走灯密室・内5
延々とつきまとい続けたストーカー。
それが、車のドアを開けて直接対峙しようとした。これは――
「たぶんこれ、ここ最近の羽場翠さんの行動が原因だ」
「みっちゃんの?」
「佐木元麗が見つからなかったから、彼女はいろいろな場所を探した」
「え、ぼく……?」
「うん、そして、その探した中には、危ない場所も含まれていた」
結果的に酷いことにはならなかった。
心配するようなことはなにもない。
だけど、このストーカーの判断は違った。
「今まで良くも悪くもスマートに、危なげなく過ごしてた子供が、初めて「間違った行動」をした」
僕らがいるこのクラストは、答えを教えてもらうものだ。
どんな危険も、数人分の思考で解決に導く。出会ったピンチを回避できる。だから心配事など起きなかった。
管理人は心底面倒そうに、嘲笑まじりの息を吐いた。
「この迷惑なストーカー女はつまり、親切心で行動している。大切な子供が危険な真似をした。もう一度やるかもしれない。誰かが注意してあげなければならない――」
真っ黒な目で羽場翠を見つめ、車を降りようとしている、その場面を、子供はまじまじと見た。
「いや、いやいやいや」
「何が不満?」
「待て、ちょっと、待って!」
「なんだ」
「だったら、これ、みっちゃんは、どうすればいい?!」
「逃げればいいだろう」
「……みっちゃん、運動は苦手なんだ!」
「どの程度だ」
「長距離だと、ぼくに追い抜かれる――!」
絶望的だった。
「ならば、他に助けを求める以外にない」
「それも難しいですね」
「なぜ」
「この付近、帰り道だから知っていますが、あまり人が通りません」
ビルや住宅地が立ち並ぶ地帯だ。
夕暮れのこの時間帯は、ちょうど人がいない。
「防犯ブザー等も、あまり効果がないと思います」
「携帯を使い通報は」
「間に合いますか?」
「……確率は低いか」
スマホで助けを呼ぼうとしても追いつかれ、犯人が通話を切ることができる。
そんな距離感だった。
「下僕」
「なんでしょう」
「ぼくらは、このクラストから解放されたら、どの位置に出る?」
「直前までいた場所でしょうね」
「ぼくはまだ病院だ、この付近にはいない」
「僕も学校ですね、ちょうど校門を出たタイミングでした」
「わたしに聞くかね?」
位置としては僕が一番近い、それでも走って15分はかかる距離だった。
「……なら、ここから出た瞬間に、通報すれば……」
「たしかに車のナンバーなどは分かるだろう、だが、それだけだ」
仮に信じてくれていたとしても、そこから警察が動き出すまでは間がある。
即応してくれることは無い。
「状況を整理します」
僕は混乱する子供を落ち付けるよう促しながら続けた。
「ストーカーが車から降りて、羽場翠に何かしようとしている。車で連れ去るのかもしれないし、話しかけるだけかもしれない、ただ、羽場翠さん本人は、最大限の危機だと捉えている」
「そんなにか?」
「彼女自身の人生を、他人にすべて見せても良いと考えるくらいには、危機感があったと見るべきです」
「それこそ、車に轢かれる寸前と同レベルだろうな」
「僕らに望まれたことは、この危機からの脱出方法です。けれど……」
「それ、どうやるんだ……?」
周囲に人影はない。
携帯での通報も間に合うか不明。
僕ら三人も直接助けには行けない。
「物事はシンプルに捉えるべきだ」
管理人がむっつりとした顔のまま続けた。
「我々が行えることは、羽場翠に伝えることのみだ」
音声によるアドバイスを伝達する。
これはそういうクラストだ。
「ならば、何を言うか、どう言えばこの状況を脱することができるか、それだけを考えるべきだろう」
僕は改めて映像を見た。
車から降りようとしているストーカー。
大人の女性、明確に体格差がある。
一方の羽場翠は運動が得意じゃない。
走って逃げることは現実的じゃない。
街路樹によじ登るなども、おそらく不可能だろう。
「――」
なら、どうする?
「なあ」
「なんだ」
子供が狭い場所から出て、震える足で車椅子の前に立った。
「ぼくは馬鹿だ、考えることができない」
「……」
「だから、答えを教えてくれ、どうすれば、みっちゃんを助けることができる」
「……先ほども言った。複数の考えがあれば思いつける可能性もある」
「分かんないのか?」
「単純に考えるのであれば、わたしには一つしか思いつかなかった」
「僕もですね」
この場面で出来ることは限られている。
「下僕、それはなんだ」
「時間稼ぎです」
「叫んで助けを求めるのか?」
「いいえ」
大声を出すのは、それも町中で行うのは案外難しい。
それこそ事前にある程度の訓練がいるだろう。
やらないよりはやった方がいいけど、それで助かるとは思えない。
「この敵は、歴戦のストーカーです」
「……」
「この周辺の下調べは行ったと見るべきです、最適な場が整えられたと想定すべきです」
そんな奴相手に、こちらはアドバイスだけでどうにかしなきゃいけない。
「なら、どうする」
「全速力で、このストーカーの車に近づくよう言います」
「え」
道路は左手にあり、車を降りようとしている。
右ハンドルの車である以上、右側のドアが開く。
「降りようとする反対側、車の左側面へと回り込み、そこから車の下へと潜り込ませます」
運動神経がなく苦手だというが、そのくらいの行動はできるはずだ。
「その上で、防犯ブザーやスマホを使った通報などを行う、わたしも同意見だ。ただし――」
「それ、みっちゃん助かるのか……?」
それが問題だった。
「いくらか時間は稼げますが、それだけですね」
5秒で攫われていたのが、50秒に伸びただけかもしれない。
いや、ひょっとしたら5分とか6分かもしれないけど、結果として変わらない。
「それでも、やらないよりはずっといい」
「それ以外で何か、ぼくたちで出来ることはないのか?」
「……」
「言ったはずだ」
車椅子の管理人が、不機嫌そうに言った。
「我々ができるのはアドバイスのみだ。この状況に至った後では、最適な答えなど出ない」
きっかけとなる出来事は、もっとずっと以前からあった。
それに気づいていれば対策のしようがあった。
けれど、この状況――ストーカーが行動に移すとなった段階では、やれることは少ない。
「警邏中の警察官がいるかもしれない。その可能性に賭ける他に無いだろうよ」
僕らは犯罪が行われる直前の場面に立ち会っている。なのに、これ以上やれることが何もない。
「……ぼくがこの密室から出たら……」
「ん?」
「……スマホでタクシーを呼ぶ」
「それで追いつけると?」
「違う、この場所がどこかは分かってるんだ。そこにタクシーを呼びつける、みっちゃんが頑張るなら、その場面をタクシー運転手が目撃するかもしれない」
「ああ、なるほど」
助けるための手段としては、一番の最短経路だ。
少なくとも、病院に寄ってから現場に向かうよりずっと早い。
ひょっとしたら、近くにタクシーがいたという幸運があるかもしれない。
「アプリを入れていないのであればタクシーを呼ぶのに手間取るだろう。脱出後にわたしもそれを行う」
「……助かる」
「気にするな。君もこのクラストマスターも心底気に入らないが、被害を見過ごす理由としては弱すぎるだけだ」
管理人が、車椅子を回転させ、僕の方に向き直った。
「なあ、そうは思わないか、コリン?」
「……何が言いたいんですか」
その目には、皮肉と揶揄があった。
「そこの子供は拙いながらも解決のための手段を示した、これをわたしは高く評価する。わたしには考えつかなかった手だ」
「そうですか、関係が改善するのは良いことです」
「では、君は?」
あ、ヤバいな、と理解する。
この管理人は、声だけで僕についての情報を言い当てた過去があった。
今は、直接見聞きされている。
「どういうことだ、変なやつ」
「簡単な話だ、このコリンには解決策がある。それを思いついた上で、口に出していない」
「それ、本当か?」
「僕が言っていないのは、言っていないだけの理由があるとは思いませんか?」
「思っている。その上で、果たして沈黙するだけの価値があるのか、とも疑っている」
「たのむ」
子供が頭を下げた。
「方法があるなら、やってほしい」
ものすごく困る。
「……言わなかったのは、違いがないからです」
「どういうことだ」
「このクラストを出た後に行っても、今行っても、あまり差が生じない」
「あまり、ということは、わずかではあるが確実に差が出るな?」
痛いところをついてきた。
実質変わらないと思っているが、多少の時間的な違いはあるかもしれない。
「……あなたのこともあります、管理人」
「わたしがどうかしたのかね?」
何をすっとぼけているのか。
「僕がこの手段を使うことは、あなたにこの方法を教えるということだ。間違いなく、あなたは活用しようとする。僕だけが迷惑を被るのなら引き受けますが、そうじゃない」
「ふむ――」
すべてではないが、この管理人が運営するサイトに裏があるのを知っている。
それは、クラストマスターを使った何かだということも。
「確かに、わたしは行うだろう」
「はぁ!?」
「でしょうね」
悪びれもしなかった。
「だが、それのどこが問題だ?」
「オマエ――」
「これは君の判断についての議論だ、わたしというデメリットがあるから、そこの子供を助けない。君はそのように判断するのだね?」
「ある意味では、あなたと同じですよ」
「ほう?」
「クラストマスターに対して好意的じゃない」
言動の端々から、その嫌悪が伺えた。
「無関係の人がクラスト被害に遭うことを防ぐことは行います。だれど、クラストマスターが勝手に苦しむのを、積極的に助けたいとは思わない」
「それが君の規範か」
「ええ」
僕はまっすぐその車椅子の人物を見つめる。
「助けるべきだと議論している対象はクラストマスターだ、僕からすれば、ただの敵でしかない」




