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素人密室4

一息はつけた。

脱出の手がかりらしきものはまったく手に入っていないが、ゲームに巻き込まれた彼女が広場恐怖症で風呂嫌いで偉そうで大量のゼリー飲料をいきなり飲んだせいで腹痛に苦しんでいることは分かった。


尺取り虫のように床で蠢いている。


「なに黙って見ている」

「僕にどうしろと」

「背中をさすれ」

「近寄っていいと」

「ぼくが苦しいんだぞ」


餓死しても構わないと口にした人とは思えない言葉だった。


僕は彼女の背中に触れ、その体温を上げるべく手を置いた。

冷たかった。


痩せ気味であることはもちろん、驚くくらい体温が低い。


「にぃぃんにぅ……」


妙な声を出して悶えている。

ぐるぐるという腹の調子が手にも伝わる。


「いきなり飲むから」

「ぼくは正しい」

「その正しさ、肉体には通じていないようです」

「裏切り体め……」

「残念ながら、体の監督責任はあなた自身にあるでしょうね」


にぃぅいぃ――とどこかの未開言語の歌のような音を出しながら彼女は苦しんだ。


僕はこっそりと周囲を見渡す。

変わらずの白い部屋であり、なんの変化も生じていない。

どうやら、時間制限を強制する類のクラストではなさそうだ。


場合によっては、退屈だからと余計な茶々を入れることもある。

これの制作者は、よほど気が長いか、そもそも作り出したものに興味がないかのどちらかだ。


「クラストを作る人は、様々です」

「……なんの話だ」

「よっぽど追い詰められている人もいれば、ただの退屈しのぎでやる奴もいる、あるいは、そうした意思とは無関係に自然発生したものもある」

「そんなものもあるのか」

「ええ」


どうやら一段落ついたようだ。

彼女はお腹を抑えているが、呼吸は安定した。


「ただ、たまに思うことがあります――そもそもこのクラストを人類に与えた奴は、どんな奴なんだろうかと」


クラストマスターのマスター、そいつは何を考えているのか。


「……誰かが、あるいは意思のあるやつが、こうしたことを引き起こしたと思っているのか」

「ええ」


当然だ。

偶然のわけがない。


「悩んでいる奴、決意した奴、あるいは快楽主義者――明らかに「面白そうなことをやりそうな人間」にクラスト制作の力が与えられている」


それは言ってしまえば時間制限のあるマインクラフトのようなものだ。

その制限時間中で自由に作成し、外部にアップロードできる。

そのログインパスを、無秩序にではなく狙った相手に渡している奴がいる。


「そうした意味では、このクラストは失格です。あまりに単純すぎる、面白い工夫がどこにもない」


根気があればどのようなものでも作れるツールだというのに、真四角の基本的な家を立てただけで終えた。


「下僕にとっては赤子の手をひねるようなものか」

「ある意味では」

「だが、見方を変えるのなら……」


寝そべる彼女は僕を見上げた。その唇は皮肉に曲がり、嘲笑を浮かべていた。


「下僕、何度も何度もクラストに遭遇したお前は、その『与えた奴』のお気に入りのようだ。よっぽどリアクションが受けたんじゃないか?」

「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません」

「曖昧だ」

「そんな絶望的な推理よりは、たまたま僕の体質がそうだった、としておきたいんですよ」

「馬鹿みたいな楽観主義だ」

「悲観主義者は常に正しいですか?」

「知らん、だが、騙されやすいのがどちらかは明白だ」

「そうかもしれませんね」


僕は彼女の背中から手を離し、ひとつ伸びをした。


「しかし、見落としていることがありますよ」

「なんだ」

「悲観主義者は物事の打開には向いていません」

「――」

「悲劇的な予測は安全をもたらしますが、同時に、こうした場所から抜け出せない泥沼を自ら招き寄せます」


僕は何人も見てきた。

賢く、安全マージンを常に取りたがる人は、クラストを突破できる機会を見逃す。

慎重に立ち回ることは大切だが、チャンスを全力で掴み取りに行く気概はそれよりももっと重要だ。


「……なら、楽観主義はどうするつもりだ」

「もう打開に向けた行動をしてますよ」

「なんだと」

「よく冷えた飲料を渡し、体調を悪化させ身動きを封じた、僕の邪魔をできないようにさせた」

「は……?」


僕は立ち上がった。

テーブルに近づき、千切った箱の厚紙と、彩っていたリボンを取る。


「演技の可能性もありましたが、さすがに体の内臓が動く様子までは無理だ」

「ふざけるな、下僕、お前は――」

「何度も僕を下僕と呼んでいますが、それで僕を怒らせるつもりなら色々と失敗してますよ、悲観主義者。いえ――」


机に突き刺したナイフを見る。

やけに使い古されたそれ。

ひょっとしたら、誰かが大切にしていたものなのかもしれない。


「クラストマスター」


その犯人を見る。


「このクラストはヘンなんですよ。通常ではありえない」

「何がだ」

「二人の人間を閉じ込め、殺し合わせる、ここまではいい。体格差や筋力量による蹂躙が見たい、これもありえる。だが、仮にそうだとしたら時間制限が何も無いのはありえない」


そんなゲスな欲望を持つ奴が、辛抱強く待ち続けるわけがない。


「何より、あなただ」

「……」

「どうして、殺されるかもしれないという恐怖が微塵もなかったのか。僕が机にナイフを突き立てたときですら、怯えた様子が無かった」


完全に無感動な様子だった。


「あなたはこのナイフを使い、あなた自身を殺させるつもりだった。最初から脱出など目的とはしていなかった」

「違う――」

「この密室が目的としているのは、僕でもなければあなた自身でもなかった」


刺されることを望んでいる。

むしろ、「マスターが刺されることを前提に」このクラストは作られている。


「このナイフの持ち主に罪を着せたいが為に、ここは作られた」


密閉された場所。

クラストの発生は、いつ、どこで起きるかわからない、それが本当に起きたかどうかの判別もつかない。

嘘つきの遅刻魔と、本当のクラスト被害者の区別がつけられないように。


本当に罠にかけたい相手は、この密室内に存在していなかった。


「僕があなたの腹を割き、鍵で外へ出たとします。僕は元いた地点に戻り、あなたもそうなる。あなたの場合は自室であり、密室だ。そして、胃を裂かれても即座に死ぬことはない、少しくらいの行動はできる、罪を着せたい人物をさらに追い詰めるための行動を、取ることが出来る。その準備は、もうすでにしているはずだ」


このマスターは、自身が死体となるためにこのクラストを作った。

僕の役割は、それを達成するための手段に過ぎない。

彼女が欲しかったのは、傷だ。自身では不可能な角度と力によって作られるそれを求めた。


「犯人とされる人物は、きっと僕とよく体格が似た人物です」

「――」


強い目で睨まれた。

だが、立ち上がり糾弾することもない。


「そうまでして復讐したい相手ですか」

「……力では勝てない」

「なるほど?」


だからこんな手段で、相手にダメージを与えようとした。


つまりここは――密室殺人の現場を作り上げるための、密室(クラスト)だ。


「真っ当にクラストを構築したのでは、確実性が薄いと判断したのですね」


一度作ったことがあるからこそ分かる。

クラストの作成は、やたら体力を使う。あるいは、それ以外のよく分からない部分が疲労する。

長く時間をかけてコツコツとやればいいのかもしれないが、この子供にはそれだけの体力も時間もなかった。


「ぼくはもう、限界が近い」


横たわったままの言葉だった。

子供はもう立つことすらできていない。

それだけ肉体が弱っている。

現実的な反抗が難しいからこそクラストに頼った。


そしてクラストは、嘔吐を禁じるような限定的な肉体干渉を行えるが、やせっぽっちをマッチョマンにするような大きな変化を生じさせることはできない。


「手伝え、下僕。ぼくの復讐を完遂させろ。そのナイフを突き立てろ」

「お断りです」


僕は手でバッテンを作った。

右手には千切った厚紙、左手にはリボンがある。


「そもそも僕は下僕じゃありません。直接手を下すタイプでもない、その上で――」


扉を見る。

僕の手には、厚紙とリボンを組み合わせたものがある。


「あなたを助けます」


そう、僕はクラストのプロだ。

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