたいに。
そうだぞ、ご主人様の犬が帰ってきたんだ。もっと喜んでいいぞ。
というかもう二度と僕の手を離さないでくれ。
僕がそっとご主人様の手を握ると、ご主人様は驚き、目を開くと、嬉しそうに僕の腕へしがみ付いた。
「あら、アルザンド様、あなたも一緒だったの?」
「……ええ、まぁ、警備兵と見回りをしていたところ、怪しい男が貴族風の男を担いで街はずれの小屋へ逃げて行ったと耳にしたので」
「まぁ、随分と都合がよくリングレットを見つけられたこと。まるであなたが誘拐の首謀者のようだわ」
「……私は決してリングレット殿に手をかけるような事!」
アルザンドは途中で我に返り、はっと口を閉ざし顔を背ける。
……一体何だったんだ。
僕はご主人様を見る。何だか愉快そうにアルザンドを見つめ、にやついている。
なんだ、ご主人様もアルザンドが嫌いなのか。
僕と一緒だな!
「さぁリングレット、もう屋敷へ帰りましょうか。やはり街は危ないわ、特に花祭りの期間中は、人が多すぎて、輩が紛れ込んでいることに気付かない」
「確かに、そうですね」
街は人がごった返している。
僕は美しい体を変な格好で担がれたから目撃者がいたが、小さい子供など誘拐されたら誰もわからないだろう。
それに街にあふれた花に皆視線を奪われていて、隣にいる人のことすらまともに見ていない。
……僕という花にも見向きもしないとは、花祭りとは大罪だな。
「アルザンド様、あなたは街に残るのでしょう?」
「ええ、私はもう少し警備兵と共に街の見守りを続けます。できれば花祭りの期間中はこちらに滞在したいのですが」
「いいわ、その間、リングレットは私が責任を持って育てましょう。飼い主ですからね」
ん?飼い主と言ったか?
確認するように隣を向くと、ご主人様の顔面に、分厚い笑顔の仮面が張り付いている。
お、恐ろしい……!やはりご主人様にたてついてはならない。
初めて会ったあの夜の女こそ、ご主人様の本性なのだ。
肝に銘じろ僕!最近何だか馴れ合いが多いぞ!
「さぁ帰りましょう。ブティックの男物の服は一通り買いました。屋敷で好きなものを選ぶといいわ」
そう言い、僕に手を差し伸べる。
ああ何故だろう。不思議とついその手を取ってしまう。
いかん、馴れ合いはいけない。
この女は恐ろしい女なんだ。
しかし僕はご主人様の手を握ると、見つめ合う。
これは情愛ではない。……なんだろう、敬愛でもないな。
なんかよくわからないがご主人様と一緒にいたいと思うんだ。
僕が犬だからか?
綿毛の気持ちが少しだけわかる気がするぞ。
「ではアルザンド様、花祭りを楽しんで」
「はい、マリーノワーズ様もご健勝で」
アルザンドはご主人様に礼をした後、僕をじっと見つめる。
お前なんかにくれてやる顔などない。
僕は不機嫌そうに顔を背け、ご主人様のそばに寄った。
馬車に乗り込むと、窓から、馬車を見つめるアルザンドを眺める。
何でお前はずっと僕を切ない顔で見つめる。
まさか僕に恋をしているのか。
いやいや、そんな気色の悪い想像はしたくない。
しかし気になるな。あのアレクサンドル様とやらと関係あるのか。
まぁいいや、今はとにかく眠い。
僕は微睡に任せてご主人様の肩に頭を預ける。
「可愛い可愛いリングレット。今は一度の休息を味わいなさい」
そう、僕はご主人様の可愛い犬。
今日は少し疲れたな。アルザンドが屋敷から離れるってことは、しばらく特訓はお休みかな。
美味しいクロワッサンも紅茶もいらない。
今はとにかく寝たい。
僕って今まで頭を使ってなかったんだな。服を選ぶだけで頭を使う。
せっかく頭がいいんだから使わなければ宝の持ち腐れだな。
ご主人様はそういうことが言いたいのか?賢いのだから頭を使え、と。
「僕は賢いんだ……ただ、温存していただけで……」
僕の小さな寝言に、ご主人様は優しく「はいはい」と返事をする。
屋敷に戻った気配がすると、ご主人様は使用人を呼び、僕の体を丁寧に部屋へ運んだ。
僕の眠りを妨げないように。
「もうあなたの手を離してあげませんからね」




