三人の密室4
中本過凪について分かっていることは少ない。
没交渉で、知り合いは少なく、スポーツは得意ではない。
その一方で成績優秀であり、彼が書いた論文は賞こそ取っていないものの注目されている。
「悪いね」
だけれど、裏路地に立つその姿からは、そうした特殊性は伺えない。
「何がですか」
「尋ねてくれたんだろ? けど、家の者たちが取り次がなかった、お陰でこうして手間を取らせた」
「僕らはここで待ち合わせをしたわけじゃありませんよね?」
「あれ、そうだったかな」
軽い様子の、背丈の低いその人に聞きたいことは多くあった。
「だけど、君が取れる選択は多くない。本当に調べたいと思うのなら、どっちにしても、ここに来ていたはずだ」
「なるほど」
放課後は佐竹八館。
夜は右野山聖がここに来ていた。
なら、彼は?
中本過凪は、いつクラストに来ていたのか。
「夜間のこの時間に、あなたは来ていたんですね?」
「そ」
軽く失望した様子が見て取れた。
「今ようやく気づいたんだ?」
「覚えていることが多そうですね」
「もちろん」
彼は当たり前のように歩き、おそらくはクラストがあったであろう場所に触れた。
「ここでの出来事の大半は、記憶から失われた。けどね? それって覚えていないだけなんだよ。私の脳から消えただけに過ぎない」
「それこそ、日記にでも書き残していたんですか?」
佐竹さんも書いていたが、クラスト消失と共に失われた。
だが、クラスト外に日記があれば、一緒に消えるようなことは起きない。
「佐竹はこのクラストで過ごすことを重要視していなかった。だから、わざわざほかの場所で記録することはなかった」
「——」
「右野山は家の事情として、下手に情報を残すわけにはいなかった、日記なんてもっての他だ」
「——」
「二人とも、失った記憶を補うものが何もなかったんだ」
「あなたは、違うと」
彼は軽く頷き。
「私がスケジュール管理をしていたんだ、その役割を担っていた。当然、記録はつけてある」
「納得しました」
この件は、二人が小まめに覚書の類でも残していれば発生しなかった問題だった。
「あなたは記憶を無くした後、それら残された情報をつなぎ合わせ、事態を把握したんですね」
「そうだね」
「それは——二人には伝えられない内容だった?」
「時間を置く必要がある、そう判断した」
何度か喰らったことがあるけど、記憶が失われるのは非常に気色悪いというか居心地が悪い。
だけど、中本過凪は違う感覚みたいだ。
「だいたい、分かりました」
「なにがだい?」
「このクラストで何が起きたかについて」
「おお、名探偵」
「推理ではなく、経験ですよ」
理屈の合わないことがある。
辻褄がズレている。
こうした場合、大抵は——
「佐竹八館、右野山聖、中本過凪、三人以外にもう一人、別の人間がいましたね?」
「……」
「このクラストには、四人目がいた」
暗闇の底で、相手が笑うのが分かった。
「——そうだよ」
よくできましたというように、拍手をしながら彼は言った。
「ここにはかつて、佐竹にとっての友人、右野山にとっての相棒、そして、私にとっての恋人がいた」
+ + +
おかしいと思えたのは、時間のズレだ。
佐竹さんと右野山さんに関しては、一人だけでクラストに入っていた。
また、右野山さんの担当はベース。
別段一人で練習はできるものの、単独では曲の演奏とはならないものをわざわざ選んだ。
そして、佐竹さんが見た血。
二人のものではなく、目の前の人間でもないとしたら、別の誰かが必要となる。
「クラストの特性ですね」
「その通り。私たち三人で見つけたこのクラスト内には、先住の人がいた」
それは、より正確に言えば人ではなかった。
「リリは——その人は喋れないようだった、けれど、一目で全員が気に入った」
このクラストは三人共同の秘密基地ではなかった。
リリと合うための場所だった。
「私たち三人と一緒だと、リリは辛そうだった。人数制限がある、ここへは一人で来なければならないと、誰に言われなくてもそう理解できた」
「それは、けれど——」
「ああ、今なら分かるよ。あれは、私たちをクラストに閉じ込めるための餌だった」
リリと名付けられたそれは、「個人にとっての理想の体現」となる姿を取った。
クラスト内で長く時間を過ごさせるための目的として、その人は用意された。
「佐竹は気の置けない友達が欲しがった。右野山はセッションする相手を求めた。私はどうしようもない孤独を埋めてくれる恋人だ。それは、私たちが三人一緒では手に入らないものだった」
理想の形は、人により異なる。
当初は同じ形だったとしても、徐々にそれぞれ最適化した姿を取る。
「最初は、上手く行った」
時間をズラし、リリに会い続けた。
各々が関係を作り出した。
その時間調整は、中本さんが行った。
「幸せな時間、だったみたいだね。私自身はもう覚えていないけれど」
だが、一年も経てば——
「差異が、無視できなくなった」
クラスト内にて発生した「個人にとっての理想」。それは、人によって異なる。絶望的なほどに。
「私たちは成長する。背は伸びる、体重は変わる、得意なことも違って行く」
それに合わせるように、『リリ』もまた変化した。
「私たち三人が、リリについて話し合っていてもズレが大きくなった」
同じ対象について語っているとは思えなかった。
そんな言動を取るはずがないと、三人ともが思った。
そうして、ついには破綻が訪れた。
「忘れ物に気づいた佐竹が、右野山の担当時間であることを気にせず、侵入した」
そこで何が起きたか、正確には分からない。
だが——
「私経由で購入を頼まれたものを見るに、右野山はメイクをした上で演奏をしていた」
内部にいるリリもまた同様に。
「その様子を、佐竹は笑った」
何をしているんだよ、まったく似合っていないと。
「右野山は、いつかは私たち三人で演奏をしたいと願っていたみたいだ、その夢を笑われ、激昂して、けど、それどころではなくなった——」
佐竹さんにとっての『リリ』は、男友達にも近い遊び仲間だった。
右野山さんにとっての『リリ』は、苛立ちを込めたロックを奏でる同志だった。
その差はあまりに大きかった。
「そして、私も、どうやらその様子を外部から見てしまったらしい」
「え」
「君がここに来ていると分かったのは、カメラを仕込んでいたからだ、ちょうどあの日、この壁につけたばかりだった。私もまたあの光景を目撃したんだ」
開けたままのドアから、見てしまったのだという。
「リリは、私たち三人の『理想』だった。全員のそれを、同時に叶えようとした」
ちょうど佐竹さんがリリの肩に触れたタイミングだった。
リリが、震えた。
触れた点を中心に、グニャリ、と回転するように歪み、戻ろうとし——弾けた。
赤く、紅く、朱く。
巨大な爆竹を内部で破裂させたかのように、飛び散った。
リリと呼ばれた理想は、惨たらしく砕けた。
「同時に、クラストが消えた」
リリに取りすがろうとする右野山さんを抑え、そのままドアから脱出する佐竹さんの様子——
それが中本さんの覚えている、わずかな映像だった。
「思うに——」
とつとつと続けた。
「リリは、実在はしていなかった。私たちの認識の中で存在したものだった」
「……どうして、そう思うんですか?」
「理想の体現に、一番手っ取り早い方法は?」
「……酔っ払いの幻覚なら、理想通りになるんでしょうね」
「そういうことだと思う」
現実には存在しない、認識だけの人間だからこそ、複数人が観測した途端、破綻した。
「これは、壊れることが確定したクラストですね」
「うん」
「同時に、時間が立つほど傷が深くなるクラストでもある」
理想像は、時間が経過するほどピントが合う。
他では代替できない、個人に寄り添う専用になる。
「そうして、いつしかクラストの外に出て行きたくなくなる、そのような罠だったのでは」
ある意味、三人で同時に発見できたことは幸いだった
一人だけで見つけていれば、抵抗できずに囚われた。
食虫植物のそれのように、夢想の中へと耽溺させ、死ぬまで吸い尽くした。
「……」
そして、それにいち早く気づいた人が、クラストを破綻に導いた。
夢から覚ます行動に出た。
そう考えた方が、「たまたま三人同時に見た」よりは説得力があった。
「……中本さん」
「なんだい」
「カメラで映像を撮っていたといいましたよね」
「うん」
「その映像を、見せてもらうわけにはいきませんか?」
彼は暗闇に立ち尽くしたまま、こぼすように言った。
「あんなおぞましい姿、他の誰かに見せるわけにはいかないよ」
彼は夜中、あるいは一晩中、このクラストで過ごしていた。
恋人と呼称する相手と。
「それは、すいませんでした」
「構わないよ」
「……」
僕は、しばらく考えた。
少しの違和感、あるいは、別の考え。方法と目的。
だが、それは――
「ああ、そうか……」
「どうかした?」
「いえ――」
佐竹八館、右野山聖両名への説明は、もう少し時間を置いてからということになった。
僕がこれ以上、関わることはない。
これはきっと、彼ら三人の問題だった。
三人の密室 了




