下降継続5
クラスト内ではゲームが行われる。
参加者同士で争うこともあればマスターと対決することもある。
敗北した者はペナルティを食らう。
クラストを構成するための、魔力と呼ばれるものを吸われる。
それで足りなければ体力や、それ以外のものまで。
あるいは脂肪も、その敗北条件に付け加えることができるのかもしれない。
「さっき、時間内により長く下った方が勝者だと言ったな」
「そ、そう?」
「差がつくほどペナルティが重くなる、そういう形式だな?」
答えは無言の目そらしだった。
黒フードがそっぽを向いた。
「わざと負けて、消耗する。魔力、体力だけではなく、脂肪までも」
「へ、えへへ?」
敗北前提どころか、より大幅に負けるためのクラストだった。
罠もトラップも何もない。
僕が頑張れば頑張るほど、勝てば勝つほどゲームマスターの得になる。その分だけ痩せられる。
階段100段ごとに10kcal、その辛さを他人に押し付けた。
最初に頑張れば、残りの運動はすべて相手がやってくれる。
「欠点としては、ここがループ構造であることだ」
おそらくコストとして無限にはできなかった。
どこかで妥協する必要があった。
「そ、そっかな……?」
「だからそっちが階段を登り、積極的に差を広げることができなかった」
もし、登ってくるコイツの姿を見かけたら、僕は迷わず引き返してた。
座っている様子すらギリギリだった。
「いや、その、ね? 自分じゃなかなかできなくてね? 怪我だって怖いし」
「人を巻き込むな」
ダイエットは辛い。
日々色々なストレスがあるのに、その上自分で自分を消耗させなければならないのは意味がわからない
けれど、だからって、見知らぬ相手にそれを代替させていい理屈にはならない。
「残り時間は、あと一時間くらいだと言ったな」
「ほら、お、降りない?」
「ふざけないで欲しい」
どうして他人を痩せさせるために僕が苦労しないといけないんだ。
考えてみれば、このせいで僕は友人とのゲームの約束を反故にされた。
命の危険よりはずっとマシだけど、だからといって全面的な協力なんてできない。
「あ、あの……?」
「今から、僕は登る」
「え」
段数の差があればあるほど痩身効果は高い。
逆を言うと――
「僕自身が登って、段数差を、少しでも減らす」
「なんで!?」
「どうせあと一時間出れないなら、そっちの得にならないことをする」
クラストマスターと僕の対決。
降りた階段の数が大きければ大きいほど、痩身効果は高くなる。
逆を言えば、段数差が小さくなるほど消耗は減る。
登りVS下りは、時間単位で言えば登りが不利だ。
今から登っても、きっと差は詰めきれない。
まして、このマスターも一緒に登り始めたら、更に差は縮まらなくなる。だが――
「嫌なら運動すればいい」
取りすがろうとする手を振り払って断じた。
そう、僕だけが苦労するような事態はゴメンだ。
ひどく絶望的な雰囲気を引き剥がし、一段とばしで駆け上がった。
行けるところまで行ってやる。
ちらりと後ろを振り返れば、呆然と佇むマスターがいた。
追いかけて来ることは無かった。
ひょっとしたら怪我をしたのは本当だったのかもしれない。
「……」
視界に入れたのは一瞬、あとは階段をただ駆け上る。
幸いなことに足首の痛みはもう無い。
その代わり太ももが辛い。
下降のときとは違う消耗が苛んだ。
降りる爽快はなく、筋肉の負担だけがある。
「……ったく」
ちらりと後ろを振り向けば、もうクラストマスターの姿は見えない。
「我ながら、バカなことしてるかな……」
そうした自覚はあった。
この運動による、僕の得は何もない。
クラストマスターのメリットを減らしているだけだ。
それでも――
「……」
それでも気になることがあった。
テンポよく階段を上がりながら、どうしても脳裏に引っかかることが。
痩せたい。
それはいい。
他人を巻き込むなよという文句はあるけど、理解できないわけじゃない。
だが――
「いったい、何を怖がってたんだ……?」
つかんだ腕。
認識だけを変えた実態に接触した際、ぶるぶると震えていたのが分かった。
恐怖していた。
何に?
「わっかんないなぁ……」
歩く、登る、途中からは手すりを使って、自らを引き上げながら。
トラップの類はもう警戒しない。
このクラストの性質上、そんなものは無いはずだ。
安心してただ登る。
ダイエットの邪魔をするための運動を続ける。
「ふっ……!」
踊り場を少し駆け、手すりの引き寄せも利用しながら跳躍した。
五段くらいをそれで跳ぶ。
コツは手すりを引く際には体重を乗せず、あくまで補助に留めること。
その勢いをつけたまま、残りの階段も駆け上がる。
足だけではなく全身の運動で上がり続ける。
階段の右側には、いくつか僕の足の痕跡が残っていた。
気軽に降りた痕跡だ。
簡単に移動しやがってという、自分勝手な恨みが僕自身に向く。
頭を空っぽにする。
呼吸だけが徐々に激しくなる。
無限のループをただ登る。
脳裏には、ここのマスターのことが過ぎる。
挙動不審、それでいて用意周到、なのにビビリ……
それらの裏に見えていたのは……
「ああ、なるほど」
納得がいった。
それは、僕の登る速度を上昇させた。
妄想かもしれない、間違っているかもしれないけど、それでも――
時間の経過がわからない。
僕は全身から汗を流し、荒い呼吸を繰り返していた。
どれだけ運動が得意なやつだって、こんな運動は無理だ。
それでも可能な限りの速度で僕は昇った。
気づけば上の方に、例の黒フードの姿が見えた。
いつの間にか、一周していたらしい。
それともなければ、あっちも下ったのか。
「あんたのそれ、罪悪感だったのか……」
図星を指されたように、クラストマスターの表情が歪んだ。
同時に、出発を知らせる電車の音階鳴った。
景色が歪み、元の世界へと戻ろうとする、その僅かな間。
宇執摩駅の様子へと、蜃気楼が晴れるかのように戻るのを見ながら、降り続けなくて良かったと僕は心底思った。
消えるクラストのその只中で、そのフード奥の表情を僕は脳裏に焼き付けた。




