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水密蓮華1


彼女は部室の扉から去った。

クラスト化されていない、ただの部室はその移動を止めなかった。


僕は天井を見上げ、降参のポーズを取った。

ついでに弱気も口から漏れた。


「いや、ホント、これどうしろって?」

「どうしたんですか?」


両手を上げた姿勢を、文坂さんに見られた。


下ろして少しだけ笑ってみる。

気持ちとしてはまったく笑えない。


「見た通りそのまま、お手上げ、ってこと」

「センパイ……」


呆れたように文坂波等羽ふみさか・はとばが部室の扉を開けながら言った。

その手には二本のペットボトルがあった。


「わたしが買い出しに行っている間に、一体なにがあったんですか?」

「一方的な、厄介事が起きた」

「どうしてそういう面白おかしいことに巻き込まれるんですか、何か企みましたか」

「買い出しは、そっちがじゃんけんで負けた結果、そして何も企んでない、向こうから厄介事が来た」


クラスメイトのくせに僕のことを「センパイ」と呼ぶ文坂さんは、心から悲しそうに言った。


「私がストーカーしていない時に限って、そういう面白いことを起こさないでください……!」

「この部室、カメラで録画してるよね?」

「リアルタイムで味わうのと録画確認はまた違うんですよ!」

「……カマかけただけだったけど、本当にあったんだ……」

「わからないように設置してあるので大丈夫です」

「何も大丈夫ではないよ?」


徹底的に探す必要があった。

まあ、無駄なんだろうけど。


「それで――」

「ん?」

「その厄介事ってなんですか?」

「頼まれ事だ」


ここはクラスト部だ。

なにをする部活動か、実は僕も分かっていない。


ただ、クラストに関連する部活であると扱われていた。

関わったら厄介事が起きる魔窟だとも見られている。


だからこそ、渡された。


「何をですか?」

「クラストのキー」


超常の密室をつくるための、文字通りの鍵だ。

カード型のそれを、僕は片手で掲げた。


「これを処分してくれって言われた」

「え」

「ちなみにもうクラストは作成済み」

「うわぁ」


厄ネタだった。



  +  +  +



クラスト、というものは、制作したマスターの欲望を叶える為の密室だ。

普通では果たすことのできない望みを、超常の力で果たす。


だけれど、それを「行いたくない」と考える者もたまにいる。

強固な理性で、あるいはそれ以外の感情で実行しないことを選択した。


「手元にあったら使ってしまうかもしれないからって、渡された」

「それ、どんなものなんですか?」

「水死」

「え?」

「内部に閉じ込めた人を、もれなく溺死させるためのクラストだった」


非常に入りたくない、嫌なクラストだ。

僕はクラストキーであるカードを弄びながら、それについて――その厄介さについての説明した。


「形状としては海中にあるガラス製の部屋だった、下の隙間から、だんだんと水が入ってくる」

「何かの拷問施設みたいですね」

「実際、それに近いと思う」


上も左右もどこも透明、あらゆる方向に海水がある。

床だけはタイル製だけど、それが余計に逃げ場のなさを強調する。


参加者視点で言えば、上方向全てが海であるかのような光景だ。

遥か上方には、海面が揺らめく様子が見える。


「部屋の床にはいくつかのアイテムがある、いかにも脱出のために用意されたように見える物品が」


金槌やバールやハンマーなどだ。

それらは持ち運べない。

すべて鎖で床に繋がれて、あまり動かせないようにされている。

長さとしては、手に持って立ち上がれる程度しかない。


「あー、なるほどですね」

「なに?」

「罠ですよね、それ」

「うん」


それらのアイテムでは脱出できないようにされている。


ひたひたと入ってくる海水、その入り込む隙間は、見て分かるほど僅かなものだ。抜け出せない。

だから他の脱出路を――床を破壊しようとしても、できない。


床は相当固く設定されており、半端な道具では傷一つつかない。

ガラス部分は破壊できるが、鎖の長さがそれを許さない。


時間がたつほど床上を海水が覆い、更に破壊は難しくなる。


「海水が流入するスピードは調整できる、長く時間をかけるほど絶望は大きくなる」


もっとも、その分だけ脱出のヒントも得やすくなるけど。


「センパイは、そのクラストに入ったんですか?」

「さすがに怖くて無理だよ、何かの罠だってことも考えられる」


クラストに招待する手法は様々だ。

中には「キーを使ってゲームマスターとして入ること」だってあるかもしれない。


「このクラストの概略は、キーに触れることで把握できた」

「私も触っていいですか?」

「僕を閉じ込めないなら」

「触るのを止めておきます」

「文坂さん?」

「我慢できそうにありません」

「これ以上、僕に近づかないで?」


思った以上に危険人物だった。


「それで」

「ん?」

「どんな人がクラストマスターだったんですか?」

「さすがに言わない、僕を信用して渡してくれた」

等野静とうの・しずかさんですか、意外です」

「ねえ、その手元から取り出したスマホに何が映っていたか見せてくれない?」


本当に盗撮してやがった。


「センパイ……人のプライバシーを覗き見しちゃいけませんよ?」

「どの口が言ってるんだ」

「等野さんですか、正直、どんな人かあんまり憶えていません」

「撮影データは消して欲しい」

「私は今、ショート動画を見ているだけです」

「あからさまな嘘やめて?」


等野さんは、こういう言い方をしたら悪いけど、本当に平々凡々とした人だ。

割とビクビクしているような印象が強い。


「見た目的には、それをつくる人には見えませんよね」

「人は見かけによらないらしい」

「直接傷つけず、水に沈めるのは「らしい」やり方ですけど」


誰だって心に秘めた欲望がある。

人には言えない歪な形の欲求が。


それを果たす方法が手元にあれば、実行してしまうかもしれない。


「……少し話をしたけど、昔、友達が溺れる様子を見たことがあったらしい」

「溺れる、ですか」

「うん、けっこう前、学校のプールで友達が足を攣った」


見えない誰かに引きずり込まれるかのように、手をバタつかせて助けを求めた。

等野さんは離れた位置にいた、プールを挟んだ反対側。先生に向けて危険を知らせる声を上げながら、その友人のその姿から目を離せなかった。


「とても苦しい、水面が遠い、呼吸ができない、助かろうと必死にもがくのに、どこにも手が届かない――」


友人とは、仲が良かった。

死んで欲しいなどとは、思っていなかった。


ただ、「よく知っている人が沈み、必死にもがく光景」に立ち止まることしかできなかった。


瞳孔が開いた様子。

苦しみの声ですら水に阻まれて出せない。

無様に暴れる様子に心臓が高鳴る。


あるいは、もう数分もしたら――

その想像に、脳の奥が痺れた。


「等野さんがこのキーで、クラストに招待したいと願ってしまった相手は、その友人だった」


あのときの光景を、自身の手で行いたいと思った。


「幸い、その友達が病気かなにかで入院していたらしい。キーも、その時に手に入れたとか。これ以上会っていたら、発動していたとも言っていた、だからここに預けに来た」

「預けに、ですか」

「そうだね」


返して欲しいと言われたとき、どうするべきかは考えたくない。


「完全に破棄したくはなかったんだろうね」

「本当にそうしたいのなら、どこかに捨てればいいですからね」

「それは難しい」

「どうしてです?」

「関係ない僕だって、このキーを手にすることで概略をつかめた、誰でも簡単にマスターになれる」


他の人が悪用するかもしれない。

ゴミ箱に入れても、カードそのものは残り続ける。


このキーそのものは、相当壊しにくい。

トンカチで叩く、あるいはハサミで切る程度では通用しない。


「よくクラスト被害にあっている僕くらいしか、渡す相手がいなかった」


僕がクラスト内で死亡すれば、このキーも消失する。

暗にそれを期待している雰囲気もあった。


「センパイ、クラストキーの粉砕機扱いされてません?」

「ゴミ箱と表現されなかったことに少しの気遣いを感じてしまうのがなんか嫌だ」


僕にとってこのキーは、本当にただの重荷だ。




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