追想列車3
次の車両には、誰もいなかった。
車窓には、僕のふるさとが映っていた。
「んふふ?」
「よし、先頭車両まで行こう、走って行こう」
「センパイ、私、疲れました!」
「笑顔で元気よく手を上げて疲労困憊する人間とかいない」
文坂さんはその場で正座になった。
絶対に動かないという姿勢だ。
床に直座りなところに決意を感じさせた。
「というかこれ、文坂さんの情報も混じってるんだよね?」
「意識の経路を閉ざせば外部に情報は出ていかないみたいです」
「……それ、どうやるの」
「前にクラストを作ったときの応用です、簡単ですよ?」
できねえよ。
勝手に記憶を読み取り、映像として流すことの防御とか、どうやればいいのか見当もつかない。
「あと五時間くらいここにいましょうよ」
「置いていくよ」
「そうですか、仕方ないですよね」
どこか見覚えのある野山や田舎の小道は、たしかに記憶の中にあるものだった。
僕がこの車両にいる限り、これらの情報が流される。
「けど、僕が次に車両に行けば、これらの情報は消える」
「ですね」
「だから行くよ」
「やです」
僕は正座でニコニコ笑う彼女に向き直った。
「文坂さん」
「はい」
「クラストを舐めるべきじゃない、好奇心を最優先していい理由はどこにもない」
「前の車両の、あの人達がいなければ、私も最速で行きました」
ここでしばらく過ごしても大丈夫だという証拠だった。
あの二人は、呑気に座って外を眺めた。時間制限の類で強制された様子もなかった。
「僕もあんな風に座ってここで眺めろと?」
「ダメですか?」
「僕だけ見られるのはフェアじゃない」
「センパイが望むなら、そ、そうですね、私のこの経路封鎖を解いてもいいですよ?」
「あのね……」
「で、でも! まじまじ見たらダメですからね! ね!」
「文坂さん、言い方が悪かった。現在進行系で個人情報がガンガン流れてる、これを僕は見たくないんだ」
「はい、ですから――」
「だからと言って文坂さんのも見たくない。人の記憶を盗み見るのは趣味が悪い。先、行くよ」
さすがに付き合いきれなかった。
通路で正座する文坂さんを置いて、僕は次の車両に行った。
次の車両も無人だった、誰の姿もありはしない。
後ろを振り返っても、扉向こうの車両の様子は分からなかった。
そして――
いくら待っても、追いかけて来る気配はなかった。
「……」
どれだけ立ち尽くしても、定期的に揺れるドアの様子しかない。
車窓では、おっかなびっくり高校の門をくぐる僕の様子が映し出されている。
入学式のときの、僕の姿だ。
この時は、クラスト被害が収まるんじゃないかと期待した。環境が変われば、そういう幸運なことも起きるんじゃないかと。
「はぁ……」
このクラストは、人の記憶を車窓に映すものだ。
その「記憶」を外部に出さないようにしたら、その状態を続けたら、どうなるんだろうか。
その場合の「車窓」は、一体どんな風景なのか。
かつて、クラストの外を見たという人がいた。
クラスト外、世界の裏側。
それを認識した途端、その人は悲鳴を上げて混乱した。
本来見ることのできない、密室外にある光景。
ひょっとしたら、文坂さんは今それを見てるのかもしれない。
そのせいで、身動きが取れないのかも。
「ああ、もう……!」
仕方なしに引き返した。
横開きのそれを開いた先では――
「……なにこれ?」
ありえない光景が広がっていた。
+ + +
最初に連想したのは、満員電車だった。
ただしコスプレした人限定の。
それが車内ではなく、電車外に溢れてた。
多重に塗り重ねられた密集が電車内にまで侵入していた。
窓の外に、文坂さんがいた。
悪鬼がいた。
ヒーローがいた。
あるいは殺人鬼が、詐欺師が、宇宙人が、発明家が、不老不死を夢見るマッドサイエンティストが、青春を掲げる性同一性障害者が、腕があることが許せないと切断を懇願する人が、多重人格者が、世界の破滅を目論む少女が、恋を勘違いしたヒロインが。
地平線の先を埋め尽くすほどにいた。
それらが重なり、押し出され、車内まではみ出し、異様な光景を作り出した。
この電車が走っている事実など認めないとでもいうように、ただの群衆として景色の中にいる。
そのどれもが、文坂波等羽だった。
全員の顔がそうだった。
おい、五分も経っていないのにどうしてこんな有様になった?
手が震える。
すぐ後ろには、ドアがある。開けてきたばかりの扉が。
「――」
逃げたい、と思う。
何がどうしてこんな光景となったのかはわからない。
どんな記憶が、どんな情報を持っていればこんなものを作り出せるのか。
まるで地獄のように多大な可能性がすべてを覆い尽くしている。
だが、向こうが勝手に作り出した。
これに関わり合いになるようなリスクを取る必要は、どこにもない。
いや、それでも――
「……」
目を閉じる。
深く呼吸する。
背後のリュックからゼリー飲料を取り出し、一息に飲みきった。
この光景は、文坂さんがクラストマスターとして作り出したものか?
違う。
今このときは、少なくともそうじゃない。
僕にとっては、その一点だけが重要だ。
目を開けた先の光景は、変わらない。
だが、これらは実体を持ったものではない。
窓外の光景と、本質的に変わらないものだ。
全てを無視して進んだ。
アイドルの姿をした文坂波等羽が横を通った。
卑しい笑いで人差し指をつきつける文坂さん。
無表情で機械化された腕を確かめる様子。
ブサイクな集中力で絵を書いている光景。
五体の影が、目の前にあった。
気づけば僕の周囲を囲んでいた。
座っている人、吊り革を持って立っている人、僕を睨むようにしている人、床で体育座りをしている人、車窓の景色を見ている人の影だ。
前の車両のことを思い出す。
どうやら新たに入った人間は、先にいた人のことを上手く認識できないようにされている。
揺らめくようにある五体の影。
その差はわずかだ
僕からは、それ以上の違いが認識できないようにされている。
五人いる。
どういうわけだか増えている。
選んでくれというように、あるいは、私を見てくれというように、影は待っていた。
取り囲むその影の内、僕は右から二番目の手を取った。
「行くぞ」
「……どうして、わかったんです?」
光景は変わらない。
変わらないまま、その影の手を引く。
「なんで、分からないと思うの?」
文坂さんは一言も喋らず、黙って僕に手を引かれた。
彼女は、最後にちらりと後ろを振り向いた。
そこにいる様々な「自分」の様子を。
僕は彼女が正解だと思った。
雰囲気、行動、あるいはちょっとした仕草からそう判断した。
けど、もしこれがミスなら――
あの五つの影すべてに実体があり、僕が異なる可能性を選んでしまったとしたら。
僕は「違う文坂波等羽」を選んだことになる。
派生人格ではない「本物の文坂波等羽」が、後ろから僕らが遠ざかる様子を見ているのかもしれない。
「……」
くだらない想像だ。
もしそうであったとしても、もう、わからない。
僕は次の扉を開いた。




