三人の密室2
「申し訳ないが――」
ファミレスで僕の前の席に座るなり、右野山聖は言った。
夜だけれど、寝るには流石にまだ早い、そんな中途半端な時刻だった。
彼はジャージを身に着けており、その体は熱気を纏っていた、どうやらここまで走ってきたみたいだ。
「30分しか時間は取れない、質問は手早くして欲しい」
佐竹八館からの情報だけでは限界があると、他の人にも聞き取りをすることにした。
僕としてはネット上のやり取りだけで十分だと思っていたけど、むしろ右野山さんの方から会いたがった。
とても親切な人だという印象は、間違っていた。
面倒なことを一度で終わらせたいだけだったみたいだ。
かけているメガネを直す動作にすら、苛立ちが込められている。
「ここまで走って来たのですか?」
「そんな質問をしたいのか、貴方は」
「僕が知りたいのはクラストについてですが、答えることはできないでしょう?」
だからその周辺情報について知りたいのだと、暗に示した。
「……この時間、最近は走るようにしている。そのコース上にこのファミレスはある」
「なるほど、健康的ですね」
「あのクラストについて、ぼくが覚えていることは、確かに少ない」
「ほうほう」
「……佐竹の奴は、何と言っていた?」
「記憶の欠落があるそうです」
「そうか……」
「どうして三人の仲が疎遠になったのか、それが思い出せないとも言ってました」
右野山さんは、複雑な表情をした。
さまざまな感情が入り混じったそれの、もっとも近いものを強引に言えば「嘲笑」だった。
「それは、羨ましいな」
「あなたは覚えていると」
「佐竹の奴よりはな」
「……教えてくれる気はなさそうですね」
「いいや? 教えてやるさ」
記憶の欠落の仕方に差異があるのか。
だとすれば、一体その原因は何だ。
「いいか」
右野山さんは、上半身を乗り出し、僕へと指を突きつけた。
「あいつは理由も分からず疎遠になったとか、そんな適当な言ったんだろうが、それは違う、ぼくは違うと断言できる」
「何があったんですか?」
「笑いやがった」
「笑う……?」
「あいつは、ぼくの夢を笑った、くだらない、ありえないと否定した、それが、友達をやめた理由だ」
その怒りはたしかに本物だった。
だが同時に、方向性がおかしいとも思えた。
「その夢は、なんですか?」
「……くだらないものだ」
「くだらないもののために、そこまで激怒しているのですか?」
「ああ、そうだよ」
目が泳いでいた。
この方向に深堀りしても、相手の苛立ちを増やすだけだ。
「……佐竹さんは現在、殺人を犯したのではないかと悩んでいます」
「は?」
だから、別の情報を提示した。
「そのイメージが、わずかに残っているそうです」
「馬鹿なことを言うな、そんなはずがない。佐竹八館が殺人? ありえないね、何を言っている? あいつは馬鹿だが、そういう方向の馬鹿とは違う」
「少なくとも本人は、その疑いを持っています」
「……」
「僕は、その調査を頼まれました」
右野山さんは、深く座り直した。
「……佐竹の奴は、どんな様子だ」
「ひどく怯えています」
「怯える……? あの佐竹が?」
「記憶が無い間に、犯罪をしてしまったのではないか、手に残る血の感覚はその証拠ではないかと恐れているようです」
「……馬鹿が……」
右野山さんは、コップの水を一息に呷った、とても苦いものを飲み込むかのような動作だった。
「佐竹から人の良さを取ったら何が残る、ありえないことで悩むな馬鹿が」
「そうなんですか」
彼はスマホを持ち上げ、しばし迷ってから置いた。
心配はしているが、連絡を取るまでは行かないようだ。
中指に出来たタコを気にしながら、右野山さんは軽く頭を下げた。
「それと……悪い」
「何がですか」
「佐竹の奴からの紹介だったが、本当は違うのだと思い込んでいた」
「と言うと?」
「……最近、両親からの干渉が激しい。何が気に入らないのか、こちらの動きすべてを監視をするようになった。これも、その一環だと思っていた」
わざわざ対面で遭いたがった理由を、少し理解した。
ネット上への書き込みは、時と場合によっては簡単に盗み見られる。
「そちらの事情はわかりませんが、その疑いは晴れたと?」
「完全にではないが」
いろいろ事情があるらしい。
だが少なくとも、親経由で情報を探りに来た奴が「お前の友達、殺人犯かもしれないって悩んでるってよ」と言うことは無いだろうと考えたようだ。
「こうしてランニングに出ているときくらいしか、ぼくには自由時間がない」
やけに干渉されているようだ。
「大変そうですね」
「今更だ――」
「それで、質問をしていいですか?」
「クラストについてか?」
「はい」
ようやく本題に入れる。
「何が起きたか、記憶の大半は失われていますね?」
「理屈は分からないが、確かにクラスト消失と同時に、関連したぼくの記憶は消し飛んだ」
おそらく、彼らが秘密基地にしていたクラストの特性だろう。
「ひとつ、いいですか」
「内容による」
「佐竹さんが作成した棚が、クラスト内にあったはずです、何をそこへ入れていましたか?」
「なに……?」
「物品を入れていたはずです。佐竹さん自身は日記を入れていました。右野山さんは、一体何を?」
クラスト内の記憶が消えるとは言っても、そこには濃淡がある。
棚を作ったことや、そこに入れた日記のことを佐竹さんは覚えていた。
右野山さんのメガネの奥の目が、険しくなった。
そのまま口を開き、閉じた。
言おうとした言葉が、ふいに消えてしまったかのようだった。
険しい目が、丸く見開かれた。
「馬鹿な……」
それは、唖然の表情だった。
「右野山さん?」
「……大切なものだった」
三人用の、個別の棚。
親はもちろん、友人でも開かない完全なプライベード。
「ぼくは、あの棚を作ってくれた佐竹に、死ぬほど感謝したんだ。やっと、ようやく、誰にも知られない隠し場所を手に入れた、クソほど嬉しかった――どうして忘れていた、なぜ、ぼくは忘れていたこと自体を忘れてた……?」
吐き気を抑えるかのように、口元を覆った。
両眼がメガネにこぼれるほど見開いていた。
「そうだ、違う、ぼくは、どうして、ここにいる……?」
「あの?」
「この時間、通っていたはずだ――」
「どこにですか」
「クラストに」
言った言葉を信じられないというように。
「そうだ、こうして走ってはいなかった。これは、ごく最近やり始めたことだ。親を騙すためのアリバイ作りでしかなかった。本当はこの時間、あのクラストにいた」
「何をしたんですか?」
「夢だ」
その指は、何かを握るような動作をしていた。
「叶うことのない夢だ。だが、諦められなかった。そのためのルートだった、たった一つの救いだった、あのクラストは」
そこにあったのは、喪失だった。
失われたことに、今初めて気づいた、その表情があった。
「佐竹は、ぼくの夢を笑ったんじゃない。それだけじゃなかった――」
じわり、と浮かんだ表情は、怒りではなかった。
「あいつは、ぼくから夢を奪ったんだ」
心底からの悲しみだった。




