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第三話 後編(2)


激しい揺れのせいで車酔いに苦しんでいると、バスが突然止まった。扉が開くと続々と人が下りていくので、ここが目的地らしい。横に座っていた者も、急いで降りようとする。


「降りたら適当な人に声をかけて駅まで送り返してもらうといい。 忙しそうな人と奈良共の派遣以外なら、取り合ってもらえるだろうさ」


 そう言うとバスを降り、流れていく人ごみにまみれて行ってしまった。

バスを降りると人ごみの中にファイルを片手にあくびを掻く人間がいた。こちらはフルヒトの様で、だらしないお腹周りの中年の外見のフルヒトだった。一応作業着を着ていたが、太ったお腹の為かツナギのファスナーが半分以上開いている。


「すみません。実は駅で無理矢理バスに乗せられて連れてこられたのですが、駅まで送り返して貰えないでしょうか」


 男は朝に礼子に投げられた事を思い出すと、怒らせないために誠意をもって下手に出る。中年男は男に気が付くと抱えたヘルメットを横に置くと、怒鳴るような声で話し始めた。


「なんだぁてめえ、いいから黙って奥まで進め」

「俺は作業員じゃないんです。 駅でいきなり――ッ」


 男が説明をするために近づくと、中年男がいきなり手で押してきた。バランスを崩し、尻餅を付く形になった。中年男は懐からファイルを取り出すと、作業員名簿の欄を見始める。


奈良共(ならきょう)も低能そうな作業員(どれい)送りつけやがったな。 おめえ番号言え、派遣会社にクレーム入れてやる」

「ナラキョウ? だから俺は関係ないって言ってるだろ。 なら送り返さなくていいから、ここから出してくれよ。 せっかくの衣服も汚れちまった」

「ずいぶん口うるさい作業員(どれい)だな。 ようし話しを聞いてやるから土下座しな」

「俺はドレイじゃないぞ」


 男は、この棒弱無人な中年に腹が立っていた。それは男の振る舞いと、中年の容姿に対する苛立ちだった。フルヒトが化物であるというイメージが、目の前のメタボなフルヒトのせいで無茶苦茶にされた気がしたのだ。こんな奴が大戦で暴れまわったのかと思うと、歴史を疑いたくなってくる。それこそ礼子や千代みたいな可愛らしい姿も予想外れだったが、その美しさが逆に人離れした印象を抱かせた。それなのに目の前の中年はだらしなく、ただ年を取って白髪になったオッサンの様に見えてしまうのだ。

加えて手で押し倒されたことも、ある意味期待外れだったのだ。礼子に片手で投げ飛ばされた事はショックではあったが、それがフルヒトの強さの証明であった。それなのに礼子より遥かに大人のフルヒトが、押し倒すことしかしなかったことが、男には残念に思えたのだ。加えて礼子や千代には独特の凄味があって強さを納得させられたが、目の前の中年には全く威圧が感じられなかった。 

座り込んだままの男に、中年は更に増長した。


「でも劣等人種だろ。 話しがしたいなら土下座して、地面にキスすることだ」

「そんなバカなことがあるか」

「おいそこのお前。 土下座しろ、しっかり額を地面につけてな」


 調子に乗った中年に呼びかけると、たまたま近くにいた黒髪の男が立ち止まった。その男は機械のような無表情であり、バスで出会った派遣作業員と同じ事情であることを伺わせた。その男はズボンに土を滲ませながら前屈みになると、躊躇なく地面に頭を付けた。


「よし、頭をおもいッきり地面に叩き付けろ。 俺が良いというまで何回も‼」


 まるで耳を疑うような命令だったが、指示が聞こえるや否やその通り頭を打ち付け始めた。まるでメトロノームみたいに体を起こしては、勢いよく振り下ろす。本当に強く打ち付けているようで、顔をあげる度に額が赤くなっていった。


「おい、そんなことするなって!」


 打ち付けるのを止めるために、その男の肩を掴む。それでも動きを止めようとせず、振り払うかのように更に強く体を振り始めた。中年は、その必死の動きに満足し「もういい、行け」と小さく呟いた。

 その指示を貰うと、先ほどまで打ち付けていた男は何事もなく立ち上がり本来の作業へとかえっていく。額からは血が垂れていたが、誰も気にしないし本人は拭いすらしなかった。電車を降りた時から感じていた不気味さの集大成を見た気がした。まるで出来の悪いロボットの様だ。 


「どうだあれが劣等人種ってもんだ。 お前も見習ってやってみろ」

「オッサン土下座させるのが好きみたいだな。 趣味か、それともフルヒト自体のトレンドなのか?」


 鼻息荒い中年に、嫌悪感と怒りが込み上げてくる。相手がフルヒトで化け物なら、そういうものだと納得できるが、太った中年だと余計に癪に障った。苛立つと口が悪くなることが、男の欠点だった。これで相手を怒らせてしまうのは、以前からのお決まりだった。フルヒトを怒らせることが、危険なことだということを承知はしている。だが目の前で不等なものを目にすると歯止めがきかないのだ。

 不穏な空気に寄せられて、いつの間にか人だかりが出来ていた。その集団の中には、バスで会話した者もいた。彼としては厄介ごとに巻き込まれずに済んだと安心している反面、助けに入らねばという焦りがあった。この時男が向き合っていたフルヒトが、採石場でも指折りのクラッシャーだったからだ。何人もの人間が殺され、その度に事故として処理されていった。事故に関する書類を行政に提出するだけで、会社の責任は済んでしまうのだ。だらしない恰好をしていても、中年は事務方で上の役職についているフルヒトだった。中年が用意する書類こそ、この会社では真実であり正義だった。たとえ不審なことがあっても、警察は劣等人種に関する捜査を真面目にしない。つまり助けに入っても、提出される書類が二人分になるだけだった。

 中年としては、人だかりが出来たことが予想外のことだった。さすが人だかりの前で壊すわけにはいかない。その代わり人だかりが出来たのだから、劣等人種には恥でも掻いてもらうことにした。具体的には服を脱がした状態で、希望通り駅に置いてきてやることだった。


「申し訳ございません。 目を離したらすぐどっか行ってしまいまして、ご迷惑おかけしましたか?」


 中年が服に手を掛けようとした瞬間、聞き覚えのある声が遮った。男が振り向くと、駅で別れたままだった礼子が立っていた。

 礼子の姿を見るなり、中年はファスナーを無理矢理締め上げた。そして親戚の優しい伯父さんの様に挨拶を始める。


「いや~~礼子ちゃん、こんな所まで良く来てくれましたね。 大変でしたでしょう? 御母さんおげんきですか」

「もちろんですわ。 それより『コレ』が失礼しました。 一緒に連れて近くまで来ていたのですが、目を離した隙に迷ってしまったみたいで」


男は礼子に掴まれ、指を指された。締め付けは強く、腕の血液循環に支障が出るほどだった。男は腕を振るなど抵抗したが、彼女は関係ないと親しみやすい笑顔で事情を説明する。


「なんだ、そういうことでしたか。 てっきり新しい従業員かと思いましたよ。 なんというか生意気そうな奴ですね、新しい使用人ですかな」

「そんなところです」

「手こずっているなら奈良共の人材教育部に送るといいですよ。 一通りの動きが出来るぐらいには成ります。 すぐ人手が欲しいのでしたら、他のより使える従業員が派遣されるので、おすすめしますよ」


 礼子と中年は、ありきたりな世間話を始める。そうすると今まで様子を見ていた人だかりが解散していった。その去っていく集団の中に、バスで知り合った人がいることに気が付いた。目が合うと「元気で」と手を振ってきて、男も「ありがとう」と掴まれていない手で挨拶をした。

結局この会社は、無関係な人間を社員として連れて行った挙句、手を出そうとした駄目な組織であった。そんな会社の関係者に、礼子は深々と頭を下げた。 


「どうも、失礼します」

「お母様によろしくとお伝えください」


 話が済むと、礼子は男の手を引いて採石場の敷地から出る。中年の姿が見えなくなっても、小走りが続いた。やがて人気の無い街角にたどり着くと、やっと手を解き向き合った。礼子は少し険しい表情で、男は無意識に顔を背けてしまった。


「どうして逃げ出したの」

「逃げた訳じゃないさ。 人ごみに流されて、無理矢理連れてこられたんだ。 それより、俺の位置よくわかったな」

「出かける前に携帯わたしたでしょう。 それで分かったのよ」


 やっと男は携帯の機能を知らされた。この携帯には位置を知らせる機能もあり、他の端末に正確に位置を知らせるのだ。男は携帯を取り出して観察するが、その機能がフルヒトの魔法なのか、それとも優れた科学で出来ているのか見当も付かなかった。 

 礼子は男が電車にいないことが分かると、すぐに位置を特定し急いで追い付いてきたらしい。 何で早く追いつけたのかは教えてくれなかった。 


「あなたのせいでプランが台無しよ、まったく」


 勝手に居なくなった男に対して、礼子は正直それほど怒っていなかった。そもそも男から目を離してしまった自身の失態であると感じていたし、男も本気で脱走しようと考えていなかったのが分かったからである。それよりも、事情の知らない男が暴走して死亡したり迷惑を引き起こす前に確保できた安堵感があった。

 しかし男は礼子に助けてもらった安堵感よりも、フルヒトからの扱われ方に対する怒りの感情の方が強かった。


「そんなことより、あの扱いはなんだ。 どいつもこいつも劣等人種とうるさいし、まるで人を物みたいに接しやがって」


 中年へ向かうはずだった癇癪が、再び沸き始めた。あの素直に土下座した人間も含めて、男には納得いかないことばかりだった。そもそも駅で電車に乗るときから不満があった。後部の二両にすし詰めにされ、フルヒト達はガラガラの車両に優雅に乗っていることがオカシイと感じていたのだ。

 そんな男の感情をくみ取って、礼子は諭すように語った。


「ここでは、それが普通なのよ。 あれでもマシにな方だわ。 郊外に行けばもっと――」

「もっと? じゃあなんだ、郊外いったら次はパンの具材にでもなっちまうのか、どうなんだ」


 男が詰め寄るが、礼子は答えなかった。実際に郊外での劣等人種は、最低限の人扱いしかされないことを礼子はしっていた。働くことができる劣等人種は、本当に恵まれているのだ。フルヒトが劣等人種へ不当を働くなど、この国では日常の事だった。


「お前らフルヒトがよく分かったよ。 どんな奴らなのか気になってたけど、噂通り化物だったわけだ」


 礼子は化物という単語に一瞬顔を歪ませたが、何も言わなかった。


「どんなつもりでサラって来たのか知らないけど、俺のこともゴミみたいに扱うのか?」

「お母様は家族として向かい入れるよう言ったわ、家族として接するつもりよ」


 男にとってフルヒトが考える家族が、どのような意味を持つのか分からなかった。


「寝起きの人間を投げたり、そんな攻撃的な家族がいるもんか。 劣等と罵ったり、怒鳴ったり」

「あなたこそ現実を受け入れなさい、もう東の住民ではないのだから。 その代わり、あなたが『橘州男』と名乗る限り家族として扱うし守るわ。橘の名を汚すマネは絶対にやめなさいよ」


 そう言い捨てると、礼子は歩き出した。このまま見物に戻るのか知らないが、離れるわけにもいかないので男も追いかける様について行く。


 礼子は己が男に対して口煩く罵ったことが恥ずかしく思えてきていた。男は、いきなり異国に連れられてきたのだ。そんな不安な状況にある者に対して、自身のストレスの捌け口にしてしまったのだ。フルヒトという強さを傘に、反撃を受けることもなく一方的に。それこそ採石場の中年のフルヒトの様に、卑怯な事を男にしてしまったのだ。実は礼子は、採石場の近くで暫らく様子を見ていたのである。止めに入る機会を窺っていたのだが、その時に見た中年が自身と重なって見えたのだった。

 男は極端に口数の減った彼女に、どんな言葉を発すればいいのか分からなかった。助けてくれた御礼の言葉を述べれば良いのか、はぐれたことを詫びればいいのか。ただ、自分の言ってしまった化物という言葉が引っかかている。礼子が助けに来てくれたことは間違いないし、曲りなりとも家族に迎い入れ助けようと意気込む人物に、化物と言ったのは間違いだった。 

 それぞれ抱えた気まずさが、しばらく二人を静かにした。この静寂の時間が、お互いの立場と不遇さを考える良い機会になったのだ。


帰りは電車に乗ることはなく、二人で歩いて帰っていた。帰り道を夕暮れが二人を照らす。数時間歩き、やっと住宅街に戻ることができた。フルヒトの健脚には問題はなかったが、男は疲労困憊であった。礼子は疲れた男を気遣い、男もそれに甘えた。

 ふと礼子は家にある食材の少なさを思い出した。今まで礼子と千代の二人分の食材しか買っていなかったので、男の分を追加しなくてはいけなかったのだ。すぐ近くに店がある、家に帰る前に寄ることを考えた。


「夕御飯、あなたは何がいいかしら。 家族には、メニューを一緒に考える義務があるわ」


 男の望むものを頑張って御馳走することが、礼子の精一杯の優しさであった。今まで大きな隔たりを感じていた劣等人種との間の中でも、今朝の食事の味覚は共有できた気がした。その食事というコミュニケーションを通じて、男との和解を願おうとしたのである。

 その礼子の心境が、男には少しわかっていた。男には、礼子が自身の様な劣等人種が嫌いであることも分かっていた。だからこそ、不器用にも家族扱いをしようとする、礼子の葛藤が有難かった。


「なぁ、『あなた』じゃなくて、その……クニオって呼んでくれないか」


 そう言われると礼子は、男の事を『クニオ』と呼びはじめた。ぎこちない呼び方に、男も無器用に返事を返した。

 男は、西日本に永住することは考えていなかった。いつか隙を見て、抜け出すことも思い描いていた。しかし暫らくは西日本に滞在することになるだろう。その間は、橘州男として生活していこうと決心した時だった。


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