修復師クラリス・エヴァンジェリンは南に行く
クラリスの住まいは、灰の谷の外れにある粗末な小屋だった。
粗末ではあっても、生活に必要なものは揃ってある。小さなキッチン、風呂、トイレ、ベッドも簡素ながら備え付けられていた。
壁も床も傷んでいるところはあるが、小屋自体はクラリスひとりが住む間は、不自由のないようにすると話してくれていた。なので、そのままにしてある。
灰の谷の仕事が一段落着けば、またどこかの現場に移動するだろう。
機械が多い現場となると工場地帯かもしれない。仕事があって食い扶持が稼げるのなら、どこでもよかった。
汗と泥を流して部屋着に着替える。
小さなキッチンで、買い込んだ肉と野菜を炒めていると、小屋が何かに反応していた。
「…なに?」
{だれかきた}と小屋が震える。火を止めると、小屋の簡素なドアがノックされた。
{おとこのひと}囁くように告げるドアの声に、クラリスが少し警戒した。夜半に来客などこれまでなかったから。
再度ノックされたドアの向こうから、男の低い声がかけられる。
「夜分に失礼。こちらはクラリス・エヴァンジェリン嬢のお宅でよろしいか」
「…。そうですけど」
やや居丈高な話し方は、この辺りの人間のものではない。貴族社会にいた頃によく聞いた、上流階級にいる男性特有のものだ。
クラリスの肩が緊張で強ばる。そんな事を知る由もない相手は、ドアの向こうで続けた。
「こんな時間に訪ねる無礼を許して欲しい。私はフェリクス・カステロと言う。クラリス嬢に依頼したい仕事があって来た」
「…仕事、ですか?」
「そうだ」
「…」
首から下げた懐中時計は、20:30を回っている。
「明日ではダメですか」
「出来れば今、話を聞いて欲しい」
作りかけの夕飯に目をやる。肉も野菜も生焼けだし、早く火を通したい。仕事の後はお腹が異様に減るから早く食べたいのだ。それに粗末な部屋着のままで、まとまりの悪いニンジン色の髪の毛は、ボサボサのままだった。
逡巡するクラリスを相手…フェリクスは警戒していると受け取ったようだった。
「君が、北方の女神ジュニパーを信仰していることを知っている」
「!?」
肌が総毛立つ。
女神を信仰している事は帝国にいて、一番知られてはいけない事だ。
帝国の主神は男神ディオスノエタ。妻である女神アガベピニャの信仰は許されるが、北方の女神の信仰は禁じられている。
慌ててドアに駆け寄って開けると、まず潮の香りがした。それから目の前が濃紺で埋め尽くされた。顔をあげると、浅黒く日に焼けた肌に、綺麗に整えられた黒髪の紳士が姿勢よく立っている。グレーの瞳が冴え冴えとクラリスを見下ろしていて、しばらく思案顔をした後、彼は顔を背けた。
「あの…」
「女性の一人住まいに押しかけた無礼を猛省する」
「…あの?」
「目のやり場に困るので、何か羽織ってくれるか」
「!!」
フェリクスの言葉にクラリスは急いでドアを閉めて部屋に駆け戻る。粗末な部屋着は、貧相な身体を浮き上がらせていた。
冬物のカーディガンを羽織り、洗ったばかりの作業着のズボンを着て、またドアを開ける。
こちらに背を向けて立っていたフェリクスに声をかけると、彼はようやくこちらを向いて頭を下げた。
「急を要するとはいえ、失礼した」
フェリクスは小屋の小さな椅子に腰掛け、クラリスの出したお茶を口にした。その間に、炒め物を完成させ皿に盛り付たり洗い物を片付けるなどをこなす。
立ったまま食べ始めたクラリスを見て、フェリクスは驚いたように目を見開く。
「クラリス嬢は子爵家の出と聞いていたが」
「元貴族令嬢です。没落したので今は礼儀作法を捨てた庶民なんです」
お腹空いてるのでごめんなさい、と謝るクラリスにフェリクスは首を振る。
「食べながらでいいなら聴きます。この後たぶん、私は気を失うように寝る予定なので」
クラリスの言葉に、フェリクスは持参した大きな鞄から数枚の紙を取り出して、小さなテーブルに広げてのせた。
「これがなんだか分かるか」
皿を抱えながらにじり寄ると、そこには見たこともない機械の図面が描かれていた。描かれてはいるが、なんだか収まりの悪い気配がする。
フォークを咥えたまま、図面を触らない程度の距離のところで指をかざす。
図面をめくる許可を取ってから、下の紙も見る。内部構造のようだ。その下の図面も、別の部位の内部構造。
とても正確に書き写してあるのだろう。寸法や素材なども細かく書き込まれていた。
「どう思う」
「どうって…」
「思った事を話してもらいたい」
「…」
フェリクスの言葉に、クラリスは迷いながら口を開く。
「なんの機械かは分かりませんけど、チグハグで窮屈そうに見えます」
「どの辺が?」
「…。全体的に」
クラリスの言葉にフェリクスが、ふむ。と息をつく。
「これを動かすとなるとどうなる」
「動きません」
「なぜわかる」
クラリスは緊張した。フェリクスが試すようにこちらを伺っていたからだ。
「勘、としか言えませんけど」
本当は聴こえた。お互いにお互いを押し合う、窮屈そうな呻き声が図面からする。
誤魔化すように夕食を咀嚼して飲み込む。皿の中の野菜をフォークで刺しながら、クラリスは努めてなんともない風に続ける。
「この辺りとか、部品が噛み合ってなさそうです」
クラリスの言葉にフェリクスは黙って図面を見下ろした。
「では、クラリス嬢はコレを直せるか。修復師として」
「依頼なら頑張って見ますけど、絶対直るとは約束できません。ちなみにこれはなんの機械ですか??」
「蒸留機だ」
「ああ…。…蒸留機…?」
「見たことは?」
「昔、父とテキラナ国へ赴いた時に一度だけ」
クラリスの言葉にフェリクスは頷いた。
「あの国は国家事業として、祭祀王直轄の純テキーラの生産体制を整えている。圧巻だったろう」
「はい。…でもその時に見たのとあまりにも違います」
「だろうな。これは古代の蒸留装置だ」
フェリクスのなんてことも無さそうな発言に、クラリスはフォークを落としかけた。
「古代装置!?そんなものが稼働してるんですか」
「稼働はしてない。だが現物はある」
なるほど。クラリスは理解した。
「依頼って」
「そういう事だ」
テーブルの図面を片付けながら、フェリクスは話すより見せた方が早いと判断したようだった。それは大正解だったが。
「そんな凄い機械の依頼をなんで私に?」
クラリスの戸惑った言葉に、フェリクスが一瞥する。
「我々が…というより我が主が君の能力に注目したため、君を徹底的に調べあげた。結果、この古代蒸留機の修復を任せるに値する人間ということがわかった」
冷たく告げるフェリクスに、また緊張が身体を支配していく。そんなクラリスの様子をみて、フェリクスは続けた。
「禁じられた女神信仰のこともその時に知ったまで。別に言いふらしたりはしない」
「…。そうして貰えると助かりますけど」
「この蒸留機に興味を持ったのなら、私と共に来て欲しい。報酬は満足の行く額を約束しよう」
大きなビジネスチャンスだ。
だけど見たこともない古代装置を直せる自信がない。
返答に迷うクラリスをみて、フェリクスは続ける。
「君は、機械の言葉が聴こえるだろう」
「…っ、どうして」
顔色が悪くなっていくのがわかる。フェリクスはなんでもない事のように訊ねる。
「先にも言った通り、徹底的に調べあげたからな」
「…。そのことは限られた人にしか話してません」
青ざめるクラリスを見て、フェリクスは肩をすくめる。
「そんな事は重要では無い」
大問題なんですけど!!とクラリスは思ったが口にはしなかった。
「どうして聴こえるのか気にならないのか?」
「…。元々の能力が鍛えられたからと、父には言われました」
「常人が同じことをして君のようになるとでも?」
黙り込むクラリスを見て、フェリクスは無表情に続ける。
「我が主は理由をご存知のようだ。私には伝えられてはいないが、君が興味があるなら教えてくれるだろう」
共に来てくれるならば。
フェリクスがこちらを見ている。
薄いグレーの瞳は変わらず冴え冴えと静かだったが、クラリスの異能は彼の必死の懇願の声を拾った。
{頼む、主を助けてほしい}と。
無意識にやってしまった。
滅多にやらないが、人への異能は自滅行為である。聞きたくもない本音がダダ漏れになるからだ。
しかし、フェリクスは違った。人を寄せつけない冷淡さを纏っているが、真実は裏表のない実直な人間であるらしい。そして、かなり切羽詰まった状況のようだった。
「…わかりました。連れてってください」
クラリスが答えると、フェリクスが少しだけホッとした顔になる。
明朝に迎えに来ると言い残して、フェリクスは帰って行った。
帝国の南方に位置するランヴァリオン王国。
強い陽射しと紺碧の海を与えられた大陸における最大の楽園と言われている。
遥か昔から、音楽家や絵描き、詩人に愛されてきた太陽の国。 街中に音楽が流れ、通りに出れば人々は笑い、歌い、そして踊る。色とりどりの花々が咲き乱れ、強烈な陽射しをものともしない濃い緑の葉を茂らす木々が、国中を飾り立てていた。
帝国の友好国のであるこの国は、正面の海に浮かぶ数百の島を統括する海洋軍事国家として成り上がった。
ランヴァリオンの主神は、男神ラム。
酒と祭りを愛する陽気な神として愛されている。
主神の性格を反映するのか、はたまた国民性か。
ランヴァリオンは祭りが多い。そして祭りの日に振る舞われるスピリッツ…ラム酒に対しての愛がとにかく熱かった。
ランヴァリオンにとって、ラム酒はなくてはならない存在である。
陽気に酔い、騒ぎ、祭りを盛り上げる火付け役をラム酒が担う。
またランヴァリオン王国が抱える海軍組織でも、ラム酒が士気をあげる役割を担う。
どこにいても国民は常にラム酒と共に生き、ラム酒の為に人生を捧げると言われる。
ラム酒はランヴァリオン国民に深く愛されるスピリッツであった。
街の喧騒が遠くなり、車は城下町のエリアに入ったようだった。
帝国でもあまり見かけない蒸気で走る車は、よいしょよいしょと言いながら、クラリスとフェリクスを乗せて走っている。
灰の谷を出てから、クラリス達は船で二週間程かけてランヴァリオン入りを果たした。
ひどい船酔いのせいでほぼ寝たきりではあったが、空気が段々と暖かく湿ってくる感覚は何故か心地が良かった。
船を降りてから、フェリクスはクラリスをあちこち連れ回した。
真っ先連れていかれたのは医者のところで、最初は強めの日焼け止めを大量に処方してもらった。港から少し歩いただけで皮膚を真っ赤にさせたクラリスに、フェリクスが急いで手配し、次に保湿剤や日焼け後のケアに必要なクリームなども追加していく。
「日焼けをしやすいなら早く言え」
「こんなに陽射しが強いなんて知らなかったんです」
そもそもクラリスの住んでいた地域は、焼き付けるような陽射しをしていなかった。日に焼ける経験は初めてだった。
その他には酔い止めの薬やクラリスに合いそうな風邪薬などを処方してもらう。健康診断もついでに受けさせられた。クラリスのあまりにも貧相な身体つきが不安だったようだが、残念ながらクラリスはすこぶる健康だった。ただただ貧相なだけであった。栄養剤をリストに追加しようとしていたフェリクスは、その項目を消した。
次に婦人服の店でドレスを数着購入し、それに見合う靴やアクセサリーを買い与えられた。クラリスの荷物に衣類らしいものが無いのを見ての事だ。ついでに帽子も同じくらい追加し、日傘も買う。
抵抗するクラリスに、雇い主がランヴァリオンの王太子であることを告げたのはこの時が初めてだった。
「王子様なんて聞いてませんけど!」
「今言った」
クラリスが愕然としてる間に会計を終わらせたフェリクスは、美容院に向かう。もちろんクラリスを放り込むためだ。
ボサボサで絡みまくったニンジン色の巻き毛を綺麗に整えてもらい、ツヤツヤの香油を付けられ、美しくにまとめてもらう。最後に化粧まで施された。日に焦がされた赤い肌も綺麗に隠される。
一通りのことが終われば、鏡には育ちの良さそうなオレンジ髪の貴族令嬢がいた。
一国の王子と面会するための最低限の装い。
そういえば貴族令嬢だった頃も、宮城に赴く時はきちんと着飾っていた事を今更ながらに思い出した。
「…よし」
どこかホッとした様子のフェリクスに連れられ、迎えの車に乗せられて、イマココ。
通りの向こうにそびえる豪奢な石造りの建物が、王城だと言う。そこに向かうのかと思いきや、車が入ったのは、通りから少し外れたところに建つ屋敷だった。
王城程ではないが、こちらも立派な造りをしており、壁や柱に掘られた様々なレリーフ達がクラリスを興味深そうに見下ろしている。代々受け継がれてきた屋敷なのだろう。巨大な蘇鉄の木がザワザワと葉を揺らしていた。
{いらっしゃい、お客様}
車から降り立つと、南国特有のむせ返るような熱気が身体を包んだ。身体が持ち上がるような強い熱風が全身をなめて流れていく。
そして、それとは別の種類の……重苦しい圧力が屋敷から放たれているのを感じ取った。
(なんだろ…怖い…)
緊張とはまた違う、得体の知れない恐怖感が湧き上がってくる。その時だった。
大きく重厚な玄関ドアが観音開きに開け放たれ、中から老執事が歩み出てきた。美しい角度のお辞儀に、貴族令嬢だった頃の感覚が蘇る。上級使用人の教育の高さがその家の格を作る。彼らに世話を受けていた同世代の令嬢たちの顔がなぜか浮かんだ。
動けずに立ち尽くしていると、フェリクスが隣に立つ。クラリスの為に購入した荷物があることを告げると、さっさと屋敷に中に入っていった。
未だに動けずに硬直しているクラリスに、老執事がほほ笑みかける。
「お嬢様、如何なさいましたか」
穏やかな口調にいくらか気は緩むものの、身体は固まったままだった。
「ごめんなさい、なんだか…」
「クラリス嬢、来てくれ」
ついてこないクラリスを訝しんだフェリクスが、扉の向こうから戻ってくる。が、クラリスの顔色が悪いのを見て眉を寄せた。
「車酔いをしたか」
「違います。ただ、なんだか中に入りたくない…」
震え出す手を誤魔化すように、クラリスはワンピースの腰辺りを握る。その様子を見て、フェリクスはクラリスの前に戻ってきた。
「君……」
フェリクスがそう言いかけた時だった。
「やーっと帰ってきた」
姿を表したのは、一人の青年。
白い襟付きのシャツに、紺色の細身の長ズボンを履いている。袖を捲りあげた腕は筋肉質で、でもこんなに暑いのに両手には黒い皮の手袋がはめられていた。
茶色くうねる髪は、金色のメッシュが入っているのか、陽射しに当たってキラキラと輝いている。
日に焼けた肌にはっきりとした目鼻立ち、特に深く濃い深紅の瞳が印象的な…かなりの美青年だった。
これくらいの美貌があれば、きっとその人生は全て上手くいくだろうと思わせるくらいには、羨ましくなるレベルの顔面だったが。
青年の顔を見て、クラリスは咄嗟に俯いた。動悸が止まらない。これは、ときめきの動悸ではなくて、明らかに緊張と恐怖を感じた時のものだ。
一瞬だけ、青年から黄金の数式が飛び出して来るのが見えた。耳元で大音量の音楽をかけられたような驚愕と、恐ろしいくらいに奥域のある…底のない何かを強引に見せつけられた。
初めて直面する数式の洪水と、不協和音の大音量がクラリスの脳内に叩きつけられる。
(なにこれ…!!?)
数式の多さに目が回る。
こんなに美しい顔なのに、中身がデタラメに暴れ回っているような、激しい不協和音のぶつかり合いが気持ち悪い。
脂汗が浮かぶ。鼻から生暖かいぬめりを感じて指で拭うと、血がついていた。
「…うそ」
「クラリス嬢?」
様子のおかしいクラリスの肩をフェリクスが掴んだ。
「…フェリクスさん……ごめんなさい、無理っ」
手を払い除けて、蘇鉄の植え込みまで走る。
倒れ込むようにたどり着くと、クラリスはそこで盛大に吐き戻して、気を失った。
なりふりなど構っていられなかった。




