水密蓮華2
「しかし、そうなると、これ、一回入ってみたいですね」
「このクラストに?」
「はい」
「文坂さん、僕の話をちゃんと聞いてた?」
「風景としては、きっと綺麗ですよね」
暗い海底ではなく、仄かな明るさのあるブルーの海、そこにクラストは沈められている。
どこまでも透明に続く青の只中にある。
「いや、でも、危険すぎる」
「観光ですよ?」
「観光は命の危険がない場所に限定しよう」
「センパイ、観光の可能性は無限です」
「無制限の観光はだいたい迷惑。そもそもこれ、人が溺れ苦しむのを見たい欲求のクラストだ」
「でも、脱出経路はありますよね」
「そりゃね」
そうでなければ作成できない。
一方的な殺傷を認めない縛りが、大抵のクラストには設けられている。
「道具は床にあって、でも、鎖で繋がれて使えないんですよね」
「うん」
「そして、だんだん海水が入ってくる……」
「天井には穴があって、そこから空気は漏れてる」
圧力の関係でその穴から海水は入らず、空気だけが出て行く。
「そこからの脱出はできないですよね、たぶん」
「罠その2だね」
天井付近に開いた穴。
床の破壊がどうやっても不可能だと気づいた人が、次に天井から漏れる空気音に気づく。
「穴はいくつか開いている、そのどれもが破壊ができない」
海水が満ちるのを待ち、どうにか浮かび続けて空気穴へと接近した後で、抜け出そうとしても、できない。
大きさとして抜け出すことはできず、物理的に破壊することもできない。
トンカチやバールなどがあれば話は別だが、それらは床で鎖に繋がれている。
「あまり知られていないけど、水の中に穴の開いたコップを入れても、空気は全部は出ていかない」
表面張力などの関係で、どうしてもわずかに空気は残る。
「だけど、暴れて穴からどうにか逃げ出そうと接触すれば、残った空気を自らの手で逃がしてしまう」
表面張力を壊すからだ。
脱出のために暴れるほど、苦しい状況に追いやられる。
参加者がパニックに陥らせることを、どこまでも求めるクラストだった。
「その様をクラストマスターは楽しむわけですか」
「本当に趣味が悪いよ」
クラストそのものの美観に反して、方向性は「慌て苦しむのを楽しむ」ことで一貫している。
「なるほど……」
「どうした」
「やっぱり、一度やってみません?」
「文坂さん、記憶力とか危機感知能力とか機能してる?」
彼女は気軽に手を振った。
「違いますよ」
「何が」
「このクラストで負けた場合、どうなってしまうかを試してみたいんです」
「試した結果、死ぬかも知れない」
「はい、そうですね」
「そうですね、って」
「それはそれで価値があります」
「なんの価値?」
「それを含めて確かめたいんですよ。脱出方法は、今ので想像がつきました」
「……文坂さんなら、考えつきはするよね」
このクラストからの脱出方法は、密室の中に海水が半分以上入るのを待つことだ。
そこまで海水が溜まると、底辺の床部分がズレて脱出できるだけの隙間が生じる。
透明なガラス製と床とのズレだ、よほど注意深く観察しなければ分からない。
そもそも、ガラス上部に穴が開いている、大抵はそっちに注目する。
「……なにが気になってるの?」
「等野静さんのことが気になっています」
そりゃそうだろうと言いかけて、止まった。
非常に嫌な顔になった僕を、文坂さんはニコニコと見ていた。
「いくつかセーフティを設定するよ」
「いらないです」
「僕のせいで君が死ぬのは、嫌なんだけど」
「受け入れましょうよ」
「ひょっとして文坂さん、僕のことを人でなしにしようとしてる?」
「はい!」
なにいい笑顔してやがる。
「文坂さんって、実は僕のこと嫌いだよね」
「いいえ、センパイが私のことで苦しんでいるのがステキだな、って思ってるだけです」
「本当に趣味が悪い」
「センパイが私をこうしました」
「心当たりがない主張やめて?」
「実を言うとですね、クラスト内からだとセンパイの姿が見えません」
「そりゃそうだね」
「その見えないという苦しみを押してまで頼んでいるんです、私の、この心意気を認めてください……!」
「気づこう、僕には理解できない苦悩と引き換えに、僕がやりたくないことを要求してるよ?」
何の取引にもなっていない。
「むー」
眉を寄せて不満を露わにした文坂さんは、カバンから何かを取り出した。
非常に安っぽいノートだった。
見覚えがあった。
「なら、これと引き換えにします」
「文坂さん?」
「センパイの実家でたまたま見つけました」
「盗んだ、っていうんだ、それは」
「センパイが頼み事を聞いてくれないと、私はこのセンパイの初恋ポエムを全校放送で朗読してしまうかもしれません」
「僕の魂のオーバーキル止めて?」
結局は、押し切られてしまった。
脅しだけが原因じゃない。いや、それもあるんだけど。
いくつか、気になったことがあった。
等野静さんがキーを渡したときの表情。
あれは、あの表情は、いったい何だったのか。
強いて言えばそれは、破滅を希求する類のもの――
いや、違う。
破滅したことに、自身では気づいていない表情だった。




