第四話 前編(2)
二時間目は体育であったが、実は見学が許されていた。さすがにフルヒトとの力の差が考慮され、学校から参加しなくてよいとのお達しがあったのだ。伝記によるとフルヒトは一突きで軽戦車が裂くことができた、とクニオは聞いていたが本当なのだろうか? クニオは体育でフルヒトの実力が見れることを期待していた。英語の鬱憤を振り払って、体操服を用意する。
クニオが訪れた高校は、県内どころか近畿地方でも有数の名門校であった。体育館は県内の大会でも使用できるほどの設備を備えており、そしてフルヒトの使用に耐えられるほど強化されてあった。校舎が木目調であったのに対し、体育館は鉄筋コンクリートの様な物でできていた。その頑丈そうな壁にすらヒビがあり、クニオの期待は膨れ上がった。体育用の服に着替えたクラスメイト達は、室内でボールを運びだし授業の準備を済ませつつあった。
授業時間になると、体育館に男の教師があらわれた。かなりの巨体である体育教師は、半そでをまくし立てて生徒に号令を掛ける。教師はクニオの存在を確認すると、深くため息を吐いて遠くに行くようにジェスチャーをした。クニオは素直に指示に従うと、ステージの近くに寄った。
体育教師は必要な確認を行うと、後は任せたとばかりに体育館から出ていく。この学校は自主独立が是なのか、しばしば生徒に授業の進行を任せることがあった。とくにクラスマッチなど、学校内イベントは生徒に自由な時間を与えることが多かった。こういった風潮は、クニオが元々通っていた東日本の高校では有り得ないことだった。少しでも教師の目が外れようものなら、友達と授業を抜け出すことが普通である。教師の監視がない授業が、クニオには新鮮に思えた。
「おい、劣等。 ちょっと顔かしや」
真面目にクラスマッチの練習をしている生徒を感心していたクニオに、突然に声が掛けられた。クラスメイトとの初めての会話に喜びつつ振り向くと、不機嫌そうな奴と薄ら笑いを浮かべたクラスメイトが数人立っていた。関西弁で話すこの人物は、髪の色を除けば東日本でもよく見かけるような好青年だった。身長も高く、スポーツ体系の青年だが、いかにもケンカ腰で今にも殴りだしそうな雰囲気をかもしていた。
「授業中に抜け出したら、マズいんじゃないか?」
「ええから、こい劣等」
授業から抜け出したい気持ちは、西と東で大差ないようだ。クニオは首根っこを掴まれ、引きずられるように連れ出される。やはりフルヒトは腕力が人間と違うらしく、青年は軽々しく引き回した。クニオは礼子に投げ飛ばされた事を思い出し、初めてフルヒトと触れ合った気分を懐かしんだ。
クニオがもがいて脱出を試みたときに、不意に手を離され地面に投げ出される。受け身が取れず顔から落下すると、かすかに笑い声が聞こえた。クニオが顔に着いた砂を払いながら上を見ると、先ほどのクラスメイトがニヤケタ顔で見下ろしていた。ここは体育館裏のようで、確かに人目もつかないところだった。
「授業でなくていいのか? クラスマッチ近いんだろう」
「お前のせいでクラスマッチどころじゃないんや。 猿と御学友じゃ今後にかかわるわ」
「猿と同級生でもいいだろ。 一緒にバナナ食おうぜ」
クニオが冷やかす様な口ぶりで答えると、顔の口をふさぐように踏みつけられた。青年は力を抜き、怪我をしないように注意しながら踏みつけた。これから脅すつもりの相手を、気遣かわなくてはいけなかったのである。
「お前がどうしてタチバナって名乗ってんのか知らんけど、劣等人種には勿体ない苗字だで……畜生め‼」
「ムベッ」
さらに強く踏み込まれ、クニオは情けない声が出てしまった。青年は強く踏みすぎたかと、顔から足をどかし怪我をしていないか確認した。するとブルドック顔の劣等人種が見えたので、安心して再び足を押し付ける。
「橘に聞いても何も答えんしよ。 まぁ、そんなことどうでもええんわ。 とにかく目障りだから明日っから来なや。 ここは優れた人間の来るところ、猿は引っ込んでろ」
そう言うと青年は足を外し、汚れが落ちる様に地面と足裏をこすり合わせた。言いたいことが言え満足したのか、クラスメイト達と共に体育館に戻ろうとする。そんなクラスメイト達の後ろ姿を、クニオは笑ってみせた。
「プッハッハッハッハハハ、これがフルヒトかよ。 こんなもんか」
緊張が解けたクニオは、寝転がりながら大きな声で嘲笑した。口に入っていた埃を取り除き、顔を拭って立ち上がる。
「なにがフルヒトだ。 何が優れた人間だ、笑わせんな‼ 気の利いた脅し文句の一つも出てこねえくせに偉そうに」
背中を向けていたクラスメイト達の足が止まり、ゆっくりと振り向いてくる。クニオは「しまった‼」と思ったが、もはや引き下がるわけにはいかなかった。礼子や千代に警戒感を和らげられていたが、目の前にいるクラスメイト達がフルヒトで圧倒的な力を持っている事に違いはない。
「魔法が使えるだとか頭が良いとか言う割には、どいつもこいつもつかんで投げるだけ。 そこらのイノシシの方がよっぽど強くて賢く見えるぞ」
ここまで言い切って最近の鬱憤が、いっきに晴れた気がした。意味も分からず西日本に連れてこられ、女にまで散々に蔑まれ、学校に押し込まれたと思ったら挙句に踏まれる仕打ちである。相手が化物だと思って必死にため込んだ感情が、つい出てしまった。
そしてクニオは、思い出したように汗が噴き出した。そうだった、相手は化物だ。人間では勝ち目のない奴に口ごたえをしてしまった。だが恐怖心が体を震わす前に、底知れぬ高揚感が顔を赤くした。俺は言ってやったのだ。この愚かな蛮行の達成感が、クニオの気分を酔わせた。
言われた化物の方は、一同驚いた顔を浮かべた。今までコケにしてきた劣等人種に、言い返されたのが初めてだったからだ。まるで珍しい物でも見たと顔を見合わせ、そして仲間と笑い始めた。クラスメイト達の笑い声が収まると、先ほどの青年がクニオに近づく。
「猿にこれはかわいそうやと思ったけどな、お望みなら見せたるわ」
フルヒトは単純に普通の人間を凌駕する力を持っている。しかしフルヒトの本懐は、それぞれ持つ特殊な力にあるのだった。人間には、まるで魔法としか見えないチートのような能力だ。その力は多種多様で、フルヒトによって持つ力は大きく異なる。大戦中はフルヒトの放つ攻撃がやっかいで、帝国軍は少数のフルヒトに苦戦した。とは言っても、クニオは実態をよく知らなかった。西日本に来てから、その魔法を目にすることがなかったからだ。一度礼子に見せてもらえないか頼んだことがあったが、すぐに拒否されてしまった。
そんなわけで、くにおは内心わくわくしながらクラスメイトの魔法を待っていた。問題は目の前の青年の力なのだが、戦記物語の様な戦艦を沈めるものなら生をあきらめなければいけない。
クニオに期待されているとは知らずに、青年は左手を前に構えると少し力んだ。すると青年の左手にうっすらと熱が帯びていくのが分かった。クニオの顔に熱気が感じられるようになると、青年の左手が炎の膜をまとっているのが見え始めた。
「て……手が燃えている?」
「アホ、これが俺の神業や‼ そこらのボンクラには、できひんやろう」
青年は、左手の炎を揺らしながらクニオに近寄る。クニオには、ただ左手が火だるまになった様にしか見えなかったが、とても高い温度を持っている事は感じ取っていた。炎を出している青年は、怖がらせようと左手を振りかざす。揺らめく炎が、薄暗い体育館裏を不気味に照らした。
「猿の髪が気に入らんな」
「あ?」
青年の周りにいたクラスメイトが発言の意味を理解すると、クニオの腕を取り押さえた。そして羽交い絞めの要領で動けないようにすると、体育館の壁に押し込み磔のような格好にさせた。クニオが抜け出そうともがくと、より強い力で圧迫した。
追い込まれたクニオに、青年は炎を顔に近づけ炙った。そして炎をまとった手でクニオの髪の毛を掴み、焼き切れるまでねじった。その手で髪を掴むと、簡単に燃え灰に変わっていく。しだいに髪の毛の焼ける不快な匂いがたちこめてきた。掴める前髪が無くなっても灰を被った頭を掻き分け、掴めそうな髪を端から引っ張っていく。
「感謝しいや猿、これでお前も少しは人間に近づけたかもしれん」
「クッソたれ……ッ‼」
クニオが苦し紛れに唾を吐くと、運が良いのか悪いのか散髪中の青年の顔に掛ってしまった。これに驚いた青年は、反射的に炎を引っ込め急いで拭い、そして凄まじい顔で睨んできた。
「お前……優しくしてりゃ調子に乗りやがって」
「いや、手が燃えてたから消火してあげようと思ってさ。 でも見てみろよ、ちゃんと消えたろ?」
青年は顔を拭いた左手に気が付き、いっそう憤った。青年にとって、この能力が使うことで、いっきに屈服させることを望んでいた。それなのに、劣等人種ごときに唾を吐きかけられ、能力を止められたことが屈辱的に思えたのだ。
クニオとしても、またしても相手を煽ってしまう悪癖が出てしまったと後悔した。これ以上怒らせたところで、自身が勝てたり逃げ出せたりすることがデキナイ事は十分承知していた。それなのに口に任せて受け答えしてしまうところが、まさしく災いのもとであった。
「もう二度と来れんように両足砕いてやるわ‼ オメエら、どけッ」
クラスメイト達が、弾き出されるようにクニオから離れた。それと同時に、青年はクニオのみぞおちに拳を叩き込んだ。もちろん手加減したつもりだったのだが、殴られた方は勢いよく壁に叩き付けられて、その場に腹を抱える様に座り込んだ。
クニオが殴られたことに気づくのは、地面に突っ伏した後だった。胃がひっくり返ったと思うほどの吐き気と、腹部の痛みが同時に襲って来た。猛烈な吐き気と、脳が過剰にさせようとする呼吸が体の中を暴れる。ベタベタな汗だけが素直に噴き出した。
「弱っちいな、ちょっとドツイタだけやろ。 それに猿のくせに鳴きもせんわ」
青年の怒りは、一発だけでは腹立ちが収まらないのか、さらに拳を固めて近づいてくる。クニオは必死に起き上がって逃げようとするが、足の甲をおもいッきり踏みつけられた。悲鳴の出せないクニオに変わるように、足の骨が折れる音が響いた。
クニオは、まるで水中にいるかのように体が重く感じられた。見上げると初夏の日差しが飛び込んでくる。その光に交じって、暑い風が追い打ちのように吹き付け吐き気を焚きつける。
「調子に乗るからいけへんのや。 分相応に生きることやな」
青年は「もう学校に来んな」と吐き捨て、その場から立ち去ろうとする。しかしクニオは、手汗を地面に擦り付けながら上体を起こし、待ったを掛ける様に立ち上がった。フラフラになりながら壁に寄り掛かり、何とか体の前に拳を構える。
「お? やんのか? おいおい笑わせんなや」
しぶとくそう立ち上がろうとする劣等人種に驚きながらも、青年はクニオの真似をして茶化し仲間内に向けて笑いを誘った。クラスメイトの笑い声は耳鳴りの様に頭に響き、クニオの焦りと恐怖心を煽る。いま拳を向けている相手は強大な化け物である。ここで特に強みもないクニオが殴り合いをして勝てるなら、きっと過去の帝国軍は戦争に負けてない。
きっと土下座をすれば許してくれるかもしれない。すでに残骸みたいな自信と自身、西日本にきてからボロボロの自尊心、別に失っても困らない学園生活、これらと引き換えにこの場を生きて終えられるならそれで良いじゃないか。
「……ッ‼」
クニオの頭が結論を出す前に、体は動いていた。落としかけた腰をバネの様に瞬発的に伸ばし、腕をひねって青年の顔に力を込めて殴ったのである。青年とクラスメイトの笑い声が止んだ。この場にいる誰もが驚いただろう、なにより一番驚いているのはクニオなのだから。殴ってしまったのである。不意打ちにも等しい、無防備な顔に完璧な打撃を。
「……ぐぅ」
先に呻き声声を上げたのは、殴ったクニオだった。痛みの原因に視線を移すと、殴った右手の二本の指の関節が赤く腫れ、次第に紫色に変わっていた。殴られた青年は、数歩後ろによろけて顔をあげた。その顔には特に変化は見られず、髪型が少し崩れた程度だった。この場を生きて帰れるチャンスを失って、得た結果が指の骨折だけとは全くもって救いようがない。
しかし青年は動揺はしているようで、開いた口が塞がらない様子だった。劣等人種に殴られたことが、理解できかねていたのだ。
「へっ、フルヒトに幻滅しちまったぜ。 パンチもしょぼいし、やることもカッコ悪い。 少しは凄い魔法でも見れるかと思ったら、手が燃えるだけ」
「………」
「おまけにパーマも下手糞だ」
クニオは、もはや引くに引けないとばかりに、やけくそ気味に言葉を吐き捨てる。どうにでもなってしまえ、俺は生をあきらめた。
最後に、その場にいる全員に聞こえる様に捨て台詞を吐いた。
「俺はフルヒトが恐ろしい化け物だと思っていたが、怯えるのも今日で最後にしとくぜ」
「せやな、今日が命日ならその通りや。 ……死ねッ」
瞬間、クニオの視界いっぱいに青年の拳が映っていた。




