第四話 後編(1)
昔に見た戦記物語の中で、フルヒトの集団に一人で挑む男の話を読んだ気がする。その男は普段か不遇な扱いをされており、組織の失態をイケニエのように押し付けられていた。ある時、フルヒトとの大戦が起きると、組織は一つの重大な失敗をしてしまった。そこで組織は、いつものように男に罪を擦り付けて、無理難題な任務を男に命令した。男は難しい使命を果たすことができたが、最後に死んでしまった。組織は男を英雄だと宣伝し、国民は彼を称えた。そんな物語だったが、はたして男は幸せだったのだろうか。
「目覚めはどうだ?」
「……頭が痛い、吐き気がする」
「やぁ結構。 大丈夫みたいだね」
記憶のハッキリしないクニオの顔を、白衣の着たフルヒトの男が覗き込んでいた。白衣の男は、四十歳ぐらいの見た目で落ち着いた雰囲気を持った人物であった。男はクニオの頭部を手で押さえると、器具をクニオの口に入れ確認する。
クニオは目線だけを動かし、働かない頭で現在の状況を考えた。横には空のベッドが二つあり、それぞれを遮れるカーテンがあった。病室かと思ったが、それにしては部屋に物が溢れすぎている。壁一面に書類や薬品の入った棚があり、隅には体重計や人体模型が置いてあったのだ。
白衣の男はクニオの口から器具を抜くと、ベッドから離れて日当たりの良い机に座った。そして筆記具を持つと、必要な書類に記入を始めた。その記入作業をしながら、ベッドに寝かされているクニオに聞こえる様に話す。
「転入初日に生徒とふざけて保健室に来るなんて元気で良い事だな。 おかげで久々に働いたよ」
クニオは、ようやく寝ている理由を思い出した。授業中に抜け出し、体育館裏でクラスメイト達に脅され、そして青年に殴られたのだ。殴られた後の事は分からないが、恐らくは保健室に担ぎ込まれたに違いない。
「まったく酷い有様だったよ。 君の様な貧弱な生物が、まともに殴られて無事であるわけないだろうに。 深刻な脳挫傷と硬膜下出血、脳味噌の半分が混ざり合ってたんだぞ」
「そ……それは死ぬんじゃないのですか?」
クニオは布団の中から腕を引っ張り出すと、自らの頭を触って確認した。普段と変わったところはなく、殴られて大怪我を負ったことが想像もできなかった。しかし触っているうちに手が元通りになっている事に気が付いた。青年を殴った手は紫色に変色していたはずだったが、何ともない肌色で痛みもなかった。その手で髪の毛を触るが、焼けたはずの髪の毛まで普段の通り元に戻っていた。
「もちろん死ぬ怪我さ、だから治してあげたんじゃないか。 僕の神業は治療に特化していてね、どんな傷でも治せるのさ」
男は「死んでなきゃね」と付け加えて、手元の書類をまとめて机の端に置いた。そしてマグカップを二つ取り出しコーヒーを注ぐと、一つをクニオベットの近くのテーブルに置く。白髪の男性医者は、湯気の濃いコーヒーを片手に説明を続けた。
「脳と顔と指と足の骨折は治してあげた、あと髪の毛もね。 腹の痣は、時間に解決してもらいなさい。 あと口に何か感じないかい?」
クニオは自らの口に注意を向けると、たしかに違和感があった。まるでグミを舐めているような感触、外気に触れるだけで大袈裟な冷たさを訴えてくる。舌で口の中を探ると、上顎の前歯が二本なくなっていた。
「こういった治療はね、散らばった体を繋ぎ合わせて元に戻すのさ。 つまりない部品は移植するか、再生するしかないの。 派手にまき散らしたのかな、君の前歯だけ見つからなかったんだ。 こっちで新しく歯を作っても良かったのだけど、手間もかかるし嫌だろう? もし歯がほしいなら、集めて持ってきなさい、着けてあげるよ」
クニオは説明に耳を疑った。話によると、殴られた衝撃で頭がねじ曲がり昏倒。頭が後ろに逸れたお陰で即死を免れたが、拳が当たった顔面は酷い損傷を負ったらしい。とくに前歯と鼻は削げて辺りに散らばり、それを騒ぎで駆け付けた教師が拾い集めたとか。駆け込まれた先の保健室で応急処置をおこなって、時間を掛けて落ちたパーツを繋ぎ合わせたのだ。
「……はい、すみません」
ただでさえ気分の優れないクニオは、この話を聞いて更に具合を悪くした。もはや悪態をつく余裕を失い、相槌の代わり謝罪の言葉を挟んだ。そんなクニオを気にせず説明を行うことが、白衣の男には少々気の毒に思えた。
「あと、クラスの橘ちゃんに、ちゃんとお礼言うように。 ここに運ぶのを彼女は手伝ってくれたんだよ」
クニオは礼子の顔を思い浮かべると、小さく息を吐いた。学校では彼女に迷惑を掛けすぎていたことが、非常に申し訳なかった。
ベッドの上で膝を抱えて落ち込むクニオに、たたみ掛ける様に続けた。白衣の男にしても、ここから言うことは老婆心の気持ちがあったから言うものだった。
「助言じゃないが聞いてな。 君の腕力じゃ何を踏ん張っても勝てっこない、せめて怪我をしない立ち振る舞いをするべきだよ。 それが出来ないなら、この学校をやめるべきさ。 最近は政府が躍起になって教育設備をつくっているから、勉強したいなら他でもできるし」
「……」
「まあ、君がやりたいようにすればいいけどね」
クニオには、この助言が嫌味に聞こえてしまった。フルヒトのいる学校に通うことが、彼の望みではなかった。学校に来ることは千代がおぜん立てしたことであり、クニオの感覚としては半強制的に送り出されたというものだった。それなのに、まるで自身のワガママで周りを困らせているかのように言われることが悔しかったのである。
しかしクニオは言い返すことをしなかった。そもそも気分が悪かったし、目の前の男が命を救ってくれた恩人であったことを理解していたからだ。それに腹が立っても腹部が痛くて力めないし、前歯がないので歯を食いしばることもできなかった。精神的にも肉体的にも調子が悪かったクニオは、その助言を無言で受け入れたのである。
しばらく時間が経ち、クニオは無い歯を食いしばって立ち上がった。そして冷め切ったマグカップを掴むと、いっきに飲み干した。口に合うコーヒーは、冷めてもおいしく感じるものである。クニオには、このコーヒーがとても味わい深く感じた。しかし具合の悪かったクニオは、最後まで飲み干すことはしなかった。
マグカップを置いて、白衣の男の方向に体を向ける。男は必要な作業を全て終えたようで、机に寄り掛かりながら本を読んでいた。
「そういえば、先生の名前は何て言うんですか」
「知らなくても良いよ。 君に覚えられても仕方がないからね。 もう二度と保健室には来ないように」
白衣の男は、劣等人種を差別していたわけではなかった。フルヒトは病気を患わないため、病気を治す神業を持つ身としては、ありがたい商売相手であったためである。それなりに劣等人種と接してきた経験があるため、むしろ劣等人種に寄り添っている立場だった。
そのためクニオに対して少し冷たく当たることは、彼の為を思ってのことだった。このままフルヒトと共学の日々を送ることが、彼にとって命に係わる危険なことである。今回は運よく死亡する前に処置が行えたが、次もスグに治療が行えると保証ができなかった。できることならば、クニオには学校に来てほしくないのである。
クニオは体調不良という理由で、早退という形で家に帰されることになった。学校としての調査は、あの場にいた青年を含めてクラスメイトへの聞き込みで済まされ、クニオに何があったかを聞きに来る先生は誰もいなかった。校内で劣等人種が死にかけた事を、学校は表ざたにしたくない。そのため最低限の事情調査に留めたのである。
保健室に訪れた者は、誰もいなかった。担任の先生や礼子ですら、クニオの様子を見に来ることはなかった。クニオも誰かが来ることを希望していなかったので、これについては何も不服はない。
クニオは他生徒とスレ違わないために、学校の授業時間に合わせて下校することに決めた。荷物を取りに教室まで行くことを止め、手ぶらで帰ることにした。
保健室から逃げる様に出ると、その勢いのまま近くの男子トイレに駆け込んだ。洗面台と向き合って、鏡の向こう側の顔と対面する。歯がないこと以外は変わった様子のない、いつもの顔だった。その安心感と違和感が、今になって恐怖心を浮き出させた。
クニオには、青年に殴られて意識を失ったことが一瞬の出来事に感じられた。しかし、その一瞬の中で体験したことは体が覚えている。体験したのだ、歯が飛び、目線が左右にずれた瞬間を。確かに聞いたのである、鼻の奥から抜ける様に爆ぜたような音を。そんな恐ろしい事を味わったはずなのに、鏡に映った顔に異常がない。いつもと同じ顔をして、何ともないようなツラをしていることが尚更恐怖心を誘った。
クニオの体が元通りになったのは、あの白衣の男の神業によってである。東日本の医療技術では、治療することは不可能なほどの損傷だった。それをフルヒトの能力だけで即座に復活させたのである。
フルヒトに殺されかけて、フルヒトに救われたこと。この事情を噛み締めて、ようやくフルヒトに生殺与奪を握られている実感が出てきた。千代も礼子も、殺そうと思えばいつでも簡単に殺せる力を持っている。さらに治そうと思えば、綺麗に治せてしまう能力を持ったフルヒトがいる。くにおには、フルヒトの能力の底が知れなかった。
クニオは洗面台に向かって咳き込むと、さらに思考をめぐらした。もしかしたら、既に何回も殺されているのではないだろうか。ここまで完璧に身体を治せてしまうのだ。記憶だって改ざんできるかもしれない。何回も何回も殺されかけて、そのたびに都合の良いクニオとして復活する。もしかしたら自分は、自分の事をクニオと思い込む別人なのではないだろうか。
「頭がおかしくなりそうだぜ」
クニオは洗面台の蛇口をひねって、思いっきり顔を洗い始めた。勢いよく跳ねた水滴がズボンを濡らすのも気にせず、落ち着くまで顔をこすり続ける。こんなこと考え始めたらキリがないのだ。
「くそっ、なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだよ」
八つ当たり気味に顔についた水を振り払い、蛇口を閉めて水を止める。そしてクニオは、近くにあったゴミ箱を力いっぱい蹴り上げた。金属でできたゴミ箱は、うるさい音をたてながら転がり倒れた。
正直に言って、ストレスをぶつけられる相手が物しかなかったのである。フルヒトを恨みつくすことが出来なかったことが、気持ちを悪くさせた。理不尽なクラスメイトと先生、この状況を仕立てた千代。それに対して、土壇場で助けてくれる礼子や怪我を治してくれた白衣の男の存在が、フルヒトへの恨みを薄めてしまったのである。
そうだ、考えてもどう仕様もないのだ。クニオが思考を諦めて、顔を拭くためにハンカチを探した。しかし全てのポケットをひっくり返しても、ハンカチは見つからなかった。
「やぁ、トイレがびしょ濡れじゃないか。 どうしたんだい」
顔を拭くことも諦めたころ、男子トイレに似つかない女の声が響いた。たしかにクニオが顔を洗ったせいで、トイレの床はびしょ濡れであった。クニオが滑りかけながら振り返ると、なぜか女が一人立っていた。女子用学生服を着て、白い髪をサイドポニーにした髪型が、妙に大人びた印象を抱かせる。背丈は礼子より高く、足も腕もスラリとしていた。
「いや何でもない。 蛇口が言う事聞かなかっただけさ」
「それは災難だったね。 ゴミ箱もいう事聞かなかったのかな?」
その女は男子トイレだというのに、遠慮なく立ち入ってきた。そして倒れているゴミ箱をもち上げると、所定の場所に収めた。
「何があったか知らないが、物に当たるのは感心しないな」
荒れたトイレを見て察したのか、彼女はクニオがゴミ箱を倒したことをあててみせた。クニオは、見ず知らずの女に注意されたことが恥ずかしくなって目を背けてしまう。そして濡れた顔を撫でると、早く出て行ってくれとの意思表示で溜息を吐いた。そんなクニオの意図を知ってのことか、彼女は目の前に立ちはだかった。
「今日から珍しい転校生が来る噂を聞いたけど、君の事みたいだね。 調子はどうだい」
「……おかげさまさ」
見ればわかるだろうと、クニオは大袈裟に腕を広げてみせた。水浸しになったトイレも、自身で起こしたゴミ箱も、何もうまくいってないことを判断するには十分のはずだ。クニオにはこの質問が、とても意地の悪い質問に思えた。
「そうかい、なにか困ったことがあるなら他の人に相談するなりするべきだよ。 少なくともゴミ箱を蹴るよりは楽になるはずさ」
―――いったい誰に。
「どうも」
クニオは短く答えると、トイレから出ようと歩きだした。心情的には一人になりたかったし、説教じみたことを初対面の異性に言われるのが耐えられなかったのだ。横をすり抜けて出ようとすると、それを彼女は腕をのばして遮る。
「外まで濡らすつもりかい。 顔ぐらい拭くといい」
「ハンカチがなくてね。 いやさっきまであったんだけど」
ハンカチを持っていないことを打ち明けると、腕を退けるようにジェスチャーをする。もう放っておいてくれと言わんばかりに睨みつけたが、彼女は気にしなかった。そればかりか彼女はハンカチを取り出すと、クニオの目の前に差し出した。綺麗な刺繍が施された、少し大きめなハンカチだ。クニオは面食らって首を引っ込めたが、引いた分だけ彼女はハンカチを押し込んだ。
「これを使うといい。 気にするな、新品だぞ」
たしかに真新しく綺麗だった。いきなり差し出されて驚き、クニオは固まって受け取ることができなかった。すると彼女は彼の手に捩じ込み、元気よく肩を叩いた。
「おっと用事の途中だった。 そのハンカチはあげるよ、しっかり拭くように。 それと学校の備品は大切に使いたまえよ」
「あっ、ちょっと待てって。 おい‼ ……行っちまったよ」
彼女は軽快な足取りでトイレから出ると、呼び止める間もなく立ち去ってしまった。クニオは、残されたハンカチのやり場に困り仕方なく顔を拭う。とても肌触りの良いハンカチで、花の香りに癒された。
水気を全て拭き終わると、ハンカチを丁寧に畳んでポケットに仕舞う。彼女の名前を聞き忘れてしまったことが、少し残念に思えた。少し煩わしく思えても、気遣ってくれたことが嬉しかったのだ。せっかくなら感謝の一言でも言うべきだった。
クニオはトイレを後にし、下駄箱へと向かった。とにかく早退しなければならない。




