素人密室5
知っている人は知っている。
知らない人はまるで知らない、そんな情報はありふれている。
誰もがネットで簡単に調べることが出来るが、疑問に思わなければそもそも知る機会が訪れない。
たとえば――トイレのドアはロックされていたとしても、外部から開けることができる。
本格的なドアは無理だが、厚紙や細いヒモなどがあればドアの隙間に通し、錠の機構であるラッチを強引に開くことが可能だ。
トイレを始めとした一部のドアは、いざというとき簡易的に開くことができる造りになっている。防犯性よりも、閉じ込められる機会の方がずっと多いからだ。
「な――」
リボンを開いたドアの隙間に通し、ノブを回しながら引く。
それだけでカタン、と軽い音をさせて開いた。
知らない悲観主義者にとっては、天地がひっくり返るような出来事だった。
「あなたの密室は、知っている人からすればいつでも開けられるものだったんですよ」
きっとここは、この子供が閉じ込められている場所を模したものだ。
この子供は、この形の錠しか詳しく知らない。
「あなたは、外を怖がりすぎです」
開けたドアの先は、町並みだった。
どこかのアパートのドアを内側から開いたような景色。
遠く、「僕がいた場所」が見えた。
「あ――」
「すぐ行きます」
全ては光に包まれる。
ゲームクリア。
達成感はまるでない。
ただ体が転移する感覚に身を任せる。
そうして、気づけば僕は――町中にいた。
角を曲がった直後へと戻った。僕は倒れ伏していた。幸いなことに転倒して鼻や額を強打してはいない。
周囲は夕暮れ、赤い色が周囲を包む。
車、雑踏、信号の音、そして風の音、町中の騒がしさを耳で知る。
先ほどまで、どれだけ静寂な空間にいたかを体感する。
体を起こし、すぐにスマホを取り出し連絡をつけた、コール音が鳴る間も周りを見た。
思考を整理するための言葉が口からこぼれる。
「あの子は、「今日は100歩も歩いた」と言った、その程度の範囲だ」
確信はない、きっと実際に足を運んだわけでもない。
だが、今はその拙い推測に頼る。
「おそらく部屋は広くはない、あまり頑丈ではない建物だ」
あの子は堅牢な要塞を望んだ、実際に住んでいるのはそれとは正反対の建築だ。
風を恐れ、嵐には気絶した。そうした音をよく聞くことができる環境にいた。
「なにより、あのドアを開けたとき、ここを見ることができた」
僕がゲームに参加したのは「角に入った」タイミングだった。
同じ高さから、見ることはできない。
異なる角度が――高さが必要だ。
「すべては推測だ、絶対の保証はない、だが――」
斜め右方向、見上げた先にアパートがあった。
ドアの先から見ることのできるものは、一つしか無かった。
電話が繋がった。
「子供を助ける、戦力がいる。来い」
体力馬鹿に向けてそう言った。
「早くしないと、そいつは自殺する」
急がなければならない理由も。
「来るな」
目的となる扉は、同じ手順で開く事ができた。
その中では子どもが右手にナイフを持ち、自身に刺そうとしていた。
ひどい有り様だった。
目を背けたくなるその様子に向け、僕は言った。
「悲観主義者の言う通りにするつもりはありません」
「――」
一歩を踏み出すと同時に、周囲を見渡す。
汚れた様子、掃除をしていない有り様には興味がない。
「だいたい、もう言ったはずです」
「何をだ」
「あなたを助ける――あなたの意思とは無関係に、僕は勝手にそうします」
「だったら……ッ!」
「行け」
ぬるり、という擬音が聞こえそうな動きが羽楢が背後から侵入し、子供の後ろに回り込み裸締めを行った。
ほとんど倍速映像を見ているような気分、この体力馬鹿だけ時間の進み方がおかしい。
「にゅぎ……!?」
僕が襲われたとしても抵抗できずに気絶する。
体力が底をつきかけている子どもはもっと不可能だ。
だらりと弛緩し、手からナイフが落ちる。
「栄養失調状態です、先ほどゼリー飲料を飲ませたため即座の危険はないでしょうが、そのまま病院に連れて行ってください」
救急車を呼んでいる暇はない。
あれは、場合によっては時間がかかる。
「どうすんのー?」
間延びした声で羽楢が訊いた。
長身に黒のスエットをつけた彼女は、口調だけは低速だ。
「僕はまだ、ここでやるべきことがあります」
「ふーん」
何かを言いたげだったが無視。
部屋の中を調べる。
羽楢は子供を背負い、見えないほどの早さで移動した。
外を怖がる悲観主義者も、夢の中でまでは怖がれない、病院まで運ばれるのに支障はない。
子供の状況は調べられ、然るべき措置が取られる。
ただ――
「それを邪魔する者がいなければ、ですが」
僕はクラストに巻き込まれた。
条件をクリアし、外に出た。
けれど、不十分だ。まだ終わっていない。異常な密室は閉じている。
空のペットボトル、プラスチックゴミ、片方だけの手袋、あるいはペットフードやタオルの類に無料の小冊子、それらには目もくれず、調べる。
特に子供がいた場所を。
「……クラストとは、その作成に体力がいる。作成の期間、あるいは時間の限度が設定されているが、たいていの場合は十分な余裕がある」
クラストマスターのマスター、そいつの目的だろう。
四苦八苦して作り出す様子を見たいのではなく、それによって行われる諸々こそを楽しんでいる。
「そして、クラストの制作は、選ばれたもの以外であっても使える」
設定されている制限は、あくまでも時間的なものであり人ではない。
実際、経験者として何度か助言や手助けをしたこともあった。
クラストとは、そもそもが複数人が協力して作成することを前提としている節がある。
そのクラストのキーの形状は様々だが。
「たいていの場合は、カード型だ」
床に置かれた、無地のそれを手に取る。
ひょっとしたらあの子供は、ずっとこれを体の下に隠すために寝転がっていたのかもしれない。
「まあ、念の為に」
ハンカチで拭い、指紋を消しておく。
これ以外にも触れた部分の清掃はいるだろう。
特に子供が落とした、古いナイフは念入りに拭き取る。
「あまり、こうしたことは好みじゃないんですけどね」
僕はハンカチ越しに持ったカードで、密室内部の設定を変えた。
本格的なものではなく、ほんの些細な3つ4つほどの変更だ。
疲れ、あるいは巨大な眠気のようなものが対価として現れた。
ふらついた体を、踏ん張り耐える。
こんな簡単な操作でも、気軽には行えない。
外から、存在を誇示するような足音が聞こえた。
扉が薄く開いていることに気づいたのか、足音はピタリと止まり、次に焦ったように加速した。
ドアノブを回し開けて来た男は、僕と同じくらいの体格だった。
目を見開いたその顔が、瞬時に赤黒く染まる。
唾を吐き出しながら、何かタワゴトを言った。
動物の鳴き声のようだった。
掴みかかろうと接近してきたので、ナイフの柄を相手に差し出し、にっこりと笑った。
「あなたのですよね、お返しいたします」
果たしてこの動物に、道具を使うだけの知恵があるのだろうか。とても興味深い。
相手は不審と困惑を露わにしていたが、やがては「きっと敵わないと見て無様な命乞いをしているに違いない」という結論に達したようだ。
引っ掴むようにそれを取り、汚い歯を剥き出しにした。
「どうか、覚悟を」
僕は静かに告げ、起動した。
クラストを。
ああ゛!? などの声が消えた。
眼の前から消失する。
密室へ入った。
そこは、僕とあの子供がつい先程までいた場所だ。
ただし今回は、二人ではなく一人だけだ。
そこはあまり広くない部屋であり、扉が一つだけあり、机の上には紙があり、こう書かれている。
君は鍵を飲んだ
ここでは嘔吐を禁じている
ペラペラの紙にそう記されている。
「まあ、箱もリボンも必要ありませんよね」
脱出する手段は、一つしかない。
他にあるかもしれないが、僕には思いつかない。
下から排出するにしても、一週間くらいはかかる。
ドアの強度は、最大限まで上げた。
どんな暴力、どんな細工にも耐え、鍵以外の方法では開かないようにした。
そう、人は腹を割かれても即座に死ぬことはない。
上手くすれば生きてこの場に戻ることもできる。
「あの子供が、これをしなかった理由は何でしょうね」
目的となる人物を直接傷つけるのではなく、自身が傷つく方法を選んだ。
迂遠なやり方をわざわざ選んだ。
情があったのかもしれない。
この部屋以外の景色を見たかったのかもしれない。
あるいは、助けてほしかったのかもしれない――あの子は最初、脱出否定派だった。
「まあ、僕には関係のない話です」
僕は、ドアをしっかりと閉じた。
素人密室 了




