日常と密室4
しばらくしてから、覆っていた顔を開けて、僕との距離感を伺った後で、文坂さんが言った。
「そういえばあのときの総山親子ですが――」
「どうしたの?」
珍しく言い淀んでいた。
総山――たしか記憶を車窓に映すクラストに関する人たちだ。
「新しいクラスト商売を始めたようです」
「うわ……」
凝りてなかったのか。
「現実の中に、クラスト列車を走らせているようです」
「はい?」
「夜中に走る無許可列車として、一部で話題になっています」
「……クラストって、現実に顕現させることってできるものなの?」
「どうやら、そうらしいです」
電車内部の人にそう錯覚させているだけだと信じたい。
「クラストマスターである総山トオルさんが、元気に走り回らせています」
「電車を?」
「線路の上を走ってますね、密室が」
「クラストを使った暴走行為って、なんて言えばいいんだろ」
暴走族とか珍走族みたいな名前が必要なのかもしれない。
暴珍クラスト?
「親である総山文昭さんは苦労しているようです」
人の言うことを聞けないくらい調子に乗ったクラストマスター。
それはこの世の中で、一二を争うくらい厄介な存在だ。
「そっか、でもそれはあくまでも彼ら家族の問題だから、僕は介入できないかな!」
夜中に線路付近には近づいてはいけない。
それを肝に銘じておく。
僕が接近しちゃいけない場所がだんだん増えている気がする。
「そうですね、その方が無難でしょうね」
なぜか素直に納得された。
「……ひょっとして僕、恨まれてる?」
「いいえ、むしろ逆です」
「逆?」
「センパイは同情されています」
「意味がわからない」
「センパイの記憶をもっと消さなきゃ! って思ってるみたいです」
「うわ」
遠山トオルって子は、クラスト原因のトラウマを抱えていたらしい。
そのクラスト被害に、馬鹿みたいに遭った奴がいる。
その余計な重荷となる記憶を消すべきだ――そんな考えか。
「必要ない、って伝えて欲しい」
「直接言わないのですか?」
「僕が会えば問答無用で消去してきそう」
記憶消去治療に目覚めた自走式クラストマスターとか厄介すぎる。
「メトゥス会の管理人さんが、彼らに興味を持っているみたいですけどね」
メトゥス会、クラスト被害についての情報を集めているサイトだ。
交流も活発に行われているし、管理人がいろいろとヤバい。
「なにそれ」
「トオル君と協力関係を結びたがっているようですよ」
「うっわ……」
あの管理人は、クラストマスターを集め、支配することで何かをやろうとしている。
そこまでは知っている、そこから先は知らない。
「何してんだ、あの人」
「私、あの人苦手です」
「へぇ、珍しい」
文坂さんは、他人に対する評価はだいたいフラットだ。
「私に、センパイ以外の人をストーキングさせようとしてくるんですよ?」
管理人の方を応援したくなってきた。
「……少し、手を貸してあげてもいいんじゃない?」
「嫌ですよ」
「どうして」
「あの人、私が偽物だって気づきませんでした」
「いろいろな意味でそのハードル高くない?」
というか、現実で会話したと思うんだけど、どうして偽物を登場させることができるんだ。
「あの人は、復讐者です」
「そうみたいだね」
「ですが身勝手です」
「そうなの?」
その辺りはあまり聞いていない。
「恋人が亡くなったからといって、すべての行動が許されるわけではありません」
「あー、その辺の個人情報は、あんまり聞くべきじゃないかな」
気まずいどころの話じゃない。
「そうですか?」
「文坂さん、そういう機微を理解しないよね」
「情報は、知られれば知られるほどいいはずです」
妙な性癖だった。
誰が原因かはまったく不明だ。
「だいたい恋人関係といっても不倫だったじゃないですか、あちらの家庭内での不和とトラブルを起こしましたし――」
「うん、本当に個人情報の流出を気軽にするのは止めよう?」
「私の情報をもっと知ってほしいだけですよ?」
「それは文坂さんが抱える情報すべてを僕に漏洩しろって意味じゃない」
「……不倫相手の名字は佐木元と言うのですが――」
「僕は何も聞いていない!」
気に入ってるんだか突っかかっているんだか分からない、らしくない感情的な態度だったなということも思い出さない。
「佐木元麗さんの連絡先は、あの管理人に教えておきました」
「一方的に?」
「はい、一方的に」
あの管理人がその時どんな表情をしていたのか、正直少し見たくはあった。
+ + +
「そういえば……」
「なんでしょう」
話題を切り替えるためにも、僕は気になっていたことを訊くことにした。
「あの僕を猫にさせたクラスト、もっと言えば僕を猫に憑依させた密室だけど」
「はい」
「あれ、文坂さん覗いてたよね?」
「なんの話です?」
「とぼけるな」
以前、猫の姿を見たような発言をしていた。
なにより――
「猫として逃げている最中、文坂さんの声が聞こえた」
「それって気のせいですよ?」
「直接助けなかったことに文句は言わないけど、どうして傍観してたの?」
一声かけて注意を逸らすくらいのことは可能だったはずだ。
「あ、私が覗いてたこと事実化してる……」
「その確信がなきゃ、さっきあのクラストで頼んでない」
クラスト侵入の実績があったからこそだった。
「そうですね……」
「なに?」
「貸しがありますよね、一個使っていいですか?」
「どういうこと」
「やっぱりそんな事実はなかった、ということにしません?」
「僕に聞かれたら不味いと思うことをやろうとしてたな、言え」
「こんなときに限って、じっと私を見ないでくださいよ……」
「顔が喜んでるけど?」
表現しがたい表情だった。
「……センパイって、どこまでがセンパイなんだろうなぁ、って」
「ごめん、意味がわからない」
「精神を猫に入れ込んだ後であっても、センパイはセンパイだな、って思ったんです」
「ああ、うん、それはそうかもね」
単純に体が変わっただけだ。
「だったら、私にとって都合のいい肉体を用意して、そこにセンパイを移したら、とっても素敵かな、って……」
「おい」
「視界は必要ですよね? だけど、他のものっているんでしょうか。少なくとも移動機能は不必要ですよね?」
「現在、今ここにあるすべてが僕だ」
「えー」
「僕の脳に対する入力方法が変われば、徐々に僕も変化する、それは文坂さんが定義する「僕」じゃなくなると思う」
いまだに不満そうにする文坂さん、長机の上で寝ている布団からはみ出ている爪を叩いた。
「だから、そんな妄想を言ってないで、もう休むように」
僕は目を閉じながら、そう言った。
「……」
しばらく、文坂さんは黙っていた。
こちらを伺うような雰囲気があった。
「そう、ですか……?」
囁くような声だった。
背後から、コホンコホンという咳が聞こえた。
「とりあえず、僕はこのまま目を閉じたままでいる、文坂さんが起きるまでそうする予定」
僕は目の前の相手に向けてそう言った。
ここは、クラストだ。
このクラストの脱出条件は、「文坂波等羽を見つけること」だ。
目を開かなきゃ、見つけようがない。
「そう、ですよね……」
ためらいがちな声がした。
「これは、センパイにとっては貸しを返す行為ですもんね……だから……」
「いや違うけど」
妙なことを言う自称後輩だった。
「この看病は僕が当然すべきことだ、貸し借りの消費は当然なし」
あと八つ、どうやって返せばいいのかは、正直わからない。
「いいから、とっとと寝て、回復するように」
しばらく、物音ひとつしなかった。
ロッカーの方で、少し動く音が聞こえた。
夕日は変わらず窓から差し込んでいる。
その赤を瞼越しに感じた。
「――」
布団が動く音がする、人が接近した。
「いじわる」
耳元で、そう囁かれた。
僕は肩をすくめた。
「そうかな?」
「いー、だ」
どうやら布団に潜ったみたいだ。
僕が見ていなくても、恥ずかしがって逃げ出した。
本物の文坂波等羽が、目の前で眠った。
姿が変わっている。
したがって目の前の人は偽物だ――そう判断した。
だけれど、別の言い方をすれば「姿が変わった」だけでしかない。
髪の毛は切り揃えて短くできる。
メガネは買い換えればいいだけだ。
爪の長さは、付け爪があればいい。
特に医療用の人工爪だと「よく光を反射するな」ってことくらいしか見分けがつかない。
つまり、目の前の文坂さんは、偽物を装った本人だ。
ロッカー内にいるほうが偽物だった。
前回とは、真偽をそっくり入れ替えた。
ここでそれを指摘すれば脱出条件クリアとなる。
余計な負担をかけてしまう。
だから僕は「気づいたことを伝えるけど、発見ではない」という選択を取った。
意図を理解したからこそ、文坂さんはすぐに眠りについた。
僕がちゃんと分かっていたと、知ったからこそだった。
……というか、さっきまでの長話、この入れ替えに気づいて欲しくてやっていた?
「まったく……」
いろいろな意味で厄介だった。
まあ、けれど――
「おやすみ」
この言葉くらいは伝えるべきだ。
僕は目を閉じたまま近づき、その耳元へと囁いた。
日常と密室 了




