愛玩密室1
この話にはありませんが、先々小動物がひどい目に遭う描写があります。
小動物の意識はひどい目に遭いません。
クラストの中には特有の雰囲気がある。
大抵は「空気が違う」と感じる。
風の止まった、停止した空間。
その酸素の全てに満ちている。
クラストマスターの意識と意思が充満している。
ときには呼吸することすら忌まわしくなる。
誰もが吸える空気にすらも意図があるような、根本的な嫌らしさがクラストにはある。
その中でもこれは、最悪に近い。
「……」
「かっわぃいいいい! いい子ー!」
僕は、撫でられてた。
巨大な手に。
巨人にそうされているわけじゃなかった。
僕が、縮んでいた。
気づけばこんな有様になっていた。
無抵抗のまま撫でられ続ける。
「大人しい、うりうりー!」
鏡が欲しいと切実に願う。
同時に、見たくないと心底思う。
なにせ見えている僕自身の手が、手じゃなかった。
前足だ。
動物の、それだ。
僕は何度も何度も撫でられた。
この密室で意識を取り戻してから、止まること無く繰り返された。
うん、どう考えても今の僕は――猫だった。
「動いた! わー、動いたー! もう、心配させないでよー?」
いる場所はどうやら私室を模したものみたいだ。
ダイニングキッチンの一部、テーブルがありソファーが設置されているのが分かる。
僕は今、そのソファーに座っている人間の、膝の上にいた。
丸まった状態でいる。
ふともも――皮膚、筋肉、骨で構成されたそれは確かに生きているものだと感じた。
ほのかな暖かさを肉球越しに感じる。
「……」
どうにか、立とうとする。
もちろん四本足で。
動きそのものに違和感はないけど、体が重かった。
猫といえば俊敏なはずなのに、相当これは太っている。
身体を持ち上げ、一歩を踏み出すことにも苦労する。
不健康だぞ、この身体。
「だめだよー行ったら、ね、ぷーちゃん?」
持ち上げられ、再び膝上へと逆戻りした。
抗議の声は受け付けられない。
その名前には、聞き憶えがあった。
最近人気になっているデブ猫の名だ。
常に困っている表情の猫が、ちょっとバズった。
どこかしら悲哀を感じさせるあの姿に、今の僕はなっているらしい。
「ずっとずっと、こうしよーね?」
本当に、最悪だ。
僕はこの密室で、愛玩動物として飼われている。
一方的に愛でられている。
やるならせめて逆がよかった。
+ + +
クラストは精神的な影響は大きいが肉体的な変化を起こすことは難しい。
心はともかく、肉体的な同一性が保証されている。
この現状もだから、本当に猫に化けたわけじゃない。
そんなクレイジーなことは起きていない。
「ナァ……」
口からは鳴き声しか出ず、全身から生えている毛に違和感はなく、尻尾も当たり前のように動かせるけれど、これらすべては借り物だ。
ただ単純に、「僕の意識がこちらに移動した」だけでしかない。
幽霊化した僕が、猫へと憑依したようなもの。
……いや、それも、けっこう相当大変なことではあるんだけど……
「こちょこちょー? んふふ」
身体に違和感はまるで無かった。
生まれたときから猫だったみたいに、感覚と「僕」が接続されていた。
尻尾を含めたすべてが自在に動かせる。
ヒゲを含めた全部が僕であると認識できる。
また、全体的に視界はボヤけ、色合いがくすんで見えた。
遠くのものは上手く見えず、動くものは明瞭に把握できた。
どれも猫特有のものだ。
欠点すらも再現された。
無駄な凝り用、無意味な再現の高さ。
現状、その性能の高さは何の役にも立ってない。
ただひたすらに撫でられ続けている。
猫要素だけならぬいぐるみでもいいはずだけれど、そういう僕の抗議は「ナァ」という鳴き声の形でしか出ていかない。
この魔の手から逃れることができない。
「あらら、ご不満?」
このクラストマスターは、おそらく女性だ。
成人している、ニオイからして今は化粧をしていない、着ているのはパジャマの類か。
「んー、どうしたのかなー? これ好きだったよねー?」
知らん。
効かん。
そう言いたいところだけど、僕の尻尾は勝手に動いた。
人間の場合であっても髪の毛を手ぐしで整えるのは、少し気持ちがいい。
他の人の手でやられたら、こそばゆいような、くすぐったいような感覚にもなる。
今の僕は、全身に毛が生えてる状態だ。
全身にその感触が渡る。指が動くたびに生え揃った毛がかき分けられ、空気に触れ、また戻る。その一連の流れが十本の指で一斉に行われる。
ぐるる――
と喉が鳴りそうだった。
ダメだ、なんかこれは、ダメだ。
細い指が的確に肌をくすぐる。
慣れた手つきは猫を熟知している者のそれだ。
逃げ出そうと動く端から捕まえられ、膝上へと戻される。
「ほれほれ、ここ弱かったのは知っておるぞー?」
止めろ、止めてくれ。
顎下のかゆいところを掻かないでくれ。
この攻撃に抗することは難しい。
あー、そこそこー、と鼻をすぴすぴ鳴らし、だらんと力が抜けてしまう……!
「わたしが満足するまで、付き合ってもらうよ……?」
ワントーン低いその声に、ぞくりとした。
猫ではなく、クラストによく巻き込まれる人間としての直感だった。
あ、これ、ヤバい。
「だってね、同僚に嫌味言われてさー、かまってくれないと寂しいしさー」
逃げられない、逃げ出せない。
その事実に、危機感を持て。
僕は今、クラストに囚われている、そのことを自覚しろ。
「んー、いい子ー」
ここで起きていることは、一体何だ?
どういう状況下に僕はいる?
決まっている。
明白だ。
「癒されるー」
ストレス解消だ。
このクラストマスターのそれに、僕は強制的に付き合わされている。




