黒電話通信4
変わらず声しか聞こえない。
姿も顔も分からない。
それでも少しばかり不機嫌な、電話先の表情が見えるようだった。
「君が何度もクラストに巻き込まれたという話もまったく信じてはいなかったのだろう。その化けの皮を剥がすために巻き込んだとも考えられる」
「僕が醜態を晒すはずだと?」
「実際のところは大外れだな、そのクラストに詳しい君に、聞きたいことがある」
「なんでしょう」
突然の話題転換にはもう慣れた。
「クリア条件は、わたしたちだけに当てはまるか?」
「……というと?」
「モニターこそあるが、これはクラストマスターが手動で操作している、機械的かつ自動で更新されたわけではない」
判別するのがマスターである以上、書き込みも向こうがやったと考えるのが道理だ。
「つまりこのモニター表示は、ハリボテだ」
「言いたいことがよくわからないのですが?」
「簡単だ」
ふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「クリア条件は、電話の向こうにいる相手の情報をすべて言い当てることだ。ここに表示された項目を埋めることではない」
その意味を理解するのに少し時間がかかった。
「だから、君に確認したいことはそれだ、このマスターもまた「参加者」である可能性はあるか?」
「言い当てる対象を、僕ではなくそちらにすると?」
「ああ、今もこの会話を聞いている以上、条件は我々と変わらないはずだ」
「待ってください」
普通に考えればありえない。
このクラストマスターは、僕とオーナーの対戦を望んでいる。
条件の中にマスター自身を入れることはありえない。
まったく何の得にもなりはしない。マトモに考えたら絶対にない。だが――
「時間をかけて作成したか、クラストマスターが複数人いるかどうかによります」
「ふむ?」
「会話している相手の情報を暴く、これにマスターまで含むことは不利益しかない。こんなのことは、時間があれば必ず気づく。逆を言えば、焦って作ったクラストであれば見落とした可能性はありますね」
「複数人の場合は」
「違う視点の人がいれば穴を塞げる」
「つまり、一人で、短時間で作成したクラストであれば、そうした穴があるな?」
「絶対とは言いませんけどね、というか、そもそもクラストマスターの情報を言い当てるのって可能なんですか?」
「君の指摘は、ほぼ間違っている。年齢も体重もそれ以外もだ」
「は?」
「言っただろう、わたしは最初から事態を予想していた、この受話器が嘘発見器であるという推測を立てることができた。なら当然、嘘の反応を演じる」
「ど、どうやって……?」
「君が指摘した際、舌を噛む、強さとしては痛みを感じる程度だ。それだけでごまかせる。心拍数による嘘発見とは、その程度のものだ」
副交感神経を刺激し、心拍数を自主的に上げた。
「なあ、わかるか?」
その問いかけは、僕に対してではなかった。
「クラストマスター、君の望みは、まるで達成されていない、君が手にした情報はすべて嘘だ」
わずかに、呼吸音が聞こえた。
僕のものでもなければ管理人でもない声が。
「ああ、その声は最近、わたしの付近をうろついていた者の声だな。わたしが引っ越し姿をくらましたことで、焦って行動に出たか。しかし――想像はしなかったのかい? 君がわたしを探ったように、わたしもまた君について調べているかもしれないと。まして、いま君は「音を出した」、なあ、今やその部屋の狭い様子は丸わかりだ」
このオーナーは、僕の声だけで身長体重を言い当てた。
その指摘が本当だと、他ならぬ僕が知っている。
すぅ、と息を吸い込む音が聞こえた。
同時に、軋む音も。
それは、クラスとマスターが受話器を強く握りしめた様子だった。
「ハンドルネーム・アイテ、本名は見目結愛28歳身長155cm体重76キロ恋愛経験は無し住所は宇執摩町4−2−2学生時代は帰宅部であり、その頃から追っかけをやっていたがスキャンダルによりバンドは解散、その後わたしを標的とした、切欠はわたしの生放送、外出は週に一回程度でありゴミ出し習慣的にしている様子も無い、どうやらわたしに手紙まで送っていたようだがそこに指紋がついているとは思わなかったのかい? 現在知り合いの警察に指紋照会中だが犯罪歴など無いだろうね、仮に存在するのであれば今すぐ逃げることをおすすめするが——」
「ああ、長文を僕に送った人であれば憶えています。割とポエミーなものでしたよね、「どうして分からないのでしょうか。闇の中の傷口が膿むのを照らすのはあの方の光でしかないのに。このドアを開く鍵を持つ人の邪魔をするのは迷惑でしょう。その一分一秒もすべてがメッセージ、抱えた寂しさは季節を渡って動けないあの方への叶わぬ想いを重ねるのです、癒えない心の傷跡は1000年後だって――」」
世界が軋む音がした。
悲鳴にも似た声が遠く聞こえた。
直前の落下音からして、どうやら受話器を放り投げた。
それを契機に、ぐわん、とクラストが歪んだ――『受話器向こうの相手をノックアウトした』ことにより、クリア条件が達成された。
あるいはこれは、電話先の人間の情報を言い当てるようなものですらなかった。
壁が、地面が、あるいは僕自身の姿が消えようとする。
透けた壁の向こうに、スーツを着た人の後ろ姿が見えた。
分厚い壁があった場所で、腰を抜かしている女の人も。
「ふむ」
とてもつまらさなさそうな声が、受話器越しに聞こえた。
「わたしが述べたことは、ただの推理でしかなかったのだが……」
本当かよ、とツッコむより先に視界が弾けた。
+ + +
気づくと、僕は自室にいた。
クラストに巻き込まれる直前と同じ姿勢で、同じままで、目的のサイトを見ていた。
なんでもない日常。
密室ではなく自室にいる。
スマホ画面を見ている体勢のままでいる。
「……」
息を、吐いた。
たいていのクラスト脱出直後がそうであるように、現実にピントを合わせるのが難しかった。
開いたままの画面――メトゥスの集い。
掲示板もあるが、本格的なやり取りはLINE上で行われていた。
そこからの通知が鳴った。
管理人 お疲れ様
ただその一言が、素っ気なく表示される。
あっちもクラウスと脱出直後のはずなのに、意外とタフだ。
コリン おつかれさまでした
管理人 収穫はあった
相変わらず人の話を聞かない返信。
というか、収穫?
あのクラストマスターについての情報?
コリン 捕まえることは、できそうですか
管理人 収穫はあった
コリン なるほど?
この管理人は、「頭の悪い人間に付きまとわれることを心底嫌って」いるらしい。
コリン 御冥福をお祈りします
管理人 殺す予定などいない
ストーカーするほど厄介なファンに対してこの管理人がこれからどうするか、これ以上追求するのを僕は止めた。
クラストとは無関係に、僕の情報が浚われることになる。
黒電話通信 了




