三人の密室1
珍しく僕はクラストに囚われていなかった。
その代わり相談された。
「覚えていないんだよ」
佐竹八館という名前の彼は上級生で、神経質に指を絡ませていた。
僕の方を見ず、まるで独り言のように喋る。
他に誰もいない文芸部の部室で、夕日に照らされながら、筋肉質な体躯を縮めるように語り続けた。
それはまるで、罪の告白だった。
「けどな、たしかに、何かを忘れている、それは確実だ」
「あの、前提となる部分をすっとばさないでくれません?」
自分の世界に閉じこもりがちな奴の特徴だった。
背景情報を、すでに知っているものとして語り出す。何について述べているのか分からないから、どんな筋の通ったことを言われても戸惑うしかない。
「――」
「なんでそんなことも知らないんだ、みたいな表情しないで欲しいんですが。僕はあなたの為に用意された舞台装置じゃないんですよ?」
文坂波等羽という奴が「もしよければ」という前置きでこの件を紹介してきた。
どんな意図でしたのかは分からない。
「僕は相談に乗ってくれないかと頼まれましたが、それ以外のことは聞いていません。それだけ口の固いやつなんですよ、あなたの情報を他に漏らしていない。佐竹さん自身が言ってくれないとわかりません」
「……面倒だな」
「帰りますよ?」
「いや、違うんだ……誤解させたな」
遠くでは部活動の掛け声が聞こえる。
人の気配がするだけで、ここがクラスト内ではないと安心できる。
「俺自身、どう言えばいいか、よく分かっていない――どうやら記憶が、抜け落ちているんだ」
それは、三人の幼馴染の記憶だった。
+ + +
佐竹八館、右野山聖、中本過凪の三人は、いわゆる幼馴染だ。何をするにも三人一緒だった。
「中学までは、変わらなかった、そのはずだ」
高校に入学してから、その関係性は徐々に変化した。
「俺達は、クラストを見つけたんだ」
誰かが作り出した異常な空間、あるいは密室。
去年のこと、高校一年のときに発見した。
通学路途中に、それがあった。
「誰も使っていない裏道に、不自然な形の引き戸があった」
よくよく見なければ分からないほど、精巧に隠されていた。
それは持ち主のいないクラストだった。
「滅多に見つかるものじゃない、俺達は、すげえ喜んだよ」
扉の奥には、真っ白な空間があった。
クラストマスターはどこにも見当たらなかった。
そこは、誰にも邪魔されない秘密基地になった。
放課後はよくそこで過ごした。
「ノコギリや釘を使って、俺が棚を作った、個人用の物入れだ」
南京錠つきの物入れに、隠しておきたいものを入れた。
親はもちろん、他の二人にも見られたくないものであり、同時に、何かの拍子にクラストが消えてなくなっても「仕方がない」と諦められるものが選ばれた。
「俺の場合でいえば、日記だな」
自身の心情を嘘偽りなく綴ったものをバレない場所に隠した。
「けどな、おかしいんだ。妙な話なんだよ」
現在、そのクラストは消失し、どこにもない。
「俺の日記はあのクラストと一緒に失われた、それはいい、そこまでは飲み込む。だけどな、俺が覚えている日記の内容が、少ないんだ。無視できないくらいに」
自身の手を親指で強く擦っていた。
ひどい苛立ちがあった。
佐竹さんは、割とマメな性質だという。
日記をつけるとなれば、毎日書いていたはずだった。
「大半は何でもないことだ。それはわかってる。俺が気になるのは――」
新年、クリスマス、体育大会、期末テスト、様々な行事。
それらについての記憶が、佐竹さんの中から失われていた。
特に、クラスト中で何をしたか、まるで分からなかった。
「おかげで俺は、ここ一年間の、放課後の記憶がない」
佐竹さんは、まるで僕が敵であるかのように睨んだ。
「覚えている部分と、覚えていない部分はきっぱり分かれている。日記に書かれている内容が消えている」
「なるほど」
「俺が知りたいのは、どんな記憶が失われたかだ。きっと、あのクラストのせいなんだろうけどよ。少し、いや、かなり気味が悪い。なにより――」
言いにくそうに続けた。
「俺達三人が、どうして不仲になったのか、それについて知りたい」
昔からの幼馴染。
変わらない三人の関係性。
だが、クラストを使い出してから、徐々に関係が離れた。
「自然消滅することはある。それはわかっている。けどな、違うんだよ、絶対にこれは、違う」
「どうして、そう思うんですか」
「……気まずいんだよ」
たまに他の二人に出会うことがあった。
生活圏が重なっているため、偶然顔をあわせることがある。
「会っちまった、って思うんだよ、何よりも先に」
その感情が自然と浮かんだ。
顔を合わせた右野山聖、中本過凪の両名にも、それは見て取れた。
「どうしてか、理由は分からない。だってのに、マズイ奴に会っちまった、って感覚がクソ重く湧いて出てくる」
「それが忘れていることに関連しているかもしれないと?」
「ああ、心の底では理解してるのに、俺だけが、いや、俺達三人の意識だけが、気づいてないんだ」
表情には、懇願にも似たものがあった。
「俺達は、あのクラストでいったい何をしたんだ?」
それが知りたくてたまらないのだという。
たとえ、どれほど受け入れがたいことだったとしても。
「なるほど――」
僕は腕組みをして考えた。
すぐに情報不足に気づいた。
分かっていることが、あまりに少ない。
目の前の男は、夕日に照らされ、ひどく真剣だった。
「佐竹さん」
「なんだ」
「欠片も、わずかにでも覚えていることは無いのですか?」
「……」
「佐竹さん?」
「ああ……」
先ほど前の熱意が嘘のように、気まずそうに言った。
「少しだけ、ある」
「なんでしょう」
「血だ」
「血?」
佐竹さんは手を組んだ。
いや、違う、拭う動作だった。
先ほどからずっと、何度も何度も繰り返し行っていた。
「血が、弾けた――そのイメージがある」
まるで打ち上げ花火のように、暗闇の中で血飛沫が四方八方へと散る。そんな映像だけが、脳裏にこびりついているのだという。
「それは、俺の手についた。拭っても落とせない、絶対に落ちてくれない、そんな記憶だ……」
はは、と自嘲するように彼は笑った。
「俺はひょっとしたら、誰かをぶっ殺したことを、忘れているかもしれないんだ……」
こちらを見る表情は、救いを求める罪人のようだった。




