走灯密室・外2
「ここは、私のクラストです」
そいつが喋る。
カード型のクラストキーを手にしながら。
「これは、遠く遠くへと手を伸ばすためのものです」
高校生のガキが言葉を言う。
意味は分からない。
私は寝転んだまま、起き上がることができなかった。
「他のクラスト、そのような異なる遠方に届かせることが目的です。そのため、どうしてもそうならざるを得ませんでした」
簡素な、ものが少ない部屋。
どうやら高い場所にあるらしい、窓の外に他の建物が見えない。
「だってそうしないと、センパイを見ることができないからです、私のことを認識してくれません、酷いですよね」
「それは酷い」
その点だけは同意した。
センパイとやらが誰かは知らないが、大切な人から無視されることは許せない。
「ええ、ですから、「捕獲できる距離の延長」を行いました」
何を言っている?
「ここ宇執摩高校は高いビルです、このクラスト部はその最上階に近い地点です、町を一望できます。だから――」
ソイツは、笑った。
窓の外を指さしながら。
「阿波山優さんが先ほどいた場所も、見ることができました」
本当に嬉しそうに。
「あの地点からここまでは5キロほどの距離があります、その遠さを無視してあなたをクラストに入れることができたんです。この先、センパイがどこにいても捕獲できます。捕まえて、私のクラストに引きずり込むことができるんです、ね、これってすっごく良いことですよね!」
「……いいな」
「はい!」
心底羨ましい。
「だが、どうして名前を知っている?」
「ん?」
「私は名乗った覚えがない」
「ここがクラストだからです」
何でもないことのように、そいつは続けた。
「クラスト内では、認識がすべてです」
「……そうだな」
「同時に、その認識を、他人の記憶を盗み見ることができます」
「そうなのか?」
「ええ」
いろいろ条件が必要ですけどね、とそいつは続けた。
是非とも入手したいスキルだ。
「最近、私は大切なものを失ったんです」
「何だ」
「人格です」
意味の分からないことを言った。
「センパイと一緒に入ったクラストのせいで、私の人格の大半が消し飛びました。私だったものが欠けたんです、センパイも、見ていた「私」のことを憶えていない」
ようやく湧いた危機感に、身体を動かそうとする。
できない。
縫い付けられたかのように身体を起こすことができない。
「だから――」
いや、そもそも、どうして私はコイツに怒っていない?
ようやく、やっと、あの子を手に入れる直前だったのに、邪魔したコイツを前に、どうしてこんなにも平静でいる?
「他の方の人格を奪って、欠落を埋めることにしました」
「は……?」
「このクラストは、そのためのものでもあります」
「何を、おまえ、は……」
「クラストは、精神的な要素が大きい。場合によっては、記憶をすべて外部に放出させて奪うことだって出来る。阿波山優さん、あなたの人生を奪うことだってできる」
「ふざけるな、そんなことは不可能だ」
私自身がクラストマスターだからこそ分かる。
相手の同意もなしに、そのような強奪はできない。
「違いますよ?」
「何がだ」
「あなたは、私です」
「あ――?」
「あなたは私の人格の一つです、そのように私は定義しました、そうであると心から信じました、このクラスト内には現在、私一人しかいない」
無茶苦茶な理屈。
だが、他ならぬ私がそれをやろうとした。
あの子が私だと、羽場翠は私だと信じた。
心底からの確信は、クラストでは事実として扱われる。
「ほら、こうして――」
示した先。
部室の窓ガラスに映っていた。
私の記憶が、あの子をずっと見続けた歴史があった。
「あなたが持つ記憶すべてを受け取るのなら、もう私はあなた自身だと言っていい。あなたは、私になるんです」
「違う!」
認めるわけにはいかない。
「でも、もう動けませんよね?」
「お前は――」
「ねえ、名前くらいは簡単に分かるんです、だって自分のことですから、あなたは私の人格の一つなんですから、知らないわけがないんです」
何を言っているんだこの狂人は。
いや、だが、ここはクラストだ。
あくまでもその法則に従っている、だったら――
「ああ、脱出の条件を探っているんですか? 無駄ですよ。ここでの脱出条件は私を見つけることです」
「あ?」
「これは、あなたが見ているこの私は、本物じゃありません」
やばい――
やばいやばいヤバい、本当に、本当にコイツが何を言っているのかわからない。
なんなんだ。
何者なんだ、コレは。
「センパイみたいに見つけてくれるなら、見逃してあげてもいいですよ?」
「初対面を相手に何を言ってるんだ!」
「そうですか、そうでしたかね、ああ、そういえばそうでした、もう半ば私になっているから、そんな気がしませんでした」
窓では映像が流れる。
私の記憶が。
凄まじい早送りで。
それを背景にして、そいつは笑う。
楽しそうに、とても嬉しそうに。
「あなたのすべてを、情報のすべてを引き剥がしたら、一体なにが残るのでしょうか、それでもストーキングを続けるのでしょうか? 羽場翠を求めるのでしょうか? もしそうなら、それはとても素敵なことです、それが私です、それを私が受け継ぎます、私が行います、ああ、ですから心配せずとも――」
声が、止まった。
バイブ音がしていた。
その怪物は、非常に嫌な顔をしながらスマホを見つめた。
「……私、そういえば、センパイのことを盗撮するためにも、このクラストでは外部との電波のやり取りができるようにしてました……」
眉根を寄せ、だが、ほのかに嬉しそうに、ソイツは通話に出た。
「センパイ、どうしました? 私の声を聞きたくなりましたか? もしそうなら、とても良い傾向ですね?」
「……あ、いえ、別に変なことはしてませんよ? 本当です、ええ、後輩うそつかない」
「…………どうして疑いすら越えて確信までするんですか……」
「いえ、たしかに、たしかに? ちょっとだけ、ちょぉっとだけ現実離れしたようなことをしているかもしれませんが……」
「え……そこ……? センパイが嫌なのって、そこなんですか……?」
「うぉぉ、意外です、とても意外です、まさかセンパイが、そんな真っ当な人間みたいな発言をするなんて……」
「勘違いなんてしていません、後輩は確信しています」
何か会話をしていた。
先ほどまでの超然とした、化物そのものの表情ではなかった。
「――」
私は叫ぼうとしたが、出来なかった。
事態を打開するための、会話の邪魔すら行えない。
身動きできないどころではなく、呼吸することすら困難だった。
邪魔を意図すればするほど、息苦しさは増した。
「もう……」
非常に困惑した、あるいは、笑顔を噛み殺したような表情で通話を切り、そいつはスマホを振った。
「センパイってば、私に人を殺して欲しくないそうです」
「……」
「変なセンパイですよね? 別に私、あなたを殺すわけじゃないのに」
声は、変わらず出せない。
どんな非難も否定も口から出ない。
「仕方がないので、これで勘弁することにします」
近づいたそいつは、私のポケットから物を取り出した。
キーケースだった。
その中の鍵、クラストのキーを手にする。
「!」
吠える、咆哮する。
全身で拒否する。
声が出ない?
呼吸ができない?
知ったことか。
それは、あの子との繋がりだ。
私が独占するための手段だ、それを取り上げることは、私から一切の光を奪うことに等しい。
「ダメですよ?」
だがそいつは気にすることもなく、むしろ優しく私を撫でながら言った。
「人格を取られたくない、クラストも奪われたくない、そんな贅沢なことは許されません」
だったら、人格の方がまだマシだ。
あの子のことを見れなくなるなら、死んだほうがいい。
それは、そのクラストは、私のものだ。
「へぇ?」
そいつは、その化物は。
「確かに、その気持は分かります。大切な人に見られなくなるのって、最悪ですよね」
私に顔を近づけて言った。
「わかりました、理解しました、ええ、私はあなたなんですから、誤解なんてしません。あなた以上にあなたのことを把握します」
戯言だ。
そんなことは――
「この文坂波等羽が、あなたに助力します」
微笑み、小首を傾げながら、それは言う。
「ただ、すべてが望み通りとは、限りませんけどね?」
掲げたキーを握り潰すのが見えた。
それを最後に。
私の意識が途切れた。
+ + +
なにかが、起きた。
それがな
にかは分からない。
誰、いや、違う。
私 だ。
ここにいるの
は私。
本当に?
勘違いじゃないのか?
私を定義するものは?
一つしか選べないとしたら?
問いかけられ、問われ、答える。
情報が抜かれる、あるいは再構成される。
バラバラにバレバレ。
遠回りに近づき、距離が離れて傍に寄る。
夜に満たされ、寄る辺もなくて、
酔って、依って、因って、甩。
生きている?
死んでいる?
認識とは?
ああ、違う、そうじゃない。
そういうことではない。
私の望みは、私の欲望は、たった一つに集約される。
だから、頷いた。
そうあることを。
+ + +
午前の日差しが部屋に入る。
暖かさを感じ取れる光景だ。
私は仄かにしか得られない。
「いってきます」
そう微笑みかけられた。
見たかった笑顔だ。
とても、とても。
どうやってでも、何よりも欲しかった、たった一つのもの。
平和な光景の中で、輝いていた。
羽場翠。
私の前世。
私の運命。
私のすべて。
だけれど、本当に欲しいのはこれだったのかもしれない――今となってはそう思う。
軽く抱きしめられて、離れる。
1秒にも満たない抱擁が、私の心を暖かく満たす。
私と認識せずに、私のことを愛してくれる。
その喜びを知った。
悔しいが、とても悔しいが、私が彼女を攫い、クラストに閉じ込めたとしても、こんな気持は味わえなかった。
これだけは、あの文坂波等羽とかいう奴に感謝してもいいのかもしれない。
手を振り、彼女はドアの外へ行く。
しばらく離れ離れだ、けれど、大丈夫だ、平気だ。
きっと戻ってくる。
ずっと見ている必要なんてない。
そんなことをせずとも、平気だった。
戻る、ここに――彼女の自室に。
私に――クマのぬいぐるみとなった私に、会うために。
私自身の肉体は別の場所にある。
あの文坂波等羽とかいう奴が、どうにかしたらしい。
意識だけが、ここに転送されている。
砕けたクラストキーの欠片をぬいぐるみ内に入れることで、その接続を作り出した。
こうなった当初は、困惑したし激怒した。
あらん限りの呪いの言葉をあの狂人にぶつけた。
今の私は身動きが取れず、話すこともできず、待つだけだ。
けれど、それで構わなかった。
私なんていらない。
そう、気づいた。
あの子がいればそれでいい。
私が人間であった事実の方が、きっと間違いだった。
あの子に抱きしめられて、愛される。
私はそういうものでありさえすればいい。
そのあたたかさが、魂を容易く溶解させた。
私自身が思い描くどのような満足より、それは深い熱だった。
これから先の私の記憶は、この部屋と、あの子のことだけで満たされる。
余計なものなど一つもない。
後悔なんて微塵もない。
私が最期に見る走馬灯は、きっと素敵なものとなるに違いない――
走灯密室 了




