素人密室3
異常空間のことをクラストと言う。
元は密室恐怖症から来ているらしい。
ずいぶん皮肉な命名だ。
その例で言うとこの子は広場恐怖症であるようだ。
かなりの重度、ちょっと大きめの室内ですらもその対象になっている。
「早々に諦めたのはそれが理由ですか?」
「ここで脱出した場合、その解放地点は外かもしれない、それはぼくにとって死と同義だ」
「目を瞑っていてもダメですか」
「風は邪悪だ」
室内であれば空気はさほど動かない。
せいぜいがエアコンのそれで、爽やかに吹き抜ける空気はない。
外に出れば強制的に味わう。
「わからないけれど、わかりました」
「どちらだ」
「あなたが意地でもその場を動かないという意思を理解しました」
「それは、そうだ。だから脱出なんて止めるんだ」
「それとこれとは話が別です」
「風め」
「それ、ひょっとして罵倒ですか?」
「最上級の」
「嵐とかどうなるんですか」
「あれはデマだ」
人間、想像をあまりに越えると嘘だと言いたくなるらしい。
「実際、ぼくは一度も見聞きした覚えがない」
「それが起きている時間帯、たぶんあなたは気絶しています」
「心外だ」
口をへの字にしていた。
顎のシワが梅干しのようになっている。
「しかし、困りましたね」
「何がだ」
「……あそこにあるドア、その隙間から僅かな空気の流れを感じました」
「む……?」
「ドア枠がないタイプです、風を感じた以上、外に繋がっている可能性は高い」
「ぼくは、ここに、いる……!」
絶対に出ないという決意があった。
「まあ、たぶんですが入った場所に戻るとは思いますよ」
「本当か? 嘘だったら酷いぞ」
クラストマスターの設定によるとしか言えない。
だが、大抵の場合は入った状況へと戻される。
「状況をまとめます」
僕は額に手を当て深呼吸し、考えを整理した。
「僕らはクラストに巻き込まれた。脱出方法はおそらくあのロックされたドア。鍵は僕ら二人が飲んでいる」
示されたことは単純だ。
「おそらく、このゲームを仕掛けた奴はナイフを使って相手の胃袋から取り出せと要求している。助かるのは片方だけだ、覚悟を決めろと言っている」
「そうだ」
「けれど、僕としては別の方法を模索している」
「……可能か?」
「ん?」
「ぼくには答えが一つしかないと思える、他の方法なんて、本当にあるのか」
「ある」
そればかりは断言できた。
「こうした異常密室は、制作者の望み通りに作られる。けれど、一度作られたものは、もう制作者の手から離れるんですよ」
より正確にいえば、参加者がいる間の変更は不可能だ。
たとえマスターであってもズルはできない。
「……裏をかけると」
「僕の知り合いの体力馬鹿がいれば、今頃あのドアを力付くで破壊しています」
「あの扉は、そんなに弱いのか?」
「ドアそのものは金属製、けど本格的なものじゃない」
玄関ドアと言うには少し安っぽいものだった。
「ただあいにく、僕ではそういう破壊行為は難しい」
「ナイフでも無理か」
「そういう技術も力もありません」
「良かった」
「というと?」
「脱出はまだ先になりそうだ」
「そんなに外が嫌ですか」
「それが好きだと言っている奴は全員が嘘つきだ」
「極端すぎません?」
子供は熱心に外の危険性について――熱中症、クマを始めとした野生動物との遭遇率、車による被害や隕石落下の可能性などの戯言を言っていたが、ほぼ完全に聞き流してリュックの中を漁った。
喋りすぎて、少々のどが渇いていた。
「ゼリー飲料がありますが、いりますか?」
「――」
外への怨念がピタリと止まった。
割と時間は経った、あちらものどが乾いているはずだ。
「……いや、飲料水の類は貴重だ、ここで消費するのは」
「家の冷蔵庫に運ぶ予定だったので、割と数はありますが」
「早く言え」
「欲しいと」
「気が利かない下僕だ、そこは黙って運んでこい」
「そんなものになった覚えはないですが……」
言いながらも近づき、キャップを外した。
子供は、きつく閉まったこれを開けるのにも苦労しそうな体躯だった。
近づき、鼻を動かし。
「ん?」
「待て」
僕の疑問に鋭い待ったがかかった。
「それ以上近づくな、床にすべらせるようにそれを渡せ。爆弾を扱うかのように慎重に」
「何も言っていないですが」
「いいから、そうしろ」
「別に僕は気にしないですよ」
「くーるーなーッ!」
威嚇された。
無視して近づいた。
僕が気付いたのは、やけに湿ったというかクレヨンや粘土のような臭いだった。
ひょっとしたら外出嫌いの彼女は風呂嫌いであるのかもしれない。
まあ、もうキャップは開けてしまった。
ここですべらせて台無しにするよりは、ちゃんと渡す方を優先すべきだ。
「はいどうぞ」
「……」
彼女は手足を縮めた防御姿勢だった。
その上へと置いた。
手足の中心から睨まれた。
「不敬者」
「撫でますよ」
「ぼくの髪に触れるな」
たしかに油っぽそうですもんね、とは言わないでおいた。
「――」
彼女は無言のまま、さらにぎゅっと体を縮め、その中心でそれを飲んだ。
横に丸まったダンゴムシのようだ。ただ、その飲みきるスピードは10秒よりも短い。
ぷは、という声が届いた。
「おかわりはいりますか?」
「……ここにトイレはあるか」
「この部屋がトイレということになりそうですね」
「残りはどれくらいだ」
「あと六個くらいですかね」
「……くれ」
諸々の事情よりも乾きの方が勝ったらしい。
僕の方は一分くらい時間をかけて飲んだ。
つい先程買ったばかりなのでまだ冷えている。いきなり飲むのは体に悪い。
「臭いにしてもトイレにしても、脱出否定派であれば気にするべきではないのでは」
「ぼくの尊厳はぼくが守る」
「なぜ今ナイフの方を見ました?」
「説明が必要か?」
深くテーブルに突き刺しておいて良かったと心から思った。




