観測者クラリス・エヴァンジェリンは始祖の物語を見た
キリアンが仮眠から目覚めると、クラリスはアンバーカノープスに抱きつきながら、書記係に向かって何かを話しているところだった。クラリスのそばには、フェリクスに運ばせた大きな菓子袋が置かれていたが、隣には菓子の包み紙が山になっており、解析の過酷さを暗に語っている。
足音を立てずに近寄ると、書記係はクラリスの話す古代語を現代の音で書き記しているところだった。
「殿下…」
キリアンに気づいた書記係が慌てて礼をとるが、それを制して続けるように示す。クラリスはキリアンの存在が目に入ってないのか、深淵を覗き込む目つきのまま、低い声でモソモソと口を動かしていた。瞳孔が高速で左右に揺れている。ものすごい速さで何かを流しみているのだろう。
クラリスの顔つきは凄惨だった。元から悪い顔色が青白くなり、ダブダブの男物の作業着は、着ていると言うよりも着られている、と言う表現のが正しく、重くのしかかっているように見えた。
キリアンが呼ぶニンジン色の髪も、艶が消え失せ、どこかどす黒く変色しているようにも感じる。
極力物音を立てないようにしながら、キリアンはフェリクスの持ち込んだ荷物から、軽食がギッシリ詰まったバスケットと大きな水筒を引っ張り出した。
振り返ると、書記係の手が止まっていて、クラリスを不安そうに見つめている。なんだと思えば、クラリスは半目のまま意識を飛ばしているようだった。様子を伺ったが、解析をしていると言うよりは、寝落ちかけているらしい。
それを見てキリアンは少し笑った。
「おい!飯だ!ニンジン起きろ!!」
キリアンの荒々しい声に、クラリスがビクリと肩を揺らした。一気に覚醒したらしいクラリスが、寝ぼけたようにあちこちに目をやって、現状を把握しようとしている。口元を袖口で拭うようにするのは、クラリスの寝起きの癖なのかもしれない。
書記係がふらつくクラリスに手を貸してやりながら、座り心地の良いクッション(キリアンが持参した)まで導いてやっていた。
書記係は、交代で仮眠をとっていた仲間の隣で休憩すると言い下がっていく。
キリアンはクラリスの隣にドカりと腰を下ろし、バスケットを開けて座り込むクラリスの膝にサンドイッチを置いた。
包みをなかなか開けようとしないクラリスを横目に、キリアンはカップにお茶を注いで口をつける。
「食わないのか?」
キリアンの声に、クラリスがノロノロと顔をあげる。
「たべます」
声がカスカスに枯れている。クラリスにも茶を注いでやり、飲むように指示をするが。クラリスはカップを受け取っただけでぼんやりとするだけだった。
クラリスがアンバーカノープスの側で解析を初めてから半日経つ。ギリギリに残っていたクラリスの知性の部分が翻訳係のキリアンに仮眠を取るように言い、頭痛を起こし始めていたキリアンはありがたく二、三時間の休憩を取らせてもらった。
「…あれからアンバーカノープスは、何を話している?」
食べながら問いかけるキリアンに、クラリスが「はあ…」と気の抜けた返事をしてから、思い出すように上を見る。
「ずっと、しその王の時代からのえいぞうをみています…しその王とアンバーはとくべつな絆をもっていたようです」
掠れた声が紙のように心許ない。極度の疲労で話し方が幼くなっていることに気づいてはいたが、キリアンは笑わなかった。
クラリスは長い長いアンバーカノープスの昔話を、愚直に受け止めているらしい。クラリスにしかできない芸当。
「そうか」
身を削るような作業だ。
腹を満たし、喉を潤したキリアンは、ぼうっと座り込むクラリスを見る。
キリアンは礼を言う代わりに、手ずからクラリスに茶を飲ませ、サンドイッチを食べさせる。
今自分にできる最大限の敬意を込めて、キリアンはクラリスの口にサンドイッチをねじ込んだ。
仮眠をとっている間に書き留められた古代語の書き付けは、ゆうに百枚を超えていた。
キリアンは眉間を揉んだ。
「クラリス!俺はこれを二時間で翻訳してやるから、その間にお前も寝ておけ」
キリアンにねじ込まれたサンドイッチを未だにもぐもぐと咀嚼しているクラリスが、意味がわからないというように首をかしげている。
「ねる…?」
「…」
交代した書記係が心配そうにクラリスを見つめている。
「あそこの赤いクッションまで行って、横になれ。そして目を閉じろ」
先程まで自分が使っていたクッションと毛布を指さす。具体的な指示にクラリスはもぐもぐしながら頷く。
「口の中のものは飲み込んでからだ」
うん。と呟いたクラリスがヨタヨタとクッションまで行きコロンと横たわる。それを見届けてから、キリアンは翻訳を書き取らせる作業に入った。
翻訳の全容が明らかになるにつれて、キリアンにもクラリスが触れたアンバーカノープスの昔話が見えてくる。
始祖の王の力は、キリアンの有する太陽の熱よりも強大なものだったようだ。
暴走する力が街を滅ぼしかけ、火山を誘発し、国自体を灰にさせかける程の熱量。
人々から災害と呼ばれ、父母からその力の強さを畏怖された王は、ずっと孤独だったという。
悩む彼に男神ラムは、特別な琥珀を授ける。
硬く結晶化した琥珀の中に息づく、炎と氷の欠片。
相反する力を中和させる特殊なボタニカル。
【男神ラムは言った。】
【これを心臓とし、暴走する熱を変換する装置を作ること。必ず我の指定した素材を使うこと。必ず自身で行うこと。そして必ず完成させること。】
【人間の身体に合う熱を調合せよ。我の熱で滅びる事、罷りならん】
【男神ラムは最後に言う。】
【この琥珀に絶えず熱を与え続けよ。】
【そしてジュニパーの血脈を招き入れよ。】
【ランヴァリオンよ、永遠なれ。】
「…」
キリアンはアンバーカノープスを振り返る。
シンと静かに立つそれは、キリアンには物言わぬ装置にしか見えない。
だが、コレと初めて対面したクラリスが「実験をしていた?」と呟いていたことをキリアンは覚えていた。
「殿下、書き間違いがありましたか?」
不安そうな書記係が、恐る恐る声をかけてくる。
キリアンは前髪をかきあげて、首を振る。
「初めて聞く神話に驚いただけだ」
王族の義務としてでもあるが、キリアンはランヴァリオン家に伝わる伝承や男神ラムに纏わる神話の研究もしている。政務の傍ら、書庫にある膨大な書物や書き付けの資料に触れながら、過去の王達の偉業と、繰り返される災害の予兆、政変の兆しを読み解くなどをして来た。
だが、始祖王の原典というものは資料が少ない。
能力の強さと系譜について、即位後の軌跡が記された程度のものしか残されていないのだった。
歴史の彼方に放られてきた彼の葛藤と、男神ラムとの生々しい対話の場面、アンバーカノープスが語るランヴァリオンの原点が、歴史学者の顔を持つキリアンの魂を震わせる。
キリアンは書き付けを捲った。
試行錯誤の末に、アンバーカノープスは十年の歳月をかけて作られた。
男神ラムから与えられた琥珀は剥き出しのままでも十分に始祖王の熱を受け止める役割を果たしたが、やはり熱変換装置の完成は急がねばならなかった。
完成したアンバーカノープスは、ようやく会えた始祖王を大変に気に入っていた。そして始祖王もアンバーカノープスを心の拠り所としていたようだった。
「ミ・アミケ、ミ・アニマ」
キリアンはその一文を黙って見つめた。
以降もよく出てくる一文が、始祖王の心を鮮やかに蘇らせている。繰り返し繰り返し、アンバーカノープスに向かってそう話しかける始祖王の姿が見えるようだった。
キリアンは顔を上げて、部屋の隅で眠り込んでいるクラリスを見る。
「気持ちは分からんでもない、始祖王よ」
少しだけ笑いながらそう言うと、書記がそれを律儀に書き付けたのを見た。
「それは書かんでいい、俺の独り言だ」
アンバーカノープスと言う名を与えられはしたが、始祖王はそうは呼ばなかった。
{我が名はアンブリエル。琥珀の御使いと彼は呼んだ}
そんなアンブリエルも、始祖王を特別な呼び方をしていた節がある。
古代語の優美な響きを思わず口にする。
「{我が鼓動、我が血、我が命、主}」
記録上でも未だあやふやな始祖王の名前は語られず、アンバーカノープス(アンブリエル)は愛おしげにそう呼んでいた。
アンブリエルは始祖王の熱を見事に変換した。
やがてただの熱変換に止めず、彼は当時有り余るほどに自生していたサトウキビを活用する道を探り始める。
糖の生成。そして精製。
それで交易を始め、船を買い、軍事を育て、やがて小さな国は大きく成長していく過程を辿る。
{ある時、男神ラムは主に酒を求めた}
{その熱で我の為の酒を作れ、と}
{レシピ通りに、そして必ず手順を守り、指定の素材を指定の状態で用意し、作ることを約束させた}
始祖王の熱の制御は、アンブリエルの完成により完全に行われていた。だが、神の指示通りに行うそれらは、より繊細さを求められる工程がいくつもあった。
黙って読み進め始めたキリアンの隣で、書記係は静かに待っている。
熱暴走を抑えるための革手袋は、昨日から外している。クラリスが中和させてくれたので必要なかった。
男神ラムの指示は細かい。
原料となるサトウキビの状態管理、熱を加え溶かす温度、蒸留に必要な冷水の温度、熟成に使われる樽の状態、そして、最後に添加されるボタニカルの味と乾燥具合など。
書記に、別紙に詳しく書きつけるように命じて、キリアンは背伸びをした。
近くに転がっている見慣れない懐中時計をみると、時間は一時間半ほど経っていた。拾い上げて意匠を見てみる。銀色の蓋にはネズの実と蔦が絡む美しい紋章が彫られていた。ネズの実はジュニパーの化身。
クラリスの物だとすぐに分かった。
【ジュニパーの血脈を迎え入れよ】
男神ラムが始祖王に約束させた一部を思い返す。
アンブリエルの心臓を見上げる。
琥珀の中に瞬く火の結晶と氷の結晶。
男神と女神は兄妹とされているが、ごく一部の伝承では、恋人同士であったとか夫婦であったと言う記録が残っている。
取るに足らない男女の些末な違いと思っていたが、そもそも兄妹間で花を贈ったり、それを大切に保存しようとするものなのか。今になって疑問が沸く。
ジュニパーの血脈をランヴァリオンに迎えるということは、交わらせると言う事だ。そうして熱の調和を更に確かなものにさせようとしているのなら、納得がいく。
クラリスが、帝国においてギリギリの所でベルンシュタインに見逃されていた幸運に、キリアンは改めて感謝した。
このタイミングでクラリスを手中にできたことは、ジュニパーの血統を保護できたも同然だろう。
足音に気がついて振り返ると、フェリクスが数名の男達と大きな袋を持ってやってくるところだった。
懐中時計をポケットに入れて手を上げると、フェリクスがやつれた顔を少しだけ綻ばせた。
「殿下、お休みになられましたか」
整った顔立ちに深い陰影が刻まれているのを見て、フェリクスが気遣う。キリアンは肩を竦めて、横たわるクラリスに顎を振ってみせた。
「俺よりニンジンだ。膨大な時間の底に溜まっていた昔話を夜通し見ていたらしい」
これが翻訳だ。と、書記が書き起こした紙の束を見せると、フェリクスは息を飲んだ。
「使い走りしかできぬ自分が恥ずかしいです」
「恥じるな、重要な役目だ。俺もニンジンも差し入れには助かっている」
ほら。とキリアンが背後を指さす。アンブリエルの傍に散らかる菓子の包み紙の山を見つけたフェリクスは気が抜けたように笑った。
時間通りにキリアンはクラリスを叩き起した。
勢いよく起き上がったクラリスは、口元を袖で拭いながら、オロオロと周囲を見回して、それから仁王立ちの彫像のようなキリアンを見上げて青ざめた。
どこからか差し込む光を受けて、キリアンの際立った美しさが燃え上がるように輝いている。
一瞬、昇天したのかと思った程、キリアンは完璧に美しく、軍神のように厳かだった。
「わ、私…」
「二時間経った」
「にじかん?」
口の中に残るサンドイッチの残骸のせいで、舌が周り切らなかったらしいクラリスが、しばらくもぐもぐと口を動かしてから、苦そうな顔をする。
「うぇ…タマネギ…」
「好き嫌いせず飲み込め」
命令で辛そうに飲み込んだクラリスに、目覚めを待っていたフェリクスが茶を差し出す。凄い勢いで飲み干したクラリスを見据えながら、キリアンは顔色を観察した。
幾分…マシになっている。少しホッとした。
「続きに取りかかるだろう?」
「はい。ここからは内部の構造に手をつけます」
フラフラと立ち上がって、アンブリエルの前に仕分けられた紙の山に向かう。
「アンバーカノープスが見せてくれた内蔵部分ですが、やはり経年変化と、始祖王のエネルギーの強さに摩耗しきった部品があることがわかりました」
クラリスが書きなぐった紙には、夥しい数式と、部品の配置を解説した文が並ぶ。そして、その横には見慣れない模様のような何かが書かれている。それは数ページに渡って、同じようで違う形状の模様が描き添えられていた。
「これは?」
キリアンが示した模様らしいものを見て、クラリスが少し顔を赤くする。
「部品の絵です…」
「…」
「絵心がないのは自覚してます」
ニヤニヤするだけのキリアンを見ず、クラリスがむくれた。
「独創的で、非常に味わいがあると思うぞ」
「だからっ、絵の上手な人の手配をお願いしたんですよ…っ」
言い訳をするように言葉を重ねたクラリスに、キリアンは肩を震わせた。フェリクスが苦笑する。
「もう連れてきたので、構造の写取りは彼に任せよう」
後ろを振り返ったフェリクスが、1人を手招く。
「ルシアン殿下の指示で、最初に解体した時に写取りを任されていた者だ」
ルシアン殿下?と首を傾げたが、既に中を見ている人物、と言う点にクラリスは満足する。
「では、次に解体チームを」
「後ろの彼らです」
クラリスとキリアンが見ると、職人らしい装いの集団が頭を下げていた。
「フェリクスさん……先読みがすごい…」
目を輝かせたクラリスが拝みあげるようにフェリクスを見る。落ち着かなさそうに横目でキリアンを見たフェリクスは、咳払いをした。キリアンが眉を寄せて不快を表していたからだった。
「男神が伝えたレシピの材料も、あの袋に入ってる。だが…」
言い淀むフェリクスにキリアンが「なんだ」と促す。
「一つだけ、どうしても見つからないものがあるのです」
「言ってみろ」
それは、樽だった。
最初にできた酒を詰めて、男神に奉納したラム酒の樽。
ランヴァリオンのラム酒の起源となった、酒の樽だ。
「王の樽…」
キリアンが長い指を顎に当てて思案顔になる。クラリスの顔が曇った。
「アンバーカノープスの記憶に、樽作りの工程はありませんでした。予め作られていた物を持ち込ませたのかもしれません」
何とかならないかと、クラリスが心臓を見上げる。キリアンがポケットからクラリスの懐中時計を取り出して時刻を確認する。日の出の頃になっていた。
「それ?!」
クラリスが慌てて胸元を叩く。
「落としていたから拾ってやったのだ。粗忽者め」
首にかけてやりながら返すと、クラリスがホッとしたようにそれを両手で抱きしめる。
「ありがとうございます、殿下」
少しだけ気が抜けたように微笑んだクラリスに、キリアンはふん、と鼻を鳴らした。
「クラリス、樽を調達しに行くぞ」
クラリスとフェリクスが顔を見合わせる。
「宛があるのですか」
「ひとりだけ、知ってそうな男がいる」
キリアンの言葉に、クラリスは喜び、フェリクスは懐疑的な眼差しを向けてきた。
「どなたです?」
「洞窟の老人だ」
同行が決定されたクラリスが、写取りの担当者の横で書きなぐりの書き付けを見せながら、部品の照らし合わせと素材、寸法の確認まですることを頼んでいる。それを元に、鈑金などを請け負う職人に再現をしてもらうつもりのようだった。
解体作業に入り始めた職人たちには、現代の素材でも使用が可能な部位の代替リストを渡している。
キリアンはその様子を見ながら、フェリクスに言う。
「偏屈な老人だから、素直に会ってくれるとも思えん。だが何がなんでも用意しなければならん」
「ベルンシュタインが間者を放ってますが」
キリアンが鼻で笑う。
「ルシアンがどうせ対処してるだろ。間者を殺すくらいのことはやらせる弟だ。逆にベルンシュタイン自身を殺さないよう、それに心を砕いているはず」
見てきたように言うキリアンに、フェリクスは頷く。実際そうだった。
潮騒の宮殿付近にいた不審な男達を始末しておいた連絡を受けている。
ルシアンがキリアンに直接言わないのは、本題に取り組むキリアンの邪魔にならないようにする為だ。
情報の取捨選択を兄に行わせないのは、キリアンの時間を無駄に消費させない為。
ルシアンのその献身を、キリアンは正確に把握しているし、弟のやりそうな事もちゃんと理解している。
なんて兄弟なんだ、とフェリクスはいつも思う。
「時間も惜しい。お前も来い」
キリアンはそういうと、職人に指示を出していたクラリスの首根っこを捕まえて、引きずるように部屋を出ていった。




