走灯密室・内1
たとえそれが迷惑な事柄だったとしても、日頃当たり前のように繰り返されていたことが突然消えたら、安心するよりも不安になる。
何が起きた、どんな変なことが発生した。こんな異常事態はありえない、すぐに原因を追求しなければ――そんな変な使命感だって湧いてしまう。
今が、まさにそういう状況だった。
「……」
僕は、学校外へ出ることができた。
校門を通り抜け、道路にまで出れた。
ありえない。
何も知らない人からすれば、きっと何を言ってるんだと呆れられる話だ。
けど、これは天変地異の前触れに近い。
今日は気分が乗らないから部活に行くのは止めようかな、という思いつきが通ってしまった。
自称後輩に遮られることなく、捉えられることなく、ふと振り向けば後ろに立っていたということもなく、ここまで来れた。
「おお……おおおお……!」
ひょっとしたら、もしかしたら、あの自称後輩こと文坂波等羽が僕に興味を無くしたのかもしれない。
人間、誰だって飽きが来る、ハマっていたものに見向きもしなくなることは当然ある。
実際、僕は彼女に酷いことをした。
クラスト関連で半ば記憶を失わせるような事態が起きた。
申し訳ないことをしたなぁ、という想いはあるけど、希望がフツフツと湧き出ることも止められなかった。
無茶苦茶嬉しい。
振り返れば背の高いビルの校舎。
やけに背の高いその天辺付近に、本来なら行かなきゃいけないクラスト部がある。
角度として直接見ることはできないけれど、心なしか威容がある。
いや、けど、ここまで来れば安全だ。
たとえ追ってきてもダッシュで逃げ切ることができる。
文坂波等羽がどれだけ優秀だからと言って、物理的な足の速さまでは覆せない。
さあ、全速力で家へ――
などと考えている途中で、周囲の景色が変わった。
憶えがあった。
クラストに捕えられる際のものだ。
感覚として、把握できた。これは文坂さんとは無関係の、別のクラストが僕を引き寄せようとしていると。
つまりはいつもの偶然、いつものクラスト被害。
現実が離れ、密室が近づく。
最近は週一くらいの頻度で味わっている。
「はは……」
ごく普通に下校する――僕にとってそれは、ありえないくらい贅沢なことらしい。
別の場所へと吸い込まれて行くのを感じながら、重いため息をただ吐き出した――
+ + +
奇妙な半球状の部屋に、転送されていた。
「ふむ――」
「どうなっている下僕」
淡い白色の、妙につるんとした部屋。
ほとんど諦めの境地に達しつつ見る部屋内には、僕を含めて三人がいた。
見知った人たちだった。
いや、正確にはそのうち一人は「声を知ってた」人だけど。
「こうして出会うのは始めてか」
その人は、黒電話の密室で出会った人だった。
迷惑なストーカーに付きまとわれたのを逆に退治した。
ただ――
「意外です」
「そうかい?」
「色々な意味で」
「わたしと出会った人間は、大抵そのような反応をする」
「真新しい反応を提供できず申し訳ありません」
「いいさ、そのような期待は大抵は持つ側が愚かだ」
真っ黒な衣服を着た人で、車椅子だった。
皮肉げな表情や落ち着いた様子は想像した通りだったけど、それ以外の部分が想定外だった。
「だが、いくつかヒントは与えたつもりだったんだがね、気がつかなかったか」
「人間って、固定観念が強い生き物なんですよ」
「おい」
年下の、やけに偉そうな態度の子供が、部屋中央の凹部分から僕を睨んだ。
「ぼくを、無視するな」
「そういうつもりは、少ししかありませんでした」
「お前はぼくの下僕だろうが」
「……それって、あの場限りの設定では?」
「下僕、一度口に出したことは守れ」
前に密室に閉じ込められた子供だった。
色々とあった末に、今は病院で過ごしている。
部屋中央の、狭くくぼんだ場所に入り込んでいる様子からすると、未だに広い場所は苦手らしい。
「ふむ、それについては異議がある」
「なんだ、変な奴」
車椅子の人。
クラストについて玉石混交の情報を収集するサイトの管理人は、不愉快そうに手を挙げた。
「彼はわたしのサイトによく来る常連だ」
「だから?」
「つまり、わたしのものだ」
「なんだと!?」
「そんな事実は皆無です」
サイト管理人は僕の発言を完全に無視した。
「人のものを勝手に奪い、下僕扱いすることは褒められたものではない」
「オマエ……オマエ……ッ!」
「おや、咄嗟の反論もできないか? 語彙も表現力も無いのなら、いったい君には何があるのか」
「下僕! コイツの車椅子をひっくり返せ!」
「君? わたしは根に持つタイプだが?」
こっち見んな。
というかそこのサイト管理には、明らかに子供をからかって楽しんでるな?
僕はツッコミを入れる代わりに、無表情のまま手を叩き、注意を促した。
「ここは、クラストです」
「そうだね」
「何を分かりきったことを言っている、下僕」
その分かりきったことを理解して欲しい。
「脱出を、しましょう、口喧嘩よりも先に」
「ああ、それは無理だ、少なくも今は」
サイト管理者がひどくつまらなさそうに言った。
「……なぜですか」
「オマエ、まさか」
「わたしはクラストマスターではない。そのような疑念は不愉快だ。観察すれば誰でも分かる」
「ぼくは立って見渡さない」
狭苦しい穴のような場所で、体育座りを崩さないままの宣言だった。
僕が代わりに周囲をぐるりと見た。
奇妙な半球状、どこか洞窟を思わせる白い曲線だ。
自然に出来た空洞? いや、これは――
「まさかと思いますが……」
「ああ、その推測は正しい」
「いや、これマジですか……」
「こうした形状に他の心当たりがない」
「おい! ぼくを無視するな!」
「ええと……」
「この場で分かっていないのは君だけだ。ああ、大変だな、狭い場所に入り込んで身動きも取れず、事態を覆せるだけの知能も観察力もない。そのような有様とあっては君の生存は絶望的だろう」
「ああ゛!?」
「訂正を」
「む?」
憤る子供を――佐木元麗という名の子をなだめながら、僕は管理人へと相対する。
「さすがにそれは言いすぎです」
「ふむ?」
車椅子の人は、しばし考えた後で。
「……たしかに、わたしは他人の生死を断じれる立場にはない。先ほどの発言は言語上の修辞的比喩であり本心ではないが、言葉の選択については、謝罪しよう」
「む……うん……分かれば、いいけど……」
佐木元は半ば立ち上がりかけた腰を下ろした。
戸惑っている様子だった。
「君が今座っているのは、蝶形骨だ」
「は?」
その戸惑いはさらに加速した。
「蝶が羽を広げたような形からそのように言われている。主に口の開閉に関る部位だ」
「……オマエ、なに? は?」
「この場所についての話ですよ」
僕は補足した。
「下僕、オマエまでぼくをからかうつもりか」
「いや、本当に見たままです」
ぐるりと周囲を見渡す。
なだらかな表面、自然な様子、当たり前だ。
「この部屋の形状は、頭蓋骨の内部です」
少なくとも、その形状を模していた。
脳みそを覆う骨、巨大なそれが内外を遮り脱出を許さない。
僕ら三人は、そんな場所にいた。
「更に言うのなら、だ」
車椅子の人は、ひどく退屈そうに続けた。
「これからわたし達は、このクラストマスターが見聞きした情報を得た上で、問題を解決しなければならない」
「というと?」
「……我々が選ばれた理由は、一定以上の知能の持ち主であるためだろう。名探偵の閃き、いわゆる『灰色の脳細胞』の役割を求められている」
ここは頭蓋骨の中。「人間の知能」を現す場所に僕らはいる。
もちろん、本物じゃないし、それを模倣したものでしか無いけど、僕らには「それ」を期待されている。
管理人は皮肉そうに口を歪めた。
「つまり我々を閉じ込めたクラストマスターは、問題解決を他者に頼る、実に下らない人間だ」




