第10話 凶悪な綿毛
厚いカーテンが光を遮る。
光が一筋も入らない部屋で、僕は睡眠を貪っていた。
どれほど寝たのだろう。何だか腰が痛い。たかがあれだけで体を痛めるとは、流石僕はか弱い。
鼻を掠めるバターの匂いに、長い睫毛を上げる。ゆっくり瞼を開けると、暗い部屋に使用人が次々と入ってきている。
僕は驚き身を屈めた。
「あら、おはようリングレット。よくも三日も寝ていられること。軽食の用意が出来たから起きなさい」
「……え、三日……?」
そうか、僕は三日も寝ていたのか。僕は繊細だからな、精神的にも疲れてしまったのだろう。
腰をさすると、ご主人様は鼻で笑う。
「三日も寝ていれば、腰も痛くなるわよね」
「はい、僕はか弱いので、ちょっと動いただけで体が痛くなってしまうのです」
そう返すと、ご主人様は目を丸くして僕の寝姿をじっと見た。
「ふふっ、そうかもしれませんわねぇ」
ご主人様は愛玩動物を愛でるように笑うと、紅茶を一口、口にする。
その匂いに誘われて、僕は足をベッドの外に出した。
「あなたには、勉学や剣術など様々なものを叩きこむつもりでいましたが、本当に必要なのは体力かもしれませんわ」
体力……?僕が一番嫌っているものじゃないか
体力なんて体を動かさなければつかないこの世で最も愚かで最悪なものだ。
あればかりは天才のこの僕でも努力をしなければ身につかない……ああ、憂鬱だ。
僕は足をベッドの中に戻した。
「……あら、まだ眠っていたいの?十九歳にもなって子供なのね」
「まだ十代です。……ご主人様ほど大人ではありません」
「あら、私は十八ですからあなたより年下よ」
僕は驚いて飛び起きた。
この女……年下なのにこの僕を従えている……だと!?
「あらおはようリングレット」
ご主人様が手を叩くと、入口から数人の使用人が入ってくる。
「今日はこのお召し物がよろしいのでは?」
「いいえ、リングレット様はこのワインレッドのベルベットがお似合いかと」
「このシルバーのブローチはいかがですか?」
侍女たちが寄ってたかって僕の体に服やアクセサリーを当て、ファッションショーを始める。
仕方ないな、僕が美しいのは事実だ。
ガルシアン侯爵家では僕の美しさに使用人たちも慣れていたから、こういうのは珍しいな。
「あなたたち、リングレットは今日、庭でトレーニングをしてもらうつもりよ。あんまり着飾らないで頂戴」
「はい、かしこまりました……」
ご主人様が優しくたしなめると、侍女たちはしょんぼりと大量の衣類手にかけ、部屋を出て行った。
どうやら侍女たちが持っていた服に、着飾らない服はなかったらしい。
「……あの、トレーニングとは……」
「正確にはトレーニングではなく、この子の世話をして欲しいのよ」
ご主人様の言葉に聞き耳を立てていたのか、その言葉と共に執事が部屋へ入ってくる。
……奇妙な綿毛と一緒に。
「きゃん!きゃんきゃんきゃん!」
その綿毛は僕に向かって吠えてくる。なんなら宙を飛び、襲い掛かってくる。
なんて凶暴な生き物だ!魔物か?僕に魔物のような野蛮な生物の相手をさせようというのか!?
「犬よ」
「……は?」
「あなたの運動不足解消用に、犬を用意したの。つまり、あなたと同等の存在であり、師匠となるわ」
……師匠……
この僕の師匠が!?犬!!!!???
「きゃんきゃんきゃわわわん」
うるさいなこの綿毛!何故こんな野蛮な生き物がこの高貴な僕の師匠なんだ!
「これから毎日、この部屋でお世話をしてもらうわ。散歩は毎日三回。この屋敷の庭を三周。この子はどうやら幼いようだから、随分と走り回るみたいよ。頑張って頂戴ね」
「へ、へぇ……」
そう言ってリードを渡されるが、その度にこの綿毛は僕に襲い掛かってくる。
本当……この僕じゃなければお前の身体能力に勝てないぞ!
僕はその襲撃を全て華麗にかわすと、綿毛を捕まえ、腹を抱いた。
「あら、もう手懐けたの?流石リングレットだわ」
「このような魔物程度手懐けられなければ、ご主人様の犬など務まりませんから」
僕はすっと直立に立つと、唸る綿毛を抱く力を少し強めた。
同時に、僕のお腹がすすり泣く。三日三晩寝ていたということは、食事も取っていないということか。
いけない。僕はか弱いんだ、倒れてしまう。
「……ご主人様、先に食事をとってもよろしいでしょうか」
「ええ、すぐに侍女が戻るわ。着替えたら食事にしなさい」
そう言ってご主人様は颯爽と出て行った。
まるであの夜とは全く違う印象だ。まとめていた髪を下すと、腰まであるのか。
ご主人様が部屋を去ると、僕は綿毛に牙をむいた。
「綿毛……!この僕の師匠などという立場に甘んじるなよ。ご主人様の犬はこの僕だからな!」
「きゃん!きゃわわわん!」
「うるさいな!お前はユリアンか!」
弟のユリアンも、僕がただそこにいるだけで食って掛かってきた。
やれ剣術に励めだの、何故兄上は努力をしないだの、お前は努力をしないから将来破滅するだの……
……今思えば、よく僕のことを考えてくれていたな?
僕は綿毛を高く抱き上げ、顔を見る。つぶらな瞳、ふわふわの白い綿毛のような毛並み……
「お前、アリエスタに似ているな……?」
あの女もふわふわの金髪に、大きな瞳をしていた。顔立ちも童顔で、よく見たらこんな顔をしていたか?
そして僕に食って掛かりきゃんきゃんうるさい小言を言うところはユリアンに似ている……
「アリアン……お前、アリアンと呼ぶことにしよう」
我ながらいい命名だ。この、自分は全てに愛されていると言わんばかりの顔はあの愚かな王女に、小うるさい所は弟のユリアンに。
……でもなんだか呼びたくないな?
「綿毛!僕が食事をとっている最中くらいは静かにしたまえよ!」
「ぐうううううううう!」
「唸るんじゃない!品がないぞ綿毛」
「きゃん!きゃわわわん!」
椅子に座ると、僕の足元をくるくる回る綿毛に、昔のことを思い出す。
ユリアンも、小さい頃は僕に構ってほしくてよく甘えてきていたな。
そんな感傷に浸っていると、脛に鈍い痛みが走る。
「ぎぃっ……!この綿毛……!やはりお前は許さんぞ……!」
僕は綿毛を部屋で追いかけ回す。
侍女が服を持って部屋に入ってきた頃には、僕は見るも無残に汗だくになり、髪の毛を濡らしていた。




