追想列車6
このクラストの問題は何か?
それは、電車型であることじゃない。
人々を多く乗せていることでもない。
脅威となるものとクラストマスターが、別になっていることだ。
僕が恐れなきゃいけないのは、乗客からの敵意であって、このマスターじゃない。
なら、話は簡単だ。
やるべきことはシンプルだ。
僕がどうにかしなきゃいけないのは、乗客の方だ。
だから、僕が命じた途端、文坂さんはその姿を分裂させた。
様々な可能性の、多重存在としての「文坂波等羽」が現れる。
その姿たちは、窓外へと行く。
ガラスなど無いかのように通り過ぎ、「乗客の記憶映像」へと飛び込んだ。
「なんだこれは!?」
怯えている子供を抱えた車掌は、ただ叫んだ。
「見ての通り」
「ふざけないでくれ、これは!」
「乗客の記憶に、文坂さんが入り込んでいる」
やり方そのものは、わからない。
だが文坂さんは、その存在をいくつも重ねた、この列車内へとはみ出すほどに。
高密度すぎる情報にとって、境など無いも同然だった。
だったら、電車内から車窓向こうへ行くことも、当然できる。
「文坂さんは、他の乗客の記憶に、彼らの思い出にお邪魔している最中だ」
二人の対決の場に、ひょっこりと顔を出して嬉しそうに手を降る文坂さんの様子があった。
家族のピクニックの場にしれっと紛れ込み、鼻眼鏡をつけている文坂さんがいた。
恋人たちの夜景を見る場面、その横で包丁でジャグリングする文坂さんがいた。
「ここに映し出されているのは、乗客たちの記憶だ、彼らの大切な想い出だ」
本来であれば、何者にも干渉されないもの。
「だが、文坂さんであれば、上書きができる」
ああやって入り込んだ映像は、そのまま「記憶」として焼き付けられる。
想い出の中で、そうした出来事があったということになる。
少なくとも、その恐れがある。
それは、無視するにはあまりに致命的すぎる可能性だ。
「な、ならば、映像を変えれば――」
「それ、今やれる?」
「なに」
「僕の記憶を無視できるのか?」
車窓に映し出されている平和な映像。
そこに邪魔ものとして入り込んでいる文坂さん。
だが、その映像の縁から、触手のようなものが伸び、侵入しようとしていた。
余計な作業をすれば――画面切り替えなんて隙を見せれば、一斉になだれ込む。
この想い出を、非表示になんてさせない。
「こんな、馬鹿な――」
「異常な密室の中で、想定外の異常が起きないなんて、さすがに甘すぎる考えだ」
子供が蠢くものに怯え、車掌は子供の目を塞いだ。
ただの情報。
文坂さんがそうであるように、これらに実害があるわけじゃない。
それでも、恐怖は恐怖だ。
「で、ですが、これだけだ……これで終わりだ! 記憶の変質でしかない! これに嫌がらせ以上の意味はない――!」
僕の方も文坂さんを抱えていた。
その暴走する熱を冷ますように、手のひらを額に置いている。その耳元に「全部見ている」と囁いた。数ある文坂さんの、そのすべてを。
ほんの僅かに微笑んでいた。
「違う」
「なに?!」
「これ以上、何かをするのは、僕らじゃないんだ」
文坂さんは、あらゆる人たちの記憶へと入り込む作業を、たった一つの脳みそで行っている最中だった。
「記憶を汚されたくない人達が、行動をする」
乗客と、このクラストマスターを敵対させる。
これは、その為の一手だ。
特に警戒しなければならないのは、二人の戦闘者たちだ。
彼らは先頭車両から遠い位置、ほぼ最後尾の車両に近い場所にいる。
僕らを排除するより、もっと確実な方法を選択する。
映し出されたあの車窓の映像は、咄嗟にその判断ができると教えた。
BoooooooooooOOOO!!!!!!!
音が響いた、ほんの少し遅れて次々続く。
緊急停止ボタンを押したときに発せられる警告音だ。
自動的に停止する。急ブレーキが踏まれる。
僕は重力加速に抗い、文坂さんを抱え続ける。
レールが悲鳴を上げ、車両が止まろうとする。
「な、なぜ――?」
再び切り替えた車窓はもう記憶を映し出せず、車内の様子が――
影法師の人々が緊急停止ボタンを必死に押している様子が映し出された。
全員が、この列車を止めようとしていた。
「そんなことをすれば、もう二度とこのクラストには乗れなくなる、こんな横暴を私は認めない、彼らはそれを分かっていたはずだ、なのに!」
「記憶の汚染を防ぐためだ、って言ったよ」
記憶を車窓に映し出す、そんな何気ない楽しみのためのクラスト。
だが、それは、記憶への侵入経路を作り出すということでもある。
「僕らが勝利したときに恨みを買うのは、彼らの記憶が消えるからだ。勝者の記憶が残ってしまうからだ。彼らが今行動しているのは、彼ら自身の記憶を変質させないためだ」
どちらも行動の根本としては代わりはない。
やるべきことに気づき、非常停止ボタンを押した。
自分自身の記憶を守るために、なによりも――
「復讐されるぞ! お前らは復讐の対象になる!」
「憶えていればね?」
記憶が失われ、その代わりに僕たちのことだけを憶えているのなら、追跡は容易だ。
空白部分に復讐対象者が刻まれる。
だが、彼らが勝利し、僕らが敗北すれば?
「負けた人間の、『車窓の情報』は失われる」
「あ」
汚染を食い止めるベストの手段だった。
入り込み紛れ込んだ『文坂さん』を消すため、彼らは必死に勝利を目指した。
想い出の中の文坂さんを、消去する。
その余計な情報を、このクラストが消してくれる。
「敗者は僕らで――」
車窓の、乗客たちの様子を指した。
僕の口に浮かんだ笑みは、皮肉そのものだ。
「勝者は彼らだ」
この事態を、事前に考えていた者たちだった。
このクラストマスターと違い、突発的な不都合に彼らは備えた。
そして――もう彼らが乗ることもない。
こんな欠点を抱えていながら何の対策も取っていないクラストなど、信用できない。
記憶が消える危険性には耐えられても、記憶が汚される可能性など絶対に許容できない。
この支配者気取りの乗客を削った。
悪い噂として広がれば誰も利用しない。
記憶と引き換えに、僕はこのクラストを台無しにした。
「これが割に合うかはわからない、だけど、まあ、仲良く一緒に負けようか」
「ふざけるな、私は――!」
電車の扉が開くのを見た。
ガラガラと多くの記憶が、想い出が崩れ去る、すべての車窓が地面に落ちる、薄いガラスのように破砕する。
その中には僕の数々のクラストが。文坂さんが。あるいは別のおぞましいものがいた。
車掌に抱えられた子供が、悲鳴を上げる様子が最後に見えた――
+ + +
頭がふらついた。
気づけば――僕は駅の改札の前にいた。
車が通り、人々が歩き、遠く電車の音がした。
日差しを浴びる感覚でさえも、密室の中にはないものだ。
現実に、戻った。
頭の奥が酷く冷えていた。
それは冷静さではなく、絶望にも似た悪寒だった。
多くのものを零した、その感覚があった。
厄介で、重荷でしかなくて、それでも僕を構成している一部だったものが失われた。
それは主に、体験したクラストについての情報だった。
解放されたような、半身を失ったかのような、何とも言えない気持ちだ。
「思ったより、疲れはないな……」
きっと、それだけの量と質がある記憶が奪われた。
敗北時、通常なら立ってもいられないほど疲弊するはずなのに、少しの目眩で済んでいた。
「あの、クラスト……」
それについては憶えてた。
あの車窓に記憶を映す列車について。
「どうなったんだろ」
僕は、記憶を失った。
過去のこと――攫われ突破した多くのクラストについて。
僕の強みであった経験が、リセットされた。
多くの人たちと出会った覚えだけがあった。
車窓の、すべての景色は失われた。
「文坂さん……?」
彼女は、近くにいた。
消えてしまった切符に触れる格好で。
彼女は、泣いていた。
わんわんと泣くというよりも、ぽろりぽろりと勝手にこぼれる。そんな様子で。
放課後の駅の改札の前、彼女は僕を見た。
「センパイ」
「なに」
「酷いです」
「そうだね」
僕は、どうやって文坂波等羽と出会ったんだろう?
それすら、もう上手く思い出せない。
そして、文坂さんは一体なにを失ったんだろう?
ひどく悲しむ彼女の姿は、大切な誰かと永遠に別れてしまったかのようだった。
その文坂さんを、僕はただ見つめ続けた。
その姿を、その存在を、ただ認識する。
それだけが、僕に許された行動だと思えた。
追想列車 了




