故郷探索4
幽霊、と呼ばれるものが本当にいるのかは分からない。
あるいは、その定義も。
魂なんてものが本当にあってふわふわするとは思えない。
けれど、記憶の残留はあるんじゃないか。残された思い出が、情報が、何らかの形で残るんじゃないか、そんな風に信じることはある。
その想いとやらは、ひょっとしたら世界を超えるのかもしれない。
「ま、またまたぁ」
紗蔵宮がそう返答したのは、たっぷり十秒以上たってからだった。
「僕も確信しているわけではありません」
「でしょ、でしょぉ?」
「ですが、あなたは色々と例外的すぎるんですよ」
彼女が異世界の人間であることは認めたっていい。
その人がクラストの制限にかからないことも、ありえるかもしれない。
けど、透明な存在が目の前から声を発する事態は、ありえない。
部屋全体の声からそちらに移動した。
こんな風に自然な形で移行するのは、クラストマスターだって不可能だ。
「おそらく、あなたは最初、この部屋そのものに取り憑いていた」
「あたし、そんなことしてたん……?」
「今は憑依を離れて、僕の眼の前にいる」
「待て、待って、ちょっと待と? いろいろ理解が追いつかないバージョンなんですけど!」
「この部屋に来る前、あなたの世界での最後の記憶はなんですか」
「え、そんなの」
唐突な質問に戸惑ったようだが、眼の前の「透明な人」は考えた。
どうやら指折り数えている。
「寝て、起きて、朝食だるー、って食べて……」
僕は黙って聞いた。
「宿題ってやったっけ、って考えて、スマホの充電ヤバいけど、これどうしようかって思って、それで――」
「それで?」
「それで――」
困惑があった。
「それで、それで、そっか……」
呆然とした様子のまま、続いた。
「轢かれた」
変わらず姿は見えないけれど、眼の前に女の子がいると思えた。
「ああ、そっか、そうだ、そうだった、なんで忘れてたたんだろ、あたし。車だ、トラック、だったのかな。あはっ、転生トラックってやつ? あれ、痛かったんだよ、やんないほうがいいよ。あ、違うか、痛いんじゃないんだ、消えたんだ、だって、右足とかなくなって、歩くの難しいなぁって、手も、スマホとか使えくなるのヤバくないって、けど、ほら意識あるから、がんばないとって、だって最後の食事が、朝食がシリアルだったんだよ、母さんがたまに作ってくれるおみそ汁、すごい好きだったのに、よりにもよってシリアルなのダメだよ絶対に、そんなのダメだって、思って、それで――」
僕は、ぐるりと部屋を見渡した。一般的な、どこにでもある形のクラスト。
おそらく、こうやって彼女も見渡している。
「気づけば――」
「ここにいた?」
「うん……」
しん、と静まり返った。
なにも音がない。
心臓の音だけが聞こえた。
ここにはそれが、ひとつしかない。
「なんで、なんだろ」
「――」
「あ、あたし! ほら、夢とかあったんだよ」
「そうですか」
「公務員になって安定した生活を送って、趣味もやって、それで――」
案外ちいさい夢だなぁ、という感慨は言わないでおく。
「ここが、あたしの終わり……?」
「あなたはクラストマスターではありません」
危険な方向へと向かおうとする思考を断ち切るために、そう言った。
「死後の世界とやらがどうなっているのかはわかりませんが、別世界にまであなたは飛ばされ、このクラストに引っかかった」
「……あたし、魚か」
「このような例を僕は他に知りません。恐ろしいほどの偶然の結果と見るべきでしょうね」
「あたし……どうすればいいの……?」
すぐに答えることはできなかった。
「どうすれば、元の場所に戻れるんだろ……」
「そのためには、再びクラスト外へと渡る必要があるでしょうけれど、上手くいくとはとても思えません」
「……あれかぁ……」
人間には定義できない領域。
異空間、と単純に言っていいのかすら分からない。
「ハハ、あたし、ちょっと耐えられそうにないかも……」
見えない、姿は不明、直接様子が分かるわけじゃない。
けど、それでも伝わるものはあった。
「戻ってください」
「え、なに?」
「紗蔵宮さん、あなたには自覚がないのかもしれませんが、先ほどから声が徐々に薄れています」
「へ、なに……?」
「おそらく、消耗している。このままでは早々に消え去ってしまいます」
単純に元気がなくなったのかと思ったが違った。
まるでスピーカーの音量を絞るかのように、その声がちいさくなっていた。弱く、衰弱していた。
その自覚が、彼女本人にはなかった。
「うえぇ!? ど、どうやればいいの!?」
「分からないんですか!?」
「あたし的には轢かれたと思ったらここだよ!?」
なるほど、幽霊歴が短い。
「床に手をつき、このクラストとの再接続を試してください」
「わかった!」
少しだけ声の位置が低くなった。
「できなかった!」
叫んでいるが小さい声だった。
きっともう限界が近い。
「絶望的なことを元気よく言わないでくださいよ、ああ、もう……!」
状況としてはシンプル。
世界を渡った幽霊がいて、目の前で消滅しようとしている。
「これどうしよ!?」
「僕だけに考えさせないでください!」
「なんか、動きづらい感じ……?」
「完全にもう限界じゃないですか!」
無関係な相手が、勝手に自滅しようとしている、ただそれだけだ。
だけど――思い出す、僕自身のことを。
意味も分からずクラストに放り込まれた経験。あの孤独感は、とても言葉では言い表せない。
「手を、伸ばして!」
「え」
だから、こんなことをしようとしている理由は、単純だ。
「僕に取り憑いてください!」
彼女は、クラストマスターではなく、被害者だ。




