萎びたニンジンのクラリス・エヴァンジェリンは王太子を蹴る
ランヴァリオン王宮、執政の間。
玉座の一段下で、ルシアンは王の次席が座る席から諸侯らを見下ろしていた。傍らには、フェリクス・カステロが抜き身の剣のように直立しており、無表情で睥睨している。
ランヴァリオン各地から集まって来た貴族達は、姿を見せない王太子キリアンの行方と、王都で囁かれる噂の真偽について囁き交わしている。
肘掛けに優雅に腕を着いて、白魚の如き美しい指が、白鷺と謳われる尊顔を緩く支えている。長い脚をゆったりと組み替えて口元に笑みを浮かべると、貴族らはようやく静かになった。
「恐れながら、ルシアン殿下にお尋ね致したい。王太子殿下は聖別中との事ですが、どちらにお篭もりでしょうか」
「もう四日になります。即位の式典の準備に滞りが出ていると言う話を聞き及んでおります」
「城下ではキリアン殿下が、自身の放熱で大怪我を負ったと言う噂まで流れておりますぞ」
口々に、キリアンの不在に不信を募らせ糾弾し始める。ルシアンはそんな彼らを無感情に眺めながらも、微笑みだけは忘れずに口を開いた。
「貴殿らが、私の兄について心を砕いてくれていること、感謝します」
歌うようにそう言ったルシアンが、ニコリと笑みを深くした。
「兄が即位前に、ランヴァリオンが誇る諸侯らの前に姿を表さない事…、貴殿らが不安に思う事を、私はよくよく理解しています。しかし、男神との対話期間中は私とて会うことは叶わない。身内といえど…」
ルシアンの言葉に、侯爵家と伯爵家が声をあげる。
「しかし、こんなに長い期間になるとは」
「先王陛下の時は、一日程だったと記憶していますぞ?」
「時間の問題ではないと言うことは承知しておりますが、殿下の安否を教えてはいただけないのか」
ざわめきが大きくなる。
ルシアンは、フェリクスだけが聞こえるくらいの大きさのため息を漏らした。
「カステロ卿はご存知ないか」
公爵家の当主がフェリクスに声をかける。
フェリクスがルシアンを見ると、彼は指だけで教えてやれ、と言っていた。
「キリアン殿下は、潮騒の宮殿地下において、始祖の王が作られた蒸留機、アンバーカノープスと真摯に向き合われている最中でございます」
フェリクスの言葉に、驚愕のざわめきが広がる。
「アンバーカノープスとは、伝説の…?」
「古代の古くカビ臭い装置ですぞ?」
「動くはずがない!」
また口々に不信を叫ぶ中で、一際通る声が聞こえた。
「制御出来なければどうなります?!」
ルシアンが顎を引く、微笑みがスッと引いた。
声高に叫んだ貴族を、周りが振り返る。注目を集めることになった彼は狼狽えたようだったが、言葉を重ねた。
「ルシアン殿下。確かに王太子殿下の力は、過去の文献でも類を見ない大きさと強さを誇っております。しかし。しかし…それは諸刃の剣。暴発すれば、この国が灰燼に帰すでしょう」
そうだ。と周りが賛同している。彼は続けた。
「キリアン殿下を信じたいのです。しかし、膨大な力をその身体に秘めた殿下は、あまりにも危うい。現に能力が本格的に発現し始めた頃から、キリアン殿下は人払いをよくなさるようになったではありませんか…。人を、家臣を傍に寄せない孤高の王を、我らがお支えできるのか」
静まり返る執政の間で、キリアンの存在を不安視する現状が浮かび上がる。
彼の言葉を引き継ぐように、公爵家の当主が前に進み出た。
「万が一の事があった場合は、ルシアン殿下が王となり得ますか」
ざわり、と空気が揺れる。
諸侯達の本音が姿を現した。
ルシアンが目を細めた。
「…。貴殿らの気持ちはよくわかりました」
「では…!」
少しだけ安堵感を滲ませた彼らが顔を見合わせる。
そんな諸侯達を流し目で見ながら、ルシアンは続ける。
「貴殿らも知っての通り、次の王となるものは男神ラムに、血統能力を制御させて作った「王のラム酒」を奉納する事が絶対条件。しかし…」
ルシアンは、頬杖をついた手とは反対の手を少しだけあげてみせる。
「残念ながら、私は血統能力がない。ランヴァリオン家は男神ラムを裏切りません。私は兄を支えるために生まれたと自負しています」
にこりと笑ってみせながら、ルシアンは続ける。
「よって、次の王は兄キリアン。ただ一人です」
断言するルシアンが微笑む。
「……不満のある方は、今のうちにこの場から立ち去ることをお勧めしますよ。兄が戻る時、この執政の間に並んでいるのは『忠臣』だけであってほしいのでね」
王族の持つ圧倒的な圧がルシアンから忍びでる。
キリアンが実質的に、正統性のある王位継承者であるなら、ルシアンは仮に能力の継承はなくとも、王として十分にその役を果たすことが可能であることを、無言で示唆する。
が、彼はそれを望まない。
男神を裏切らないのはランヴァリオン家の誇りだ。
「兄が不在の今、貴殿らがこの国の先行きを不安視するのも理解しています。しかし私がいながら、ランヴァリオンの国政に綻びが出るはずがありません。万事恙無く政務は進められています。私が重責を担っているのも全ては兄ため」
ルシアンの圧が大きく膨らんでいく。
諸侯達は息をするのもやっとの様子で、ただ冷たい汗を流す。
「恐れながらルシアン殿下。…キリアン殿下が能力の制御に失敗した場合、この国の未来はどうなりましょう」
「殿下」
口々に喘ぎ出す貴族達が、縋るようにルシアンを見上げる。
フェリクスがルシアンを横目で見る。ルシアンは冷めた目で彼らを眺めていた。
「失敗など、兄に限って有り得ません」
「根拠をお話ください、我らはランヴァリオンの未来を信じたいだけなのです」
ルシアンが小さく嘆息する。
「男神ラムがそのように取り計らったからです」
「…」
「これ以上の根拠はないでしょう?」
ルシアンの言葉に、貴族達は不安そうに顔を見合せ、囁き交わす。
そんな様子を見ながらルシアンは仕切り直すように、いつもの穏やかな微笑みを見せた。
「ああ、そういえば」
歌うように口を開いたルシアンが、なんてことも無い風に言う。
「近頃、躾のなっていない犬がウロウロしているようでして…」
一部の貴族達の肩が揺れたのが見える。
「衛生的によろしくはないでしょう?捕まえて飼い主を探していますが、なかなか骨が折れる事も多くて」
やれやれと首を緩く振って続ける。
「兄の神聖な即位の儀式も近いのに…困ったものです」
ルシアンが笑みを深くする。ゾッとするような凄みを滲ませながら。
「この私がいる限り、兄の即位の妨げになるような事態を見逃すはずがないでしょう?」
ルシアンの低くなった声音に、百戦錬磨の貴族達が黙り込む。
「貴殿らはランヴァリオンの忠臣。兄も私も信頼を寄せています。我ら兄弟は貴殿らと共にある」
ルシアンはそう告げると、静かに立ち上がった。
「その事、ゆめゆめ…忘れることのないように願います」
あれほど騒がしかった諸侯達が、一斉に膝をついて頭を垂れる。
彼らの頭上からその様子を睥睨しながら、ルシアンは冷たく微笑んでいた。
タウンハウスに向かったキリアンが、夜半に王宮へ戻ってきた時。
執務室に顔を出したキリアンを見て、ルシアンは目を見開いた。近頃ではめっきり見せなくなった笑顔を浮かべていたからだった。
「兄上!?」
駆け寄ったルシアンの肩を掴んで、キリアンは興奮したように話す。
「ルシアン、俺はしばらく出てこれん。アンバーカノープスを動かす」
「兄上、それは」
「表向きのことは全てお前に任せる」
国務代理の委任状をルシアンに出させると、それに署名しながらキリアンは言う。
「しばらく苦労をかけるが、即位の儀式まで辛抱してくれ」
「兄上、体調は?能力を抑えておられるのですか?」
「体調はすこぶる良い。能力の発現する以前の時に戻った、能力は中和されている」
「本当ですか!」
深紅の瞳を嬉しそうに細めたキリアンが、子どもの頃と同じ笑い方で頷く。
「ジュネヴァが本当に居た。お前のおかげだルシアン」
「…」
「お前が見つけてくれたんだろう?」
ルシアンの手を握ったキリアンの目が、強い光を宿していた。
「お前の献身に応える。俺は必ず王になる」
揺るぎなく断言するキリアンの言葉に、ルシアンの心が震えた。
「兄上、…はい。万事お任せ下さい」
力強く頷いたルシアンを見て、キリアンが肩を叩いた。燃えるように熱かったが、それは以前の焼き尽くすような暴力の熱では無い。
その事がルシアンをより嬉しくさせた。
床に置いたフカフカのクッションを両手に抱えたキリアンが部屋を駆け出していく。
キリアンの背中を見送ったが、自分の行ってきた事は何一つ間違ってはいなかった事が、とても誇らしかった。
ルシアンは、たった数日前の光景を思い出す。
「根拠など、今の兄上の姿を見れば誰でもわかる」
フェリクスにだけ聞こえる声で、ルシアンは囁く。
「次のランヴァリオンの王は、キリアン・オーリック・ランヴァリオン。ただ一人」
「その通りでございます」
頭を下げたフェリクスをその場に残し、ルシアンは颯爽と執政の間を出ていった。
白亜の王宮が紛糾している頃。
キリアンとクラリスは、アンバーカノープスを相手に、熱制御の訓練を再開していた。
キリアンひとりではある程度のところまでしか下げられなかった熱は、クラリスが補助に入ることで、かなり下られる事がわかった。
当初は水蒸気爆発を起こしていた熱放射も、現在は沸騰しているくらいの温度まで下がっている。
能力を解放させる度に、キリアンからは金色に輝く黄金の数式が溢れ出る。
それを見ながら、数式を書き、計算する。
クラリス自身も、これまで無意識で行っていた中和と分解を意識的に行わねばならず、二人分の測定をしながらの制御訓練は、やはり過酷を極めた。
二人の訓練は、イメージとしては、熱い湯に冷たい水を混ぜるだけの事だ。
しかし、決まった量の湯に、決まった温度の氷をピンポイントで注入し、指定された温度の指定された量として提出する事を求められる。
そんな針の穴を通すような作業は、二日目に入っていた。最適解を探る太陽の熱制御訓練は、終盤に差し掛かっている。
目を擦りながら、クラリスはキリアンの頭上を伺う。
「キリアン殿下、もう少し弱めて。火を絞るようなイメージです」
「…」
暴れ回っていた熱放射は、いつの間にかキリアンを主と認めたかのように、従順に従うようになっている。
キリアンの手に、少し離れた距離で手をかざすクラリスは、慎重に、そして確実に、キリアンに従うようになった数式を囲い込むように分解の能力を解放していく。
囲いこんだら、クラリスはそっとかざしていた手を離す。そのままの状態で、クラリスは目をこらしながらキリアンの数式を記録し、維持される時間を計測する。
息を詰めて見守っていると、クラリスの中でカチリと歯車が噛み合う音が鳴った。
「…!殿下、今の、この温度です」
「…ああ」
汗を流しながら、キリアンがコアを見つめて頷く。
身体に刻みつけるように、しばらくその温度を感じながら、キリアンは深紅の瞳を閉じる。
最適解を得た心臓歌うように古代語を紡ぎだす。それはここまで来るのに、何度か聞いた「正解の歌」だった。
「コアが歌い始めたので、正解が出ました」
「ぃよしっ!」
クラリスの言葉にキリアンが倒れ込む。クラリスも肩で息をしながら、床に両手をついた。
「…っ、殿下、お疲れ様でした」
「…お前もな…ニンジン」
レシピの為に最低限必要とされていた熱を作り出す課題はクリアした。
疲労困憊でボロボロの状態の二人は、やつれきった顔を見合せて、力なく笑う。
キリアンの美貌はやつれてもなお美しさが際立っており、深紅の瞳が興奮と安堵で輝いている。
困難を乗り越えたせいか、キリアンは数日前よりも逞しくなったように見えた。精神的な作用も少なからず関係しているのだろう。自信が補強されたような、見ていて安心感がある存在に進化したようだった。
この人はきっと、良い王になるのだろう。
ふとクラリスはそう思った。
キリアンと目が合う。深紅の瞳が不思議そうに歪められた。
「なんですか?」
「…お前はそんな顔をしていたんだな」
「…。そんな、とは」
この頃では、クラリスは不敬罪を気にしなくなった。
馬鹿とキリアンに向かって言ってしまったのだ。今更取り繕う必要性を感じない。
しかし最低限の礼儀は弁えている。
平民なので、アンバーカノープスの起動と言う大仕事に免じて、無罪放免を願っているのだ。
キリアンが倒れ込んだまま小さく笑う。
「 Mi Amice, Mi Anima まるで萎びたニンジンだ」
ククク、と肩を震わすキリアン。
囁くように言われた古代語は、クラリスには分からない。しかし、あまりにも楽しそうに笑うキリアンが言うのだから、たぶん面白い言い回しの何かなのだろう。
「ありがとうございますっ」
そう言いながら、クラリスはキリアンの脚を割と強めに蹴っておいた。
萎びたのは誰のせいだ、と心の中で突っ込みながら。
バルトロメウスから預かった樽の鏡板は、接ぎ木のように同じオーク材を合わせ、一つの完全な樽として戻ってきた。薄汚れていた部分もあったが、綺麗に洗浄され、オークの削り粉で欠けた部分の補習も目立たないように施されている。
かなりの大きさだ。職人が二人がかりで抱えて運び込んできたが、二人とも顔を真っ赤にしていた。
口が開いたままの樽を覗き込みながら、キリアンはクラリスを振り返った。
「だいぶ磨かれてしまったが問題は無いのか」
見た目では真新しく変身した鏡板だ。キリアンが不安に思うのも無理はない。だが、クラリスは笑った。
「板の状態ではなく、板の記憶が大事なんです」
ピカピカの、ツヤツヤになってはいたが、鏡板は洞窟で見た時と同じように、歌うように数式を吐き出し、そして螺旋を描きながら霧散させていく。
クラリスの目には、あの時に見た樽の生かし方が変わらずに見えていた。
キリアンのラム酒造りは、最終段階に来ている。
解体されていた胴体も、新しい部品を取り付けられた後に閉じられ、心臓も元の位置に収まった。
職人達と写取りをしてくれていた男が、キリアンの熱制御訓練の合間にアンバーカノープスを綺麗に拭きあげてくれていた。お陰でアンバーカノープスはずっと上機嫌で古代語を囁いては、楽しげに何かを歌って再始動を心待ちにしている様子だった。
いよいよレシピの素材に火入れをする。
潮騒の宮殿の地下に潜ってから六日。
今日を乗り越えられたら、クラリスの役目は終了だった。
クラリスは、樽の底にはめられた鏡板の上に(フェリクスがかき集めてきた)数種のボタニカルを並べる。
バニラやシナモンなどの香りの強い香料、薬草に使われる数種類の植物、そして、古代種のジュニパーベリー。女神ジュニパーの化身と伝えられる植物だった。
「殿下にはこれからこの植物を中で焼いて、香りと成分を樽の成分に同化させる作業をしてもらいます」
「チャーリングか」
クラリスが頷く。
「焼く、燃やす、というよりも、黄金の熱を放射させて、ボタニカルの成分を塗り込んでいくようなイメージで行ってください」
キリアンが両手を擦りながら頷いた。
クラリスが話したイメージだけで、キリアンは生成させる熱量に合点がいったらしい。キリアンを取り巻くように滲み出てきた黄金の数式達が、カチカチと数字を変えながら最適解へ近づけていく。その様子を見ながら、クラリスはキリアンの手を取って、樽の中にかざすようにさせた。
「もう少し…もう少し細くするように」
クラリスの指示に、数式達が変化を始める。最適解へのカウントダウンが始まると同時に、数式の色がより眩く輝き始めた。
「今です」
キリアンが手のひらから黄金のシャワーを噴出させた。樽の中を磨くように螺旋を描いたそれは、底面の鏡板に並べられた薬草達の成分を巻き上げて、壁面に丁寧に塗り込められていく。
調合された香りは、燻されたオーク材と交わり始め、やがて熟成された樽へと変貌を遂げる。
樽が満足そうに震えたのを見て、クラリスはキリアンの手を止めた。
樽の中を覗き込んだクラリスが目を輝かせる。
始祖の王の数式と記憶が、樽の中全体に染み渡っている映像が見えた。
「…成功です!!」
笑ったクラリスを見て、キリアンが大きく息を吐いた。
神に献上される器となったオークの樽は、始祖の王の記憶を宿しながら、新しい薬効を手に入れた。
クラリスが大急ぎで職人たちを呼びに行き、アンバーカノープスに取り付ける指示をしている。
「殿下!!次はサトウキビをやりますよ!」
クラリスがそう叫びながら、レシピ材料を取りに走っていく。
アンブリエルを振り返ったキリアンは、彼に向かって囁いた。
「しばし待て。我が友、我が半身」
心なしか、アンブリエルが巨体を震わせたように見えた。




