没落貴族令嬢 クラリス・エヴァンジェリンは機械と話す
灰の谷はサン・エターラ帝国の北西に位置する、遺跡の街だ。
神話の時代にあった帝国の古代都市として知られ、多くの考古学者が日夜、地面を掘り返し、帝国史の新発見に繋がる何かを探し続ける…夢と浪漫を体現する土地であった。
日照時間の短いこの地域は、広大な湿地地帯としても知られ、多くの遺跡は泥の中で眠りについている。
災害や地殻変動などで地形は変わってしまった部分も多いが、残された書物などから凡その建造物の所在や、住居等の集落の目星は着いている。上空から確認した学者も、その記録の正確性に舌を巻いたほど、灰の谷の全容は明らかだった。
全容は明らかであっても、発掘作業は困難を極める。
ここまで詳しいヒントが残されている遺跡も珍しいのにも関わらず、発掘が遅遅として進まないのは堆積した泥のせいである。
退けても退けても柔らかい泥が覆い隠すため、帝国の考古学者達は一致団結して、泥を吸い上げる機械を開発した。このお陰で、発掘作業は瞬く間に楽になったが、問題も多かった。
まずメンテナンスが困難なのだ。
泥などの堆積物には、様々な異物が混入されており、それが部品に噛み込んで故障等が耐えない。進んでは止まり、進んでは止まりを繰り返す。
年数を経る度に技術的な精度は上がっていくが、故障することはもはやワンセットと言ってもいい。
故に、灰の谷の発掘作業は相変わらず遅遅として進まず、夢と浪漫を糧に学者達は奮闘しているのである。
そんな灰の谷の片隅にクラリスは住んでいる。
クラリス・エヴァンジェリン。19歳。ニンジン色の巻き毛に茶色く丸い目を持つ、青白い肌の娘である。見るからに不健康そうな容貌であるが、本人は至って健康である。その証拠によく食べる娘だった。
クラリスを表す一般的な評価は二つある。
まず最初に出てくるのが、没落した貴族令嬢、である。
数年前までは帝国のエヴァンジェリン子爵家の令嬢だった。父親とふたりで慎ましく小さな所領を治めていたが、その父が亡くなったため、所領と貴族としての名誉を取り上げられ、ひとりで広大な帝国に放り出された。
皇帝から救済措置などを色々と提案されたが、貴族社会での立ち回りを苦手としていたクラリスは、庶民になることを選択し今に至る。元々貴族令嬢らしい教育も受けておらず、所領の領民と変わらないような生活をしていたので、庶民となった方が生きやすかった。
そんな彼女が灰の谷に住むようになったのは、彼女の持つ天賦の才が関係している。
以下が彼女の一般的な世間の評価、二つ目である。
子爵家令嬢時代から、クラリスには世界のすべてが「数」と「理」でできているように見えていた。それは有機物でも無機物であっても同じで、何百もの歯車が噛み合うようにして回る全ての物事は、彼女の目には一列の美しい数式として映る。
その数式に一箇所、ほんの少しの綻びや不具合が起きると、機械は動作を鈍らせ、植物は成長を止め、人間であれば大きな病気へのカウントダウンが始まる。
クラリスはそんな周囲の不調和を改善させることができる天才と言われていた。
意地悪く異能とも異端とも一部では言われはしたが、クラリスが自身の見えている世界を説明すると、それらは美しい方程式の成り立ちを語り聞かせる事と同じであった。対象を透かし見るような安直さはなく、調和と不調和の違いを丁寧に紐解いて話す様は、才能に振り回される少女ではなく、老練な教師を思わせる。
見てればわかる、のは一般的な感覚ではないことを承知しているからこそ、彼女は言葉を尽くして彼女の世界を彼女なりのやり方で説明してきていた。
だからこそ、その才能を惜しんだ皇帝が、自ら没落へ転げ落ちる天才を救う手立てを講じた、とも言われている。
クラリスのわかりやすい天才エピソードはたくさんあった。
何百と部品がある懐中時計の分解から構築までの時間がものすごく短い。菓子に使われている材料の比率、割合等も正確に読み解き、その分量を用意することができる。揚水機の故障箇所を見抜いたり、泥の中の混入物の種類等も見分ける。毒の盃も見分けられる。
有機物、無機物など関係なく、クラリスは全ての物(数式)を素因数分解で見、ものすごい速さで再構築していくのだ。
この才能が、ただの没落した貴族令嬢でない事を証明している。
近年、急速に発達する帝国の産業分野において、機械の発達は目覚ましいものがあった。灰の谷で使われる揚水機などもその一端である。が前述の通り、とにかく故障をするのだ。だからメンテナンス分野のスペシャリストの育成も急務であった。
そういう背景もありクラリスは天性の能力でもって、メンテナンス分野の専門家として生計を立てていたのである。クラリスにはうってつけの職業であった。
没落した貴族令嬢クラリス・エヴァンジェリンは、優秀な修復師として知られるようになっていた。
「ヤヌバン先生!!」
発掘現場に見知った顔を見つけて、クラリスは手を振った。呼ばれた老教授が振り向いて破顔する。
「クラリス!待ちわびておったぞ」
互いに駆け寄ってから抱擁する。クラリスがこの現場に来るのも2ヶ月ぶりであった。
「忙しそうだな」
「おかげさまで稼がせてもらってます」
そう言って笑うクラリスが、重たいリュックを背負い直した。
「今回も鋼鉄の貴婦人ですか?」
「そう。もう少しで、というところでいつも機嫌を損ねる」
話を聞きながら、前時代的な揚水機、【鋼鉄の貴婦人】の構造を思い出す。弱点とされる箇所を徹底的に調べたものの、ものが詰まったり、部品が破損していたりしている事はなかったと老教授は話す。
「止まる頻度も多くなってきたし、いよいよかの…」
「まだ分かりませんよ?それにヤヌバン先生のチームは、奥様の扱い方がとても上手ですから。あの子もまだまだ働きたいはずです」
クラリスが「奥様」と呼ぶ揚水機は、既に陸地に全身を出されていた。
大きく頑丈なこの揚水機は、採掘現場で初めて投入された型である。技術革新のおかげで現代では軽く軽量化されたものが多く、周りの現場でも旧式を使うチームは見かけなくなった。
前時代的で無骨な型ではあるものの、馬力があり、劣悪な環境下でも耐えうる頑丈さは、灰の谷の過酷な現場にはうってつけだ。新型を使うチームも多くいるが、一定数が未だに初代型の揚水機を使い続けるのも納得である。
クラリスも実は初代型の揚水機が好きだった。
蒸気をあげながら、一定のリズムを刻んで排水する様子が貴婦人の力強いワルツのステップを思わせる。ゴツゴツの歯車が刻まれ太い血管のようなパイプが外に張り巡らされた姿。スタイリッシュとは到底言えない風貌ではあるものの、その力強さと健気さが心を打つ。老いてもなお気高い貴婦人であり続ける姿が眩しかった。
ゴーグルとグローブをはめながら、ヤヌバンの弟子から状況を聞きとる。ある程度の予想が当たっていた。部品の経年劣化と組み上げた泥との相性が良くないようだった。
クラリスは、腰に工具をぶら下げたベルトも装着してヤヌバンを振り返る。
「作業に入ります」
頷くヤヌバンと弟子に見守られながら、クラリスは大きな揚水機を見上げ、両手を広げてその無骨な装置を抱きしめた。
クラリスの修復は、変わっている。
機械に身体を預け、会話をするようにあちこちをコンコンと優しく叩き回ることから始める。事前に聴取することも大事にしているが、一番重要な事は「彼らが何を訴えているのか」を知ることだ。
「お久しぶりです、奥様」
小声で囁きながら、機械の配管を撫で、歯車に溜まっていた泥を拭ってやる。
「今回はどこが痛い?それともしんどい?」
胴体を叩く手は休めず、あちこちを隈なく確かめながら、友人のように話しかけ続ける。
「んー、やっぱり吸い上げる泥の性質が合わないかぁ」
粘土質の泥が重たく胎内に溜まっている様子が感じられる。
シンと黙り込む揚水機から離れて、クラリスはゴーグルを外した。
数歩離れた場所から観察しながら、視線を泥溜りの付近に意識を向けてやると、クラリスの脳内に黄金に輝く数字が浮かび上がり、やがてそれはひとつの画像となって集束していく。
内部の深いところに溜まった澱が動力を阻害している光景が浮かんだ。
「…奥様、これはしんどかったでしょう」
そう言いながら近寄り、腹部あたりを探って撫でるように触る。コンコンという硬質な音が、ボンボンという鈍い音に変化している。
吸水機関の方に回ると、綺麗に洗い流された形跡はあったものの、ジョイント部分やホース口の部分にも落としきれない重たげな泥が、粘り気を帯びて付着していた。ネジを緩めて圧を抜くようにしてやると、「ゴボリ」と重苦しい粘液が漏れ出た。
工具で本格的に分解し始めるとヤヌバンが近づいてきた。
「やはり泥質かの?」
「それが大きいみたいです。粘土質に変化したものの中に、さらに粘り気の強いものも混じり始めたせいで、ポンプが消耗してます」
分解前の段階で見てきたように話すクラリスを、ヤヌバンは感心したように頷いて聞いている。いつもの事だった。
「ただの泥ではなくなってきたか」
「そうですね。大発見に繋がるかも」
泥の質が変わる時は、大抵、何かにぶつかる事が多いのだ。楽しそうに笑うクラリスにヤヌバンも、ムホホと笑う。
「引退前の最後の大仕事となる前に、また泥の壁か……。手強いのぅ」
「今回は範囲が広いので、こちらの奥様では難しいかもしれません」
機械にも相性がある。この質の泥は初代型の揚水機とは相性が合わない。ここまで頑張って来たものの、やはり粘着質な泥質は、部品をひたすら摩耗させるだけだった。
ヤヌバンは決心したらしい。
「レディはここまでにするぞ」
「懸命な判断です、先生」
ヤヌバンの言葉にクラリスもホッとする。
クラリスの助言を無視して揚水を続行するチームもあるので、ヤヌバンの言葉は嬉しかった。
「良かったね、奥様」
そう言って揚水機を撫でるクラリスを、ヤヌバンが笑いながら見つめた。
「わしの嫁はなんと言っておる」
クラリスが狼狽する。
「誰もおらん。クラリスの得難い本当の能力は、ワシが墓場まで持ってゆくでな。教えてくれんか。鋼鉄の貴婦人の言葉を知りたい」
周囲に誰もいないのを確認すると、クラリスは鋼鉄の貴婦人に耳を寄せた。
「もう少しで死ぬかと思ったわ、だそうですよ」
囁くように答えると、ヤヌバンが豪快に笑う。
「その前にお前さんが来てくれて良かったわい。嫁はまだまだ現役で頑張れるでな。ここらで選手交代じゃの」
ヤヌバンはそう言って、弟子に新しい揚水機の手配をさせる。その姿を見送ってから、クラリスは解体作業に入った。泥抜きと洗浄を行うためである。
「さぁ、さっぱりしようね!」
泥にまみれて揚水機を洗浄し終わると、現場は夕方になっていた。
元貴族令嬢がするとは思えない汚れ仕事だが、クラリスは気にしない。
ヤヌバンの言うクラリスの本当の能力はここからが本番だ。
「奥様、重苦しい気分は消えましたか?」
クラリスの囁きに鋼鉄の貴婦人が身体を震わせる。
{最高に気持ちがいいわ}
そんな返事が一瞬だけ文字列にならぶと、声が聴こえた。熟年の老婦人のような上品な話し方だった。
「…良かった」
機械と対話しながら行う作業はとても楽しい。ネジを閉め直したり、逆に緩めて遊びを多少持たせたり、水を流しながらライトに当てられた部分に損傷がないかを確認したり。鼻歌まじりでそれらの作業をひとりでこなしていく。
旧式の揚水機がくすぐったいと訴えるのを聴きながら、クラリスは笑いながら流した。
「明日、綺麗な水をもらえるように先生に話しておきますね」
クラリスに言葉に揚水機が小さく震えた。嬉しそうな反応にほっとする。
ホースで全体の泥を流し終えたら、作業は終了となった。
工具やグローブなどを片付けながら、クラリスは揚水機を振り返る。
鋼鉄の貴婦人が{またよろしく頼むわね}と囁いてきた。
機械が話し相手となったのはいつだろう。ふと、そんな事を思った。
元々、父の影響で時計の分解と構築を趣味にしていた。いつの頃からか、手で触れずとも、時計の、機械の、物質の構成が見えるようになっていた。
対象物の向こうに見えるそれらの構成は、いつだって美しい調和を保った数式だった。
数式が見えてくると、今度はそこに言葉が乗り始める。滑らかに解けていく数式の向こうから、声が、言葉が頭に届いてきた。
{ここはいごこちがわるいの}
{わたしはソッチにいきたいの}
{あの成分は私と合わないから入れないで}
意志を持って訴えかけてくる言葉が、最初は見ている対象からのものとは思わなかった。でも、不調和を起こす数式をいじるように、訴える事柄を正してやれば
彼らは嬉しそうに震え出す。
繰り返し繰り返しのやり取りを続けていれば、クラリスはいつの間にかあらゆる物資との対話が可能になってしまった。
父はクラリスの話を、いつも静かに聞いていて、必ず自分でも検証をしてくれた。結果は必ずクラリスの言う通りとなっていた。
「女神ジュニパー様がクラリスに与えた才能だから、大事に育てなさい。でも人に話してはいけないよ。特に皇帝陛下には知られてはいけない。女神様を信仰するのはこの国のタブーなんだから」
父はそう言って、悲しそうにクラリスの頭を撫でてくれた。
コミュニケーションを取るのも向き不向きがある。人間同士でも相性があるように、人間よりもモノを言わぬ機械や物質との方が相性が良い場合もある。クラリスは後者に当てはまるのだろう。とても珍しい事だが、そんな事もある。父は何かにつけてそう話してくれていた。
だから、令嬢時代にひとりで過ごす事が多くても特に気にしなかったし、割り切れていた。
私が気にするのは流行のドレスではなく、言葉を発せない子たちの悩み事なんだ、と。
故に、揚水機の貴婦人の苦しげな呻き声も美しい方程式が見えた後に聞こえたし、泥質の変化も素因数分解で導き出した。
天賦の才という風を装っているが、最終的に揚水機の貴婦人の不具合を見極めたのは、クラリスの才能を極限まで高めた異能である。
ヤヌバンなど極限られた人間にしか知られていない、秘められた能力。
帝国で禁じられた女神ジュニパーの恩寵を、クラリスは受けているのであった。




